湖上都市―フィレンツィア
丘陵地帯が続いている。
いつも以上に馬車は揺れ、お尻が痛い中、僕は魔法と古代言語の学習に精を出していた。
そうしていれば、いまだ胸の中に燻る火種を、心の隅に追いやることが出来た。
魔法の方は順調だった。
シュトルツやリーベが作り上げた鳥のように、精密な造りまでは難しかったが、一通りは思い描いたものを、水で作り出すことが出来るようになった。
水の魔法は、基本的にサポート役である。
しかしうまく活用できれば、他の属性ほどではなくても、攻撃を援護することも可能らしい。
相性次第では、他属性の攻撃を相殺することだって出来る。
そう思うと、更に魔法の特訓に精を出すことが出来た。
一方、古代言語の方も、ようやく基礎の終わりが見えてきた。
精霊やエルフが使う古代言語は、単語の発音は勿論のこと、抑揚やアクセントなどの音が主な要素だ。
そこが一番の課題である。
代わりに人間の言葉のように、難しい文法はほとんど存在しない。
単語と単語を繋ぎ合わせて、言葉を作る。
ただし、その繋ぎ合わせる単語や、その順序によって、伝わり方が大きく変わるとか。
まだいろいろと、混乱することが多かったものの、ようやくスタート地点に立てた気分だった。
「――シュトルツから、もらったのか」
古代言語学習の休憩中、僕の隣においてあった手半剣を見たリーベが言った。
「貰ったというか、押し付けられたというか……」
いつの間にか、幌の中にできていた指定席。
正面にいるエーレとその隣に、だらしなく上半身をふちに凭れさせ、足を投げ出して座るシュトルツを、僕はちらりと見た。
彼は今日も、時々音を外しながら、聞いたことのない歌をご機嫌に口ずさんでいる。
一番身長の高い彼の、無駄に長い足が邪魔で仕方ない。
「剣術はある程度できるのだったな」という呟きに近いリーベの声に
「といっても僕がしてたのは、普通の長剣だから両手剣なんですよね」と僕もぼそりと返した。
帝国の貴族男児にとって、剣術の腕は重要視されるものの一つであった。
勿論、皇族の僕も例外ではない。
正直得意ではなかった。苦手と言い換えてもいい。
元々、剣だけに限らず人と争うことが嫌いだった。
なのに、人を殺す道具を握って、戦うなんてもってのほかだ。
僕は隣に置いていた手半剣を、鞘の上からそっと撫でた。
「両手剣と片手剣ではスタイルが全然違ってくる。まぁ、エーレに習うのが一番無難ではあるが……」
リーベの視線の先には、腕を組んで頭を伏せているエーレがいた。
先ほどまでは本を読んでいたのだが、読み終わったのか飽きたのか……
「教えてくれると思います?」
聞かなくてもわかる。答えは否だ。
僕のそんな質問に、リーベは何も言わずに、苦笑だけで応えた。どうやら、リーベも僕と同じ考えらしい。
漆黒の前髪が顔にかかっていて、エーレは起きているのか、寝ているのかわからない。
なんとなく漆のようなその髪を眺めていると、「考えておくから、とりあえず先に体を鍛えて、素振りでもしとけ」と予想外の返答があった。
起きていたらしい。
「僕、片手剣の構えも、正しいフォームも知らないんですけど」
帝国において片手剣は主流ではない。あまり扱っている人を見たことがなかった。
エーレは伏せていた頭を少しだけ持ち上げて、隣のシュトルツを見た。
「ん?」 それに気づいたシュトルツが歌うのをやめて、手を横に振る。
「打ち合いからの指導ならできるけどさ。俺、片手剣の基礎とか詳しくないって!
