蒼の囁く記憶
ヴェリタス湖で、奇妙な体験をしたルシウス。
リーベから精霊と神がどういった存在か聞かされる。
時間という概念を持たず、過去現在未来、あらゆる可能性の世界に彼らは存在するということ。
そして彼らはその法則を打ち破ってくれる存在を探しているということを明かした。
目が覚めると、陽は高かった。
部屋を見渡しても、誰もいない。
みんな、どこ行ったんだろう。
相変わらずマイペースな面々に、呆れと少しの寂しさを感じて、僕は先に軽く食事をした。
部屋に戻ると、テーブルの上に、メモと小さな皮袋が置かれていることに、気が付いた。
――これで、好きなもの買ってこい――
リーベの筆跡しか見たことはないが、メモから伝わる、この偉そうな雰囲気は、エーレに違いない。
そんな雰囲気とは違って、綺麗に流れた筆跡だった。
昨日の深夜、少女に押し付けたお金とは別に、まだいくらかお金は残っている。
金銭的に彼らに頼りっぱなしなのは、少し気が引けたが、有難く受け取ることにした。
右腕の隠蔽のブレスレット。首から下がっている結界のペンダント。
ローブを羽織って、腰に手半剣を下げる。
それらをチェックして、宿から出た。
1か月後先には、もう半袖を着ないといけなくなっているだろう。
首都について、それを買う時間があるとは限らない。
先に服を買いに向かった。
入り組んでいる街道を出来るだけ直線に歩いて、帰りに迷わないように気を付け、店を回った。
本当は、色んなところを見て回りたい気持ちもあったけど、一人じゃ心許ない。
まともに買い物をしたことは、数えるくらいしかない。
無難なシャツとズボン、肌着をいくつか購入するだけで随分時間が過ぎてしまった。
それだけで疲れてしまった僕は、そのまま宿に繋がる街道を引き返すことにした。
「あれ、こんなところに魔鉱商が……」
よく見ないとわからないくらいの、小さな看板が目に入った。
目の前には飲食店があって、その隣から地下に伸びる階段が設けられている。
いつもはエーレやリーベなどが魔鉱石を用意するので、その元となる鉱石の店に、実際行ったことがない。
僕はなんとなく気になって、地下に降りてみることにした。
立てつけの悪い、木製の扉の奥は薄暗かった。
なんとなく怪しい気配を感じて、僕は立ち止まる。
引き返そうかな……
「あら、いらっしゃい」
すると奥から、ローブを羽織った老婆が出てきた。
まるで魔女のような出で立ちだ。
思わず慄いて、一歩下がってしまう。
そんな僕を見た老婆は一瞬、目を丸くした後、高笑いを上げる。
それがもっと怖くて、体を強張らせてしまった。
「そんな怯えなくても、とって食ったりせんよ。
ここはただの店じゃ。ゆっくり見ていきんしゃい」
老婆はそう言って、レジカウンターの前の椅子に座る。
「あ、はい」
気を取り直して、狭い店内に並ぶ魔鉱石を見ることにした。
数が多いとは言えないけれど、色んな種類の魔鉱石が置いてあった。
「えっ」
そこに張られた値札を見て、愕然とする。
結界の魔鉱石1つで、一般市民の半月の生活費が、賄える値段だった。
「おばあ……店主さん。魔鉱石って、こんなに高いものなんですか?」
「そらそうじゃよ。うちはこれでも良心的な方だと思うがねぇ。
魔鉱付与師が、年々少なくなっていってるんじゃからなぁ」
「魔鉱石の付与って、そんなに難しいんですか?」
老婆はそれを聞いて、ゆっくり立ち上がると、僕の隣へやってきた。
「そもそも魔法を使えれば、魔鉱石をわざわざ買おうと思う人も、少ないしのぅ。
軍事用ならまだしも、一般人が結界や伝達の魔鉱石を使う機会もない。
燃焼の魔鉱石は、貴族が風呂用に買っていくくらいじゃし。
他にも商業用として、買っていく人もおるけれどの。
需要が限定されているから、わざわざその職人になろうと思うものも、減ってきてるんじゃよ」
「なるほど……」
僕は、店を見渡した。
「何か欲しい物でもあったのかえ?」
「いや、少し気になっただけで……
付与する前の鉱石とかもあります?」
「ああ、あるよ。少しお待ちなされ」
老婆は店の奥に引っ込んでいく。
しばらくして、大きな木箱を持って、戻ってきた。
「どんな鉱石がいいかね?」
「水の魔法を付与出来るのがいいんですけど……」
そういうと老婆はレジカウンターの空いたスペースに、10種類ほどの鉱石を円型に並べた。
