闇を背に従えた
「っ……ここは」
見慣れない天蓋。
そうか、慣れない力を使って、イグリシウムの枷でそれを抑え込まれて、それから……
体を起こすと、酷い頭痛がした。
体の芯から倦怠感を感じる。
「殿下、まだお休みになっていてください。
本質以外の精霊と同調して、生命力を消耗されています」
僕が起き上がったのに気がついたアルフォンスが、近くにやってきた。
両手には、枷がつけられたままだった。
「申し訳ありません。あのような強烈な魔法を見せられたからには、それを外して差し上げることは出来かねます」
「炎と雷」
あの光景が、頭に浮かんだ。
僕ではない僕が、感情に任せて発現させた魔法。
「時折、感情の爆発で、一時的に本質以外の精霊との同調が可能な者もいるとのことです。
しかし、それは生命力を枯渇させ、命を縮めます。
これからは、お気を付けください」
淡々とした口調。
思わず、嘲るような笑いが、こぼれ出た。
「外はどうなってるの? 彼らは?」
未だに頭の芯が、冷え切っている感覚が消えない。
絶望と怒りからなのか――視界がいつもより、暗い気がする。
なのに、いつもより見えるものが鮮明にも思える。
まるで、僕ではない僕が――半歩前に立っているようなそんな感覚。
僕は半歩後ろで、現実を見ているような……
胸を渦巻く感情の嵐の中にいるのに、脳が氷に変わったんじゃないかと思うくらいに冷えていた。
「街に入ってきたのは、二名だけのようです。
彼らが護衛している三名と、もう一名の彼らの仲間の姿は確認できておりません。
大雨のため、いまだ見つけられていません」
「二人? もう捕まえたの?」
二人――エーレとシュトルツかもしれない。
リーベは基本的に後方にいるし、ミレイユたちがいるなら、結界魔法が得意なリーベが残っているはずだ。
「いえ、それが……噂には聞いていましたが、随分と手練れのようですね。
未だ王国軍と交戦中です。両手剣を持った若者が随分と暴れている様子で」
……両手剣?
シュトルツがあの両手剣を?
彼の出自が明らかになるようなリスクを冒してまで、どうして……
「もうやめさせて。もう僕はここにはいないと言って引かせて。
王国軍の被害が増える前に」
よくよく考えてみれば、王国軍はただのとばっちりだ。
帝国と暗殺ギルドに巻き込まれ、ただ利用されているだけだ。
帝国にとって、王国にどれだけ被害が出ようと、大した問題ではないのだろう。
「ここまで来た彼らにそう言って、簡単に引くとお思いですか?」
すぐにやってきた静かな反駁。
そんな言葉を聞きたいわけじゃない。
アルフォンスを目だけで見上げた。
僕がどんな表情をしていたのかはわからない。
しかし目が合うと、何故かアルフォンスは慄いたように、一歩下がった。
「そう」
体がだるい。
けれど、ジッとしていられなかった。
ベッドをどうにか抜け出して、鉄格子の嵌められた窓へと進む。
足が鉛のように重い。
罪人や奴隷はこんな毎日こんな状態で過ごしているのか――
窓の先は視界を覆うような大雨が降っていた。
イグリシウムの枷で生命力を抑えられてさえなければ、雨の恵みを得て、水魔法でここから抜け出せたかもしれないのに。
「どうして僕を裏切ったの? アルフォンスの主は僕ではなく、皇帝なの?」
外を見つめたまま、後ろにいるだろう――アルフォンスに問うた。
「私は……」
後ろでアルフォンスが、たじろいだような気配があった。
「もしかして、支配魔法……?」
そうだ、皇帝の支配魔法なら彼の思考などいとも簡単に洗脳できてしまう。
僕がそれを、一番によくわかっているはずだ。
アルフォンスを責めるのは間違っているのかもしれない。
そう思って、振り返るとアルフォンスは少し眉を寄せて僕を見ていた。
「私の主はあの時から変わらず、貴方様です」
「じゃあ、どうして?」
どうして、こんなことをしたのか?