エーレさんの専門分野でしょ」
どうやら会話はしっかり聞いていたらしい。そのシュトルツがリーベに視線を投げた。
「私も片手剣は詳しくない。知っているだろう?」
リーベも珍しく、首を振って拒否を示した。
そして再び、全員の視線がエーレに集まり、沈黙が流れた。
そんなに人に教えるのが億劫なのか……
最終的にエーレは何故か、幌の奥の方へと顔を向けた。
彼らもそちらへと視線を向けるものだから、僕も釣られてそちらを見る。
勿論、幌の奥には、ミレイユをはじめとする彼女たち三人しかいない。
そこに、「あー」というシュトルツの平坦な声が響く。
僕が反射的に説明を求めてリーベを見ると、彼は困ったように僅かに眉を下げた。
「基礎ならミレイユが教えられるだろ」
「え? ミレイユさんが?」
エーレの口から出た予想外の名前。協会の神徒は、剣術まで習うのだろうか?
彼の指名に「どうして私が……」と、ミレイユの困惑と呆れの入り混じった声が聞こえてきた。
エーレは、もう用は終わったと言わんばかりに、再び頭を伏せる。
この男は護衛対象にまで、僕の鍛錬を押し付けるのか。
同時に奥からため息が聞こえてきた。
「仕方ありませんね。基礎だけなら、私がお教えしますよ」
まさか承諾してくれるなんて思っていなくて「え! 本当ですか!」と、思わず声が跳ねた。
彼女が承諾してくれなければ、エーレの説得に無駄な時間を費やす羽目になっていただろう。
「構えとフォームを教えて、貴方の素振りが安定するまでの間だけですよ」
「ありがとうございます!」
そうして一日に一度、馬車を止めて休憩する間だけ、ミレイユに教えてもらうことになった。
荷馬車の幌の中で、魔法と古代言語、休憩中には素振り、時間があるときには基礎トレーニングと忙しく過ごした。
何故かトレーニングに関しては、シュトルツが積極的に効率のいい鍛え方を教えてくれた。
ミレイユの教え方は丁寧で、素振りに移行して僕のフォームが崩れても、わかりやすく注意点を教えてくれた。
そうしているうちに気が付けば、湖上都市に着いていた。
予定通り十日目の昼過ぎの到着だった。
◇◇◇
’’湖上都市フィレンツィア’’
街全体が、青白い石材や煉瓦造りで統一されていて、水路を中心として建物が並んでいる。
そのため橋も多く、水路には小さな小舟が行き来している様子が、頻繁に見られた。
建物の外壁を蔦や花で綺麗に彩られ、街のあらゆるところに植物や蔦を曲線で描いたレリーフの装飾を見かけた。
陽を浴びて、街全体に淡い光が溶け込んでいる。
全てが洗練されていて、まるでおとぎ話の一説に迷い込んだような、幻想感を醸し出していた。
いつものように最初に宿と取りに行くと、観光名所なだけあって部屋の多くは埋まっており、大部屋を二部屋取って、各自、自由行動となった。
いつもの如く、エーレとシュトルツはさっさと一人行動に移って、どこかへ行ってしまう。
この人たちが僕に心を砕いていたという事実は、本当に存在したのだろうか? と疑いたくすらなった。
「ああ、そうだ。ルシウス、これを」
二人がいなくなってすぐに、リーベは懐から緑色の魔鉱石が吊り下げられたペンダントを手渡してきた。
「土と風を込めた翡翠の魔鉱石だ。数回なら身を守ってくれる。
何かあると私に伝わるようになっているから、肌身離さずつけておいてほしい」
彼の厚意をありがたく受け取り、首から下げた。
身を守ってくれるのは嬉しいし、心強い。
そして何かあったときには、彼に僕に危険があったという事実と、どこにいるのか伝わるということなのだろう。
頼もしい。頼もしいが、なんだか複雑だ。
リーベは僕の首からしっかり魔鉱石が下がっているのを確認するように見ると、「観光にでも行くか?」と提案してきた。
「行きます!」
彼の提案にそんな複雑な気持ちは一瞬で消え去り、考えるよりも先に、前のめりになって答えていた。




