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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
2章

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61/204

僕のための空席

 





 



 彼女が警告のような言葉が闇夜に溶けて消えた。

 途端――その場の空気が変容を起こし、重たくなったような錯覚を覚えた。



 視界が狭くなったのかと思ってしまうほど、辺りに幾重もの幕が覆いかぶさり、さらに闇の気配が濃くなる。


 

 それがその言葉を受けた三人から発せられたものであることを理解するのに時間がかかった。

 異様な空気の中で僕は、彼女が幌の中に消えても、この原因であろう――その背を探していた。




 火が爆ぜる音だけが残った。誰も動かないし、誰も話さない。



 エーレは毛布を抱えたまま、火を見つめているし、シュトルツは僕の肩に手をおいたまま動かない。

 リーベは二人分の毛布を胸に抱えて、ミレイユが去っていった方を見ていた。



 最後のミレイユの言葉が、彼らに打撃を与え、この空気感を生み出したということだけはわかった。



 でも僕には、何のことを言っているのか、‘彼ら”とは誰なのかわからなかった。


 それ以前に、精神的なショックで頭が混乱していて、考えをまとめられる気がしない。



 もう何が何だかわからないし、何をすべきなのか、何が正解なのかもわからない。

 ただ改めて突きつけられた現実と、自分の無力さに、打ちのめされ呆然としていた。



 その中で肩に小さな衝撃が二度あった。

 我に返ってそちらを見ると、シュトルツが首を僅かに傾けて、こちらへ微笑んで見せた。



「ミレイユは説明しただけで、君のことを責めたくて言ったわけじゃないと思うよ。

 責める理由なんてないしね」


「そう……ですね……」



 気遣いを見せる彼に、僕は俯いてそう答えることしかできない。



「俺、暗ーい空気嫌いなんだよねぇ。こういうときは、さっさと寝るに限る。

 ってことで、三刻後に起きるから誰か不寝番よろしく」



 シュトルツはリーベの腕から毛布を一枚取ると、火から少し距離を置いた左側にさっさと地面に寝転がってしまった。


 それに倣うように、リーベも無言で火の前に腰を下ろした。

 次いで乾いた舌打ちが響いて、僕はエーレを見る。


 彼は大きなため息をついて、前髪を掻き揚げると「おい」と僕を見て、顎で火の前を示した。



「座れ」



 彼と火を挟んで向き合う形で座る。通り過ぎていく風に火が大きく揺らめいた。


 春だというのに、体を芯から冷やすような冷たい風だった。

 腕の中で抱きしめていた毛布を肩から被って、それをやり過ごす。



 彼の隣に座り火を見つめるリーベも、僕を見ているエーレもしばらく何も言わなかった。



 エーレと目が合うことを避けて、少しだけ視線を下ろしていると、彼が何か口を開きかけてやめて、を二度ほど繰り返した。


 そしてもう一度、ため息を挟んだ後に、彼はようやく言葉にした。



「俺たちはお前を信用してないだとか、軽んじているから、何も話してこなかったわけじゃない」



 何かを隠すように、抑揚が極限まで抑えられたような――そんな声色。彼は一度、リーベを見た。

 エーレの視線に気づいたリーベは目を伏せたまま、小さく頷くだけだった。



 彼らのこの空気感、エーレが言おうとしていることの輪郭が見えない。


 確かに彼らは僕に何も教えようとしない。

 そのことはずっと不満に思っていたし、不安でもあった。


 しかし何故、唐突にそのことを話しだしたのかわからなくて、続きを待つしかなかった。


 


 闇より深い奈落色の瞳が、まっすぐこちらに向けられる。



「俺たちは一度、選択を誤って仲間を死なせたことがある」



 紡がれた一言が、暗闇の中に穴を空けるように貫いた。

 それは形を保たないまま、鼓膜の中で波紋を広げるように反響する。



 突然の告白を僕は上手く飲み込めないでいた。

 その間にもエーレは続ける。



「必要以上の重荷を背負わせて、そいつは生命力を暴走させた。そのことを後悔している」



 苦々しいものを吐き出したあとのような、少し掠れた声だった。

 エーレが逡巡のようなものと共に、細く吐き出した息の行方は僕にはわからなかった。



 乱れた頭で思考がうまく回らない。



 必要以上の重荷を背負わせることと、生命力が暴走することの繋がりがうまく理解できない。

 彼らの隠している何かが、ひとりの人間を死へと追いやってしまうほどに重いことしかわからなかった。



「だから……」 繋ごうとしたらしい声は夜風に攫われていった。



 見せたことのない様子の彼に困惑を覚えながらも、ただただ言葉の続きを待つしかなかった。


 エーレは一度閉じた口をおもむろに開いた。



「二度と同じ轍は踏まない。そう決めたんだ」



 しかし次に響いたそれは凛としていて、いつもの彼のものだった。

 



 仲間を失った過去――


 打ち明けられた突然の真実に、僕は安堵と困惑が入り混じった思いだった。

 せっかく打ち明けてくれたことではあったけど、混乱する頭にはうまく響かなかった。



 仲間を失ったことがある。

 戦闘に日常をとする者であれば、一度は経験していることかもしれない。


 僕はその環境に身を置いたことがない。

 それもあって、上手く想像は出来なかったし、彼らの痛みもピンとこなかった。



 何を思って唐突にそんなことを打ち明けたのか。

 彼の隠しきれていない‘