その剣は過去の名を帯びて
気が付いた時には、整備された街道を通る、馬車に揺られていた。
いつの間にか手錠は外されていて、体調は回復していた。
けれど、心を巣くう絶望は消えてはおらず、どんどん僕の体を蝕んでいっているみたいだった。
湖上都市から要塞都市まで、馬車で10日。
舗装されたこの道を通るのなら、もう少し早いのかもしれない。
揺られ続けて、4日目。
その間、何度もアルフォンスが話しかけてきたけど、僕はそれに答えなかった。
信頼していた護衛騎士に裏切られたというショックと、これから起こりうるあらゆる可能性を想像して、心は疲弊しきっていた。
何も聞きたくないし、何も考えたくない――もう何も信じられない。
エーレたちは無事だろうか。ただそれだけが、気になっていた。
手半剣も魔鉱石のアクセサリーも没収されていた。
捨てられてしまったのだろうか――
「殿下、もう4日目です。少しは何か、お召し上がりになってください」
水とパンを持ったアルフォンスが、心配そうな表情で、僕を覗き込んできた。
お腹は空いている。けれど、食欲がない。
食べるのが億劫だ。噛むのすら、面倒くさい。
僕は小さく、首を振った。
「殿下、申し訳ありません。私のことはいくらでも、罵って怒りをぶつけてくださって構いません。
なのでどうか、少しでもお召し上がりください。
このままでは、お体が持ちません」
「僕に死なれたら、困るだけでしょ」
4日ぶりに話すと、声がうまく出なかった。
自分でもびっくりするくらいに抑揚のない声が、どこか遠くから聞こえたような感覚だった。
「それは違います。城に戻られても、以前のようなことはありません。
必ず、私がそうして見せます。ですから……」
懇願にも、似た声色。本当に心配しているような、悲痛な表情。
けれどそれも、遠くから膜一枚隔てて見ているようで、僕の心には響かなかった。
「何もしないから、僕の持ち物を返して」
彼らと共にいたという証を、この手に持っておきたかった。
それがあれば、どうにか自分を支えられる気がした。
アルフォンスが戸惑いを浮かべた表情をして、僕の後ろのカーテンを見た。
カーテンで仕切られた奥には、もう一つ個室がある。
そこには、護衛騎士の男性――ダリウスと隣の女性――リディアがいる。
「いいんじゃないでしょうか。
殿下もお辛いと思います。何もしないと仰るのであれば……」
後ろからリディアの声がして、カーテンの隙間から僕の鞄が渡された。
中を開けると、小さな財布が一つ。
魔鉱石のブレスレットとペンダント。
そして、手半剣――
数日見なかっただけなのに、とても懐かしい気持ちになった。
同時に、3人の顔が浮かぶ。
無意識に、手半剣の鞘を撫でていた。
結局、エーレに剣の稽古つけてもらえなかったな……
魔法の練習ももっとしたかったし、古代言語だって習得したかった。
また、あの鳥かごのような城の中で暮らすのなら、もうこれはいらないのかもしれない。
けれど、手放したくはなかった。
「殿下」
アルフォンスはそう言って、水とパンを差し出してきた。
僕が皇太子として立派に生きることが出来れば、またいつか彼らと会えるだろうか。
例えそれが、敵としてだとしても――
僕は水とパンを受け取ると、4日ぶりの食事をした。
6日目。
城塞都市が近くなるにつれ、村が点在していた。
宿に1室に泊まることになって、アルフォンス率いる護衛は、交代で1人ずつ在室することになった。
食事を済ませて、アルフォンスがハーブティーを淹れてくれる。
そういえば、レネウスに着いた時に、シュトルツが淹れてきてくれたっけ。
黄金色に揺れる液体を見ながら、そんなことを思い出していた。
あれから、僕の持ち物は僕が持ち歩けるようにしてくれた。
それを持っていると、ほんの少しだけ救われた気分になったからだ。
ハーブティーを飲みながら、僕はキャビネットに立てかけられた、手半剣を見ていた。
「殿下」
僕の視線を追っていたアルフォンスが呼びかけてきた。
「あの片手剣ですが、どこで手に入れたのですか?」
「どうして?」
「少し拝見させていただきました。あの剣の剣身には、鷲の文様が刻まれてあったと思います」
そういえば、そうだった。
剣身の上部に、精密な鷲の文様――
シュトルツが持つ両手剣にも、同じものがあった。
「あれは、グライフェン家の家紋です」
「グライフェン?」
どこかで聞いたことのある名前だった。
あの鷲の文様もどこかで―――
「エーベルシュタイン王国のグライフェン家と言えば、王家の剣として名高い伯爵家です」
――王国の王家の剣?
そんな貴族の家紋が、刻まれた剣。
どうして、そんなものをシュトルツが……
僕は驚きのあまり、手半剣とアルフォンスに視線を交互させた。
そして剣を取りに行き、鞘から抜いてみる。
立派な翼を広げた、鷲の文様――
どこかで見たことがあると思ったら、城での歴史の授業の時に見たことがあったのだ。
「これは、ただのもらい物で……」
シュトルツの出自が、グライフェン家?
それか、シュトルツも他の誰かから、もらったものなのかもしれない。
「そうですか。深くは詮索しておかないでおきます。
私が個人的に気になっただけなので……」
アルフォンスの配慮に、僕はホッと胸を撫でおろした。
「グライフェン家の人って、そんなにすごいの?」
けれど、自然と疑問が口から飛び出ていた。
「あの伯爵家は、王家に忠実な騎士の家系です。
王家を守るための剣を磨き上げるので、流派が独特だとか……
その継承者は基本的に、グライフェン家に縁のある者だけだと聞きます」
――まぁ、俺の流派が独特なのもあって、王国じゃわかる人がみると面倒くさそうだから、使わないようにしてるだけなんだけど――
シュトルツが、両手剣を使わなかった理由。
彼はもしかしたら、本当にグライフェン家の者か、その縁者なのかもしれない。
けれどもう、今になっては、それを確かめる術はなかった。