そして首に下げていた眼鏡をかけて、僕を手招きする。
「この中央に生命力を流してごらんなさい。ほんのちょっぴりでいい。あんまり流しすぎると壊れてしまうからの」
「え、どうして」
「いいから、早くやりんしゃい」
老婆に推し進められて、僕はとりあえず言われた通りにすることにした。
ほんの少しだけの生命力を、並べられた石の中央に流す。
流し始めて、1秒も経たない時だった。
「もうよい、もうよい。それ以上はいかん」
老婆は僕の手を叩いて、止めた。
「坊、随分と同調率が高いの?」
「え」
ぎくりとして、老婆を見てしまう。
「まぁ、なんでもよいがの。坊に合う石は、これじゃ」
そう言って、渡された鉱石。
それは、遥かなる青空と穏やかな海をひとつに閉じ込めたような石だった。
澄んだ水色の中に、白い雲がたゆたうように、模様を描いている。
「蒼環石じゃ。坊の性格が、よくわかるわい」
「それってどんな……
いやそうじゃなくて、どうして、これが合うってわかったんですか?」
すると、老婆は皺の多い口元を釣り上げた。
「これじゃよ。婆の宝物での」
そう言って指さしたのは、眼鏡だった。
「その眼鏡に、何か?」
「この眼鏡は、生命力の波動を視覚化できるんじゃよ。坊の生命力が、一番共鳴していたのが、その石じゃったってことじゃ」
「それも魔鉱石の効果なんですか?」
僕の質問に、老婆は迷うようにしばらく唸った。
「誰にも言うでないなら、教えてやろう。まぁ、蒼環石が選んだのなら心配無用じゃろうが」
蒼環石と共鳴する性格って、どんな性格なんだろう……
そう思いながらも、僕は頷いた。
「これには、闇の魔鉱石がつけられておる」
「闇って……」
レネウスで、リーベが言った言葉を思い出した。
エーレの力なら魔法を可視化できると言った、あの言葉だ。
「闇の魔鉱石は、市場には出回らん。
相手を殺してでも欲しがろうとする輩もおるからの。坊も気を付けるんじゃぞ」
老婆はそう言って、僕の右手辺りをちらりと見る。
右手には闇の――隠蔽の魔鉱石のブレスレットがある。確実に、それを見ていた。
「おばあさん、一体、何者なんですか?」
ただものではない。
「婆はただの婆じゃよ。ちょっとばかし魔鉱石に詳しいだけじゃ。
それで、どうするのかね?」
「蒼環石って、一つおいくらですか?」
老婆があげた金額は、結界の魔鉱石の20分の1の値段だった。
自分の財布から出すには、痛い出費でもある。
迷っていると、老婆は首を振ってため息をついた。
「仕方ないの。婆のお願いを一つ聞いてくれたら、半額にしてもよいぞ」
「お願い?」
嫌な予感はした。けれど、一応聞いてみることにする。
「その闇の魔鉱石。どんな効果があるのかね? 出どころは?」
エーレが頭に過る。勿論、激怒している彼の表情だった。
「それは……ちょっと……」
探るように見つめてくる老婆を見て、僕は咄嗟に手を振った。
「奪って来たとかではありませんから! ちゃんと人にもらったものです!」
僕の慌てぶりに老婆は再び、高笑いを上げた。
「そんなもんわかっとる。坊に人の物が奪えるとは思っとらん。
ただまぁ……昔の知っとる若者の生命力とよく似ておったからの。まぁ、そやつはもう、この世にはおらんだろうが……気になっただけじゃ」
この老婆は、魔鉱石に付与された微細な生命力まで感知できるのか。
それとも、眼鏡の魔鉱石に付与された効果なのか。
「まぁよい。持っていけ。これも何かの縁じゃ」
「え、いや。それは……」
老婆はそう言って、ありったけの蒼環石を僕に押し付けてきた。
12個。一般市民の1か月の生活費で言えば、その4分の1にもなる値段だ。
「さぁ、帰れ帰れ。商売の邪魔じゃ」
そう言って、老婆とは思えない力で僕の背中を押した。
「え、だからあの!」
扉まで押され、追い出されそうになる。
「坊よ、達者での。それは良いめぐり合わせへの感謝じゃ。ほらさっさと行け」
背中でそんな老婆の言葉を最後に、扉の先へ締め出された。
後ろで締まる扉を見て、僕は呆然とする。
手の中には、蒼環石が詰められた小さな皮袋。
あの老婆は、誰だったんだろうか。
もう一度、店に入って、返すべきだろうか?
いや、せっかく好意でくれたものを押し返すわけにもいかない。
僕は扉の先に向けて、頭を下げた。
「ありがとうございました」
その返答はなかったけれど、そうしないと僕の気が済まなかった。




