焔と雷の叫び
アルフォンスに会いに行ったルシウス。ルシウスが共に行けば、エーレたちを襲撃している隠密部隊を引かせる。要塞都市に向かう途中、シュトルツから渡された剣の紋様が、王家の剣の家紋であることを知ったルシウス。その真相を確かめる術はもうなかった。
それから2日後、城塞都市に到着した。
巨大な要塞都市――その立派な門を通って、街に入る。
僕は窓から見える景色に違和感を覚えた。
人影がない。大通りであるはずなのに、お店も全部締め切られている。
「どうして、こんなに静かなの? 何かあったの?」
「ああ。ここ数日、王国軍の防衛演習と平行して、避難訓練が行われているのです」
僕の視線の先を見た、アルフォンスが説明してくれた。
「今は平和な時代ですが、何があったとしても遅れを取らないように、日頃から訓練をするのが軍の仕事ですからね」
「そういうもんなんだ……」
的を得た彼の返答だったが、どうしてか違和感は払拭できなかった。
そのまま王国軍の本部へ馬車は入り、僕はその中の来賓室へ通された。
「2,3日後には、帝国軍が迎えにきます。
それまで、ここでゆっくりお休みください。
先ほども申し上げたように、街は訓練で閉鎖されているため、窮屈ではあると思いますが、外出はなさらないようにお願いします。
私どもは扉の前へいますので、何かあればお申し付けください」
それだけ言って、アルフォンスは退室した。
あてがわれた部屋は広かった。
今までエーレたちと泊ってきた部屋の3倍はある。
その上、風呂もついているし、浴槽だってある。
あれだけゆっくりお風呂に浸かりたいと思っていたのに、今はそんな気分にはなれなかった。
僕は無駄に大きなベッドに、着替えもせずに寝転がって、天蓋を見つめた。
遅くても3日後には、王国を出るための馬車に乗らなければいけない。
「あぁ、嫌だなぁ」
口からこぼれた自分の声を聞いて、帝国に帰ることの現実味が更に湧き上がってきた。
「エーレたち、無事かな……」
彼らが無事で、助けにきてくれたらなぁ。
連れ去られたお姫様が、騎士を待つ気持ちってこんな感じなのかな。
そんなことを思った自分を嘲るように、鼻で笑った。
僕は助けられるお姫様になんかなりたくないし、彼らも危険を冒してまで僕を助けにきたりしない。
僕の冒険は、終わったんだ……
短かったけど、楽しかった――
成人の儀を済ませたら、城の外にも出れるようになるはずだ。
彼らと見てきた現実をもっと知って、僕に出来ることをしたい。
皇帝の支配下でそれが可能であれば、の話だけど。
思い出が心を温めてくれるということが、どういうことなのか。
それを僕は、この時初めて知った。
「明日の明け方には、迎えの馬車が到着するようです」
2日後。すでに陽が暮れた時間に、夕食も持ってきたアルフォンスが言った。
「そう」
その時が、もうやってくる。
そう思うと、食欲は湧かなかった。
テーブルの前に置かれた料理を眺めるだけの僕に、アルフォンスは数歩だけ歩み寄ってきた。
「殿下。少しだけでも、お召し上がりください」
「少しだけ、外の空気が吸いたいんだけど」
この部屋に窓は1つしかない。しかも鉄格子が、はまっている。
まるで、来賓を閉じ込めておくための牢獄のようだ。
アルフォンスは少し迷った風な沈黙を挟んで、半身を逸らした。
「こちらにバルコニーがございます」
そう言って、部屋の外へ案内してくれた。
すぐ近くに、バルコニーはあった。
夜風が気持ちいい。知らない土地の匂いがした。
風は少し湿っていて、空も曇天だ。
「殿下。もう直、雨が降ります」
「もうちょっとだけ」
そう言った途端、空から水滴が頬に落ちてきた。
――雨か。
そういえば、野営するときは、一度も雨が降らなかったな。
降ったとしても、リーベの結界で、どうにかなったかもしれないけれど。
本当、なんでもありな人たちだったな……
そう思うと、自然と笑みがこぼれた。
僕とは、別の世界に生きる人たち。
ほんの一瞬、偶然に運命の轍が交差しただけの存在。
たったそれだけだけど、僕は彼らに会えて幸運だった。
ふと、雨の音に紛れて、何か甲高い音が聞こえたような気がした。
「殿下、部屋にお戻りください。濡れるとお体が冷えます」
そう言って、肩を押されて、僕は仕方なく部屋に戻ることにした。
部屋まで帰る短い廊下を歩いていたら、ダリウスがアルフォンスを呼びにやってきた。
「少し呼ばれたので失礼します。すぐそこの扉です」
アルフォンスは先ほどの扉を指して、すぐダリウスを伴って去っていった。
何かあったのだろうか?