アルフォンスはいつも、僕の味方ではなかったのか?
どうして、僕のことをいつものように、名前で呼んでくれないのか?
アルフォンスは目を逸らすと、何かに耐えるように沈黙した。
「私が陛下の支配魔法を受けているのかは、私にはわかりません。
ただ、陛下の命令は絶対だとしか……
それに護衛騎士としての責任と問われ、家族が幽閉されているのです」
僕の息を呑む音が、部屋に響いた。
私のためにも――あれはアルフォンスの本心から漏れ出したSOSだったのだ。
僕は顔を歪めて、歯を食いしばった。
皇帝の支配魔法に洗脳されているばかりか、家族まで人質に取られている。
それを彼は誰かに助けを求めることも出来ず、支配によって理不尽な状況に抗うことも出来ない。
「わかった」
近くから、よく知る波動が体に伝わってきている。
この波動は……
「僕が終わらせる」
アルフォンスを真っ向から見つめ、そう言った時だった。
部屋の扉が激しい音を立てて、蹴破られた。
その先には――コートから水を滴らせ、フードで顔を隠した男がいた。
男の右手には細身の片手剣。
雨でびしょっりと濡れたフードを静かに剥がされる。
「ここにいたか」
「エーレ」
あの波動は、やっぱり彼だったのだ。
エーレは静かな怒りを孕んだ瞳で、こちらを見据えていた。
アルフォンスは咄嗟に、僕の側へやってきていた。
「これだけ暴れりゃ、あとで持っていかれるだろうな。
さっさとそいつを返せ」
エーレの持つ片手剣が揺らめいた。
アルフォンスは腰に下げた剣を抜いて、エーレに向ける。
「殿下をお前のような輩に渡せるものか」
「それはお前が決めることじゃない。
そいつは、俺たちが預かっていく」
エーレが一歩前に出た時、扉からダリウスとリディアが、騎士を引きつれて入ってきた。
六名の騎士はエーレを取り囲むと、剣先を向ける。
「剣を捨てて、投降しろ! その場に跪け!」
ダリウスが威嚇するように喚いた。
エーレは彼らを一瞥することもなく、静かに瞑目した。
「これ以上、俺を怒らせんじゃねえ」
低く唸るように響いた言葉と共に、エーレから膨大な生命力の波動を溢れだした。
それを察知した騎士たちが剣を振るうよりも早く、エーレの周りに床から炎が噴き出す。
騎士たちはその一瞬で咄嗟に魔法を展開させて防御した。
その間にも炎は勢いを増し、天井に到達する――直前だった。
激しく軽やかな音をが先。次に炎だったものは一瞬にして凍っていた。
それに誘われるようにして似たような音を立てて、防御の結界が砕け散っていた。
間を置かず、どこからともなく激しい雷が騎士たちの体を貫き、天に伸びる氷柱を砕いた。
雷が空を裂く悲鳴のような音と氷の砕ける甲高い音、そして宙に輝いた青い光。
その中で、騎士たちは悲鳴もなく崩れ落ちた。
時間にして一分もないだろう間につけられた決着。
圧倒的な強者――僕は声が出なかった。
彼が、これほどの魔法を使うところを、初めて見たからだ。
「覚えとけ。俺を跪かせることが出来るのは、この世に二人しかいない」
いつしかエーレの周りに深淵から誘われたような、漆黒の霧が漂っていた。
闇の魔法――
それは部屋を一瞬にして、この世ならざる空間へと繋げたような……異様な空気がこの場を支配した。
不思議と恐怖は感じなかった。僕はそれを見てこう思った。
美しい、闇を背に従えたエーレが美しい――
「や、闇の魔法……」
隣でアルフォンスが驚愕と恐怖に声を震わせた。
そして震えた手で、僕を背後から抑え込み、刃を首元に突き付けてきた。




