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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
2章

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静かな引き金

 



 宿に戻る道にあった書店で「アリレオ・シア」の新刊を発見した。

 僕はそれを、自分のお金で買って、宿に戻ることにした。


 街道を真っすぐいけば、宿の看板が見えてくる――そういうところで「殿下?」と聞き覚えのある声が、背からした。


 よく知っている声だ。毎日のように、聞いていた声。

 思わず足を止めかけて、どうにかそれを堪えた。


 振り返ってはいけない――咄嗟に、そう思った。

 ここで振り返ってしまうと、足を止めてしまうと、僕が’’ユリウス’’であると、バレてしまう。

 後ろの彼は、僕を知っている。だから、隠蔽の効果は発動されていない。

 フードを被っておくべきだった。そう後悔した。


 そのまま歩調を変えずに、前へ進んだ。走り出してしまいたかった。

 後ろの彼が、人違いであると諦めてくれるのを願った。しかし――



「殿下!」



 いつの間にか、声がすぐ後ろからした。

 僕は反射的に走り出す。けれど、その手を彼が掴んだ。

 思わず振り向くと、そこには――やはりよく知る顔。


 エーレと、さほど変わらない年齢。リーベと同じくらいの背丈。

 精悍な顔つき。赤茶色の短い髪と透き通る茶色の瞳が揺れていた。


 帝国騎士の制服ではないけれど、それでも一見して、騎士とわかる服装。

 不安と焦燥と、ほんのすこしの安心。

 そんな感情がない交ぜになって、一気に湧き上がってくる。



「人違いです!」



 咄嗟にその手を振り払おうとしたが、彼の力は強くて、振りほどけない。

 彼は眉根を寄せて沈黙した後、静かにその場に跪いた。



「殿下」



 周りを行き交う通行人の視線が、一度に集まったのを感じた。



「ちょ、やめてください! 立ってください!」



 誤魔化すどころではない。

 いくら隠蔽の魔鉱石をつけていたとしても、騎士に跪かれる人なんて、目を引くに決まっている。


 しかし、今なら逃げ出せる。そのまま宿に向かってしまえば……

 足元で跪く、僕の専属護衛騎士隊長――アルフォンスを見て、それは出来なかった。

 城から抜け出す時に、手助けしてくれたのは彼なのだ。



 どうして今頃、彼とこんなところで……

 気が付くと、僕はアルフォンスに手を差し出していた。



「立ってください。周りの視線が痛いんです」



 アルフォンスは少しだけ顔をあげて、僕を見つめてきた。



「早く」



 催促すると、彼は僕の手を掴まずに立ち上がった。



「僕に用事があるなら、場所を変えてください」


「申し訳ありません。取り乱しました」



 アルフォンスはそう言うと、静かに僕の後をついてきた。




 宿の近く――その一つ奥に入った路地で、僕たちは話すことにした。



「ご無沙汰しております、殿下」



 向き合うとすぐに彼は、胸に拳を当てて、騎士としての忠誠の礼をする。

 顔を見て、確信をしてしまった彼を誤魔化すことは出来ない。



「どうして、こんなところにいるんですか、アルフォンス」


「殿下をお迎えに参りました」



 そうではないかと思っていた。けれど、一番聞きたくなかった言葉だった。



「僕は帰らないよ。あの城に、僕の居場所はない。僕はもう、父上の傀儡に戻るつもりはない」



 きっぱり言った。アルフォンスに、ここまではっきり断言したのは初めてかもしれない。

 その言葉に、アルフォンスは目を見開いた。

 そして、小さく微笑んだ。



「皇太子としての威厳が出てきましたね、殿下」


「そうじゃない。僕は僕だ。皇太子には戻らないと言ってるんだ」



 僕は首を振りながら否定する。



「貴方に言ったはずでしょう。僕の兄弟たちのことを。

 僕は……もうあんなところに帰りたくない。

