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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
2章

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世界が和らぐ午後

 



 宿屋の部屋に帰ると、すでにエーレが戻ってきていた。

 彼はシュトルツを認めると、すぐにその手から本だけを抜き取っていく。



 わざわざエーレのために、本を買ってきたシュトルツへの礼もなしに、当たり前のように振舞うなんて……


 シュトルツもシュトルツで、それに対して何も言わない。

 少し、甘やかしすぎなのではないだろうか?



 そんなことを思いながらベッドボードに凭れて、早速本を開こうとしたエーレを目で追っていると、シュトルツの言葉が脳裏に過った。


 気が付いた時には、「エーレって天才なんですか?」という言葉が口をついて出ていた。


 本を読みだそうとしていたエーレは、思いもよらない質問だったのだろう――「は?」と僕を睨み、怪訝そうな顔つきをする。



「誰だ、そんなしょうもないこと言ったのは……って、シュトルツしかいねぇか」



 彼が視線を投げた先では、紙袋から買ってきたものを取り出し、ベッドの上に広げて、整理にとりかかるシュトルツ。


「え、事実じゃん? 怒らないでよ」と、振り向きもしない。



「あのなぁ、何をもって天才というかは、人それぞれだろ。

 俺は自分を天才だと思ったことは、一度もない」



 ため息交じりに言うエーレ。たしかにその通りだ。

 僕も疲れた足を休めるために、ベッドの淵に腰を下ろした。



「リーベは?」



 エーレが本に目を落としながら、誰となく尋ねる。



「リーベなら書店。学問書、見に行ったよ」


「首都ならまだしも、この街には大した学問書は置いてないはずだがな」


「あんっな分厚い本読むなら、エーレさんがちゃちゃっと教えちゃえばよくない?」


「まぁ、リーベなら別に構わんが……俺が教えるより読んだ方が早いだろう」



 二人のやりとりを聞きながら、僕は体をベッドに預けて天井を仰いだ。


 こうしてまともなベッドに寝転がって、穏やかでのんびりした時間を過ごすのは、久しぶりかもしれない。



 外から聞こえる喧騒と二人の会話が、少し遠のいた気がした。



「エーレさんって本読むの、異常に早いじゃん? ちゃんと読めてんの?」


「お前と一緒にするな。学問書なんてどれも似たり寄ったりのことを書いてるし、一度読めば覚える。

 大抵のことは、すでに俺が出してあった理論の答え合わせのために読んでるだけだ」



 あー。声が漏れそうになった。



 首だけ少し起こして、斜め前のエーレを見ると、彼は本を読みながらシュトルツと話している。

 

 あれで、内容が頭に入っているのが信じられない。


 速読の上に一度、読めば覚えてしまって、それも全て答え合わせのために読んでる?



 天才。天才か……シュトルツが、そう言ったのも頷ける。



 自覚のない天才が、これほど嫌味なものだとは知らなかった。


 この大陸の学者が、少しでも早く彼をあっと言わせる理論を提唱してくれることを願うばかりだ。


 これほどまでに学者を応援しようと思ったのは、生まれて初めてかもしれない。




 どんどん瞼が重くなってきた。

 差し込んでくる陽も、穏やかで心地いい。。寝不足の体が、どんどんベッドに沈んでいく感覚がする。



 なんだか今日は、穏やかな一日になりそうだ。


 こんな日がずっと続けばいいのに……



 そう思っているうちに、いつの間にか僕は夢の中へ落ちていた。






 ◇◇◇






 膜を一枚隔てた先から、心地よい喧騒と生活音が聞こえてきた。

 意識が夢と現実の狭間を行き来してるのがわかる。



 人の話し声、本を捲る音、何かがぶつかる小気味良い音。


 ふわふわとした感覚の中で、膜の向こう側から聞こえてくる――平凡な日常に溢れるそんな音たち。


 懐かしいような、安心という名の真綿に、包まれた微睡み。



 ――ユリウス――



 誰かが、僕を呼んだ。久しぶりに、その名前を呼ばれた気がした。


 真綿に包まれていて、顔も姿も見えない。でもそこにいると、はっきりとわかる。



 何よりも大切で、何に変えても、守りたいと思う‘’彼女‘’