僕は部屋に戻るふりをして、消えた背中を追いかけた。
逃げるつもりはなかった。
ただずっと部屋にいて退屈だったのと、気を紛らわせたかっただけだった。
長い廊下の先の曲がり角からダリウスとアルフォンスの声が聞こえてきた。
僕は角に身を隠して、その話に耳を澄ませた。
「思った以上に早かったですね。でも予想通りです。王国軍の配置は?」
アルフォンスの声だ。
「問題ない。準備も出来ている。
隠密部隊も待機している。予定通り、機を見て後ろから追い込む。
街に入り次第、門を閉鎖する。暗殺ギルドはすでに撤収済みだ」
答えた低い声はダリウス。
「果たして、正面突破してきますかね」
「ここまで来るのには門と、この通路を通るしかない。
勿論、ここまでは来させるつもりはないがな。包囲網は完璧だ。抜かりない」
「では、作戦の指揮をお願いします。私は殿下の側についていますので」
「ほんと、ついてねぇ野郎どもだぜ。殿下に関わらなければ、始末されることもなかっただろうに……」
「……不敬ですよ。口を慎みなさい」
「へいへい」
足音が一つ、遠ざかっていく。
僕は聞こえてきた会話が、信じられなかった。
エーレたちがここまで来ている? どうして?
そうじゃない。彼らがここまでくることを、アルフォンスたちは見越していたんだ。
その上で、彼らを始末すると――
許せなかった。約束を守ると言ったのに。
けれど体は硬直して、その場から立ち去ることも、問い詰めにかかることも出来なかった。
動けずにいると、すぐ隣に大きな影が立った。
「殿下……」
呆気にとられたような、アルフォンスの声が落ちてきた。
「部屋に戻りましょう、殿下」
何を言うでもなく、静かな声が続く。
「どうして? 約束は?」
絞り出した声は、震えていた。
悔しい、怖い、辛い。
怒りより、悲しみの方が大きかった。
最後の最後まで彼は、皇帝は僕を裏切った。
「殿下」
宥めるようなアルフォンスの声。もうそれは、聞き飽きた。
「どうして!? 手を出さないって言ったのに!
僕が大人しく帰れば、それでいいんでしょう!? 今すぐやめさせて!」
勢いあまって、隣の彼の胸倉を掴みかかりそうになった。
僕はその手を彷徨わせて、ゆっくり下す。
彼が僕を見下ろしてきた瞳は、冷淡だった。
「手を出さないとは言いました。しかし、城塞都市に攻め込んできたのは、彼らの方です」
「来るのが、わかっていたんだろ? そう仕向けたんだろう!?」
「いいえ」
アルフォンスは、きっぱりと言う。
「確実にやってくるとは思っていませんでした。しかし殿下、貴方様がお持ちになっていた魔鉱石には、追跡効果が付与されていました。
それだけではありませんが‥‥…彼らが追ってくる可能性を見越して、迎え討つ準備はしていたのです」
リーベからもらった結界の魔鉱石。
あれには、風の魔法も付与されていた。
何かがあった時にだけ、伝達が行くとばかり思っていたのに……
「やめさせて。追い払うだけでいいだろ!?」
「これも陛下のご意思です」
目の前が、真っ暗になった。
いくら彼らでも、王国軍と隠密部隊に挟み撃ちにされると敵うわけがない。
同時に、怒りが湧き上がってきた。
理不尽だ。理不尽すぎる。
全部が全部、僕をおいてけぼりにして、僕を利用して、それでいて僕を中心に事が運ばれていく。
許せない。もう、何も信じられない。
彼らを、助けにいかないといけない。
胸の奥底から、膨大な生命力が湧き上がってくる感じがあった。
もう不思議と、恐怖も不安も迷いもなかった。
ただただ、僕を邪魔するもの全てを薙ぎ払って、彼らを助けに行かなければいけない。
そのことしか、考えられなかった。
あらゆる感情の渦が思考を燃やして、焦点が消えた。数分なのか、数秒なのか、数瞬なのかはわからない。
気が付くと周りの壁は焦げていて、床は何かに裂かれたように、いくつもの小さな穴が空いていた。
「殿下! 落ち着いてください!」
いつの間にか、4メートルほど離れたところで、アルフォンスは顔の前に手を翳して、驚愕と恐怖をにじませている。
僕はその時、自分が周りに炎が燃え上がらせ、雷を放っていたことに気が付いた。
これなら……ここを突破できる。
僕は、行かなくちゃいけない。
炎と雷の精霊と同調しているとは思えないほど、頭の芯は冷え切っていた。
けれど、そのことしか考えられなかった。
数歩、踏み出し、そのままアルフォンスの隣を通り過ぎようとした時――
「殿下!」
アルフォンスが、僕の腕を強く引っ張った。
「そのまま生命力を放ち続けると、お体が……」
「止めないで。僕はどうなってもいい」
視界が鮮明だ。頭は怒りと焼き切れて冷えている。
彼の手を振り払って、前に進もうとした時、正面からダリウスがやってきた。
ダリウスは険しい表情で、こちらへと走ってくる。
僕は躊躇しなかった。彼に向けて、自然と雷を放っていた。
しかし彼は、それを土魔法の結界で防ぐと、そのまま僕の腕をつかんだ。
気付いた時には僕の手首に枷が嵌めこまれていた。一瞬の出来事だった。
途端――僕から放たれていた生命力が収縮して、体から力が抜けていった。
イグリシウム……僕を邪魔するな。僕は行かなきゃ……
足の力が入らず、崩れ落ちてしまいそうだったけれど、それでも一歩踏み出した。
体がどうなっても、生命力をそんなに阻害されようとも、かまうもんか。
僕のせいで、彼らが犠牲になるのだけは耐えられない。
「失礼しますよ、殿下」
その言葉と共に、首元に衝撃を感じて、僕は意識を失った。