 まだ馴染めないけど、大切にしたいと思える居場所を、見つけられそうなんだ。

 だから――」


「殿下と共に行動している、3人の男ですね」


 僕の言葉を遮って、アルフォンスの淡々とした声が、路地に響いた。

 思わず、彼を凝視してしまう。


 皇帝は――父上は、すでに知っていたのだ。

 僕たちの行先とそのルート、共にいる彼らのことまで。


 エーレの言葉が、頭に過った。

 城塞都市での動きが慌ただしいという報告だ。


 まさか……

 その答え合わせをするように、アルフォンスは続けた。



「レギオンに在籍する、クラン名――カロンの3名は、ユリウス殿下の拉致容疑で捕縛命令が出ています」


「彼らに手を出さないで! 僕が自分からついて行ったんだ!」



 路地に、僕の悲鳴にも似た叫びがこだました。



 拉致容疑だって? 皇帝のやりそうなことだ。

 今まで動きがなかったと思えば、この機会を狙っていたんだ。

 隠蔽で姿を隠しているというのに、どうしてわかったのか。

 僕の姿を知る人が、どこかから監視していたのか?

 それとも、どこかに内通者が……



「落ち着いてください、殿下。だからこそ、私がお迎えに上がったのです」


「どういうこと……?」


「殿下が私と共に、帰城すること。それで、彼らの罪は問わないとの言伝です。

 加えて、陛下は今後、殿下の意思を最大限尊重すると仰っておいでです。

 監禁された……殿下のご兄妹についても、殿下の意思を汲み取る準備は、出来ているとのことです」


「そんなの……」


 信じられるわけがない。


「皇帝陛下は、殿下のことをとてもご心配なさっています。どうか私と共にご帰還ください」



 まるで、駄々をこねる子供を諭すような優しい論調だった。

 目の前に差し出された大きな手を見て、僕はそれを力任せに払った。



「どうして今更、そんなこと言うの?

 そんなこと、僕が信じると思ってて言ってるの!?

 今までのことも、あんな光景を見ても……まだ僕が、素直に従うような馬鹿だって言いたいのか!」



 隠された塔の地下で、監禁された兄妹たちの姿が、目に浮かんだ。

 反抗した兄弟を呆気なく殺した皇帝の声も、飛び散った血しぶきも――



「僕は帰らない! そう伝えてくれ!」



 全身から声を出して、喚いた。

 路地に反響した自分の声が、耳の奥から入り込んで頭まで震わせた気がした。


 帰りたくない。帰ってやるものか。

 あんな地獄に帰るなら、エーレたちと一緒に、この危機から逃げた方が幾分マシだ。

 帰って、すぐに知らせないと……



「殿下。陛下は狙った者は、決して生かしておく方ではありません。

 大切な人たちならば、殿下が身を引かねばなりません」



 アルフォンスは、引き下がらなかった。

 ただただ、冷静に宥めるように言った。

 その時、路地の向こう側から、聞きなれた声がした。



「お子ちゃまの声しなかった?」



 シュトルツだ。



「今夜の日付が変わる頃――アルテミスの時、第一刻(0時)に、この場所でお待ちしております。

 慎重に考えてみてください。もう一度、その時に話し合いましょう」



 アルフォンスは路地の向こうを気にしながら、小さな紙を渡してきた。



「私のためにもどうか、賢明なご判断をお願いします」



 最後のそう言った彼の声は、震えているように聞こえた。



「それってどういう……」


「やっぱりお子ちゃまじゃん。こんなところで何してんの? 迷子?」



 シュトルツの姿が見えた時――すぐ隣にいたアルフォンスは、いなくなっていた。



「いや、あの……宿がわかんなくなっちゃって……」



 何故か僕は、今あったことをシュトルツに言えなかった。


 全て言ってしまえば、彼らは対処してくれるだろう。僕を守ってくれるに違いない。

 そうわかっているのに、喉まで這い上がってきているのに、それを声にすることが出来なかった。






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