 ――ユリウス。いや、ルシウス。まぁ、どちらでもお前に変わりはないか――



 聞こえてきた声は、ぼんやりとしていて輪郭は見えないけれど、それはエーレの言葉。

 僕には、当たり前のようにわかった。



 ――俺たちは、もう行く。’’次’’に――



 行ってしまう彼を、僕は止められない。見送ることしかできない。

 真綿が僕を包んで、放してくれない。





 ――突然、目が覚めた。



「夢、か……」



 睡眠が浅い時に見る、幻覚のような夢。


 余韻が胸に残っている。僕の名前を呼んだのは、誰だったんだろう。


 あんなに温かな感情を、僕は現実で感じたことがなかった。





 陽はまだ煌々として、その眼差しで部屋の中を照らしている。

 時計を見ると、一刻も眠っていなかったらしい。



 部屋を見渡すと、本が山積みになっているテーブルが目に入った。


 その前にエーレとリーベが座って、何やら話し込んでいる。



 シュトルツは? そう思って視線を逆方向に彷徨わせると、左端に彼の頭が見えた。

 ベッドの隣の床で座り込んでいて、すぐには気づけなかった、




 変に眠ったせいか、体が重い。


 僕は体を伸ばしてベッドから降りると、キャビネットの上に備え付けられているコップを取りに立ち上がった。

 水を飲んで喉を潤すと、ようやく少し意識が明瞭になった気がした。



 ちらりとテーブルの方を見る。二人が仲良く隣合わせに座って、話し込んでいるのは初めて見た。


 山積みになった本の前で開いたノートにエーレが書き込み、リーベはそれを見て何度も頷いている。

 彼もペンを握って、その上に書き足しながら、何かを尋ねているようだった。




 コップを置いて、彼らの後ろに移動してみることにした。


 ノートには見たこともないような数式。更にリーベがそこに数式を書き足していっている。

 更に聞いたこともないような専門用語が、飛び交っていた。



 まるで外国語を話しているようだ。


 僕にはさっぱりだし、理解したいとも思わないが、何はともあれリーベは無事、エーレから教えてもらえているようだ。




 次に頭だけ見えている、シュトルツの方へと向かった。


 彼は床に大きな布を広げて、その上で短剣やナイフの手入れをしていた。

 隣には、僕の手半剣まで置いてある。



「起きたのね。リーベが帰ってきてから二人ともあの調子で、退屈してたんだよねぇ」



 シュトルツはナイフを掲げ、差し込む陽にあてながら、振り向くことなく言った。



 何故隠れるように、こんな狭いスペースにいるんだろう……


 僕は敷かれた布の側面に座り込んで、並べられた剣を眺めた。



 短剣が二本、ナイフが四本。その隣に手半剣。


 彼の本来の相棒は、剣袋の中でお留守番のようだ。



「シュトルツは……加わるわけないですよね」



 加わらないんですか? と聞こうとしたけど、途中でやめた。


 本が嫌いな彼が、加わるはずがない。そういう僕も加わりたくない。



「俺はほら、経験で学んでいくタイプだから。頭より、体が先に動くから」



 彼は自信満々にそう言い切ると、ナイフをそっとおいて、手半剣を持ち上げた。



「手入れの方法教えておくよ。

 まぁ、魔法使えばすぐなんだけどね。そうするとあまりに味気ないでしょ?

 この子たちもこうやって、労わってあげた方が、喜ぶと思うんだよねぇ」



 彼はそう言いながら、ようやく僕の方を見た。

 その顔はまるで、自分の子供を可愛がっているような表情だった。



 彼の持つ手半剣。人を殺すための道具。

 それでも、僕を守ってくれるものでもある。


 彼のように、相棒と呼べるくらいには、慣れ親しめるようになれればいい。



 そう思って、僕はシュトルツから剣の手入れの方法を教えてもらうことにした。







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