その手を縛るもの
エーレたちが、部屋にいてくれればいい。
なら行かなくて済むし、その時に打ち明けよう――
どこかでそう思っていたのに、こういう時に限って、彼らは全員どこかに行ってしまって、部屋にはいなかった。
僕は覚悟を決めて、手半剣を腰に下げ、隠蔽と結界の魔鉱石を確認した。
指定された宿に着いたのは、丁度日付が変わった頃だった。
「お待ちしておりました」
宿の前では、アルフォンスが待っていた。
彼は、宿の一室へ向かい、僕に椅子に勧めると、ハーブティーを出してくれた。
「ご決断はなさいましたか」
アルフォンスは座ることなく、僕の前に立ったまま尋ねてきた。
「私のためにもって言いましたよね。どういうことか、説明してください。
僕を逃がしたことで、責任を問われたんでしょう?」
アルフォンスと目を合わせることが怖くて、カップの中で揺れる黄金色を見ていた。
「失言でした。お気になさらないでください」
いつもの僕は、ここで引き下がってしまう。
食い下がった時に稀にある、人の隠しきれていない、嫌悪の表情を見るのが怖いからだ。
それでも……
「説明してくれないと、決められません」
勇気を出して、顔を上げた。
アルフォンスと目が合うと、彼は眉尻を下げて、緩やかに首を振るだけだった。
「殿下には、関わりのないことです」
もし、アルフォンスの命がかかっていたとしたら――
それを聞いたら、僕は帰るというのだろうか?
ふと、そんな思考が頭に過った。
「僕は帰りたくない」
口から、自然とその答えが出た。
「どうしてもですか?
殿下と行動を共にしていた、彼らとこのまま逃げるとおっしゃるのですか?」
「僕は……」
「それが、可能だとお思いなのですか? 陛下から逃げ切れると」
僕は、沈黙するしかなかった。
エーレたちとなら逃げられると。そして、立ち向かえると思っていた。
けれどアルフォンスを前にして、忘れようとしていた、皇帝の記憶が呼び覚まされる。
逃げ切るのも、立ち向かうのも、不可能なことだ。 もう一人の僕が言っている。
従順であれと、従えと――
僕は歯を食いしばった。
奥歯が大きく音を鳴らす。それが、過去の恐怖に呑まれそうだった僕を現実に引き戻した。
「それでも、僕は行かない。彼らと一緒に行くと約束したんだ。
譲ることはできない。だから、諦めてほしい。
僕じゃないくてもいいんでしょ? 僕の代わりは、沢山いるんだから」
監禁された兄妹たち。
僕がいたから失敗作と呼ばれ、迫害を受けてきた彼ら。
皇帝の子供であることは、変わらないのに――
一歩間違えれば、僕のあの中の一人だったんだ。
それは、帰ったとしても変わらない。僕より優れた子供がもし生まれたら、僕は彼らの仲間入りになる可能性だってある。
僕の道は、僕で選びとるしかない。
「僕はもう自分で、自分の生き方を決める。
支配され、決められた轍を進みたくない」
風もないのに、どこかから、風が舞い上がった気がした。
その風が、僕の髪を小さく揺らす。
アルフォンスを見ると、僅かに目を見開いたあと、悲しそうに眉を寄せた。
「そうですか。残念です」
そう言って、彼は僕の隣を通り過ぎていく――その時だった。
ガチャンという耳障りな音と共に、手首にひんやりとした感触が伝わってきた。
同時に、視界が大きく揺れた。
「なっ……」
手首を見ると、そこには何度か見たことのあるイグリシウムの手錠。
「どういうことですか!」
思わず立ち上がろうとしたが、酷い眩暈を感じて、足元から崩れ落ちた。
体内の生命力が停滞して、息苦しい。
「皇帝陛下より、説得に応じない場合、無理やりにでも連れ戻せとの命を受けています」
頭に冷水をかけられたような、衝撃がした。
油断していた。
アルフォンスなら、僕を傷つけることはないと――
そこに扉が開かれて、よく知っている顔が2人現れた。
僕の護衛騎士だ。
「くるな!」
咄嗟に手半剣を抜いて、威嚇する。
そのままどうにか立ち上がって、壁まで後退した。
「殿下、おやめください。私たち相手に、剣では勝てません」
全く動じてないアルフォンスが、数歩詰め寄ってくる。
このまま来られたら、歯が立たない。
そう思ったのと同時に、剣を自分の首筋に当てていた。
「それ以上くるな。僕に死なれたら困るんだろ」
アルフォンスの足が、ピタリと止まる。
時間を稼がないと――
僕がいないことに気づいてくれたら、リーベかシュトルツが来てくれるはずだ。
この距離なら……彼らならきっと、魔鉱石に込められた微細な生命力を辿ってこれる。
「こんなことをする皇帝を僕はもう信じられない! 帰るわけにはいかない!」
「落ち着いてください」
アルフォンスが、そっと手を伸ばしてくる。
「来ないで!」
強く押しつけた刃が、少し僕の首の皮膚を破った感触があった。
動揺と恐怖で、痛みは感じない。
ちらり、と部屋にかけられてあった時計を見る。
まだ少ししか、時間は経っていない。
どうやってこの場を凌いだら、いいのかわからなかった。
「殿下、彼らの助けを待っているのなら無駄です」
僕の視線から察したらしい、アルフォンスが強く言う。その言葉には、確信めいたものがあった。
「それはどういう……」
「今ごろ、彼らは皇室直属の隠密部隊と対峙しているはずです」
「話が違うじゃないか! 最初から、このつもりだったのか!」
アルフォンスが再び、一歩詰め寄ってきた。
「剣を捨ててください。彼らの処遇は殿下、貴方様の行動で決まります。
ご理解いただけますね?」
エーレたちが、負けるわけがない。
けれど、隠密部隊は精鋭中の精鋭の集まりだ。もし……
「一つ、約束してください。彼らにこれ以上、手を出さないって」
「わかりました。撤収命令を出しておきます」
僕は一度瞑目して、息を吐き出し、ゆっくりと剣を下ろした。
それを確認したアルフォンスは、すぐ前まで来ると、そっと僕の手から、剣を取り上げた。
「賢明なご判断です。行きましょう、殿下」
アルフォンスのその言葉を最後に、僕は立っていられないほどの眩暈と倦怠感を感じて、意識を手放した。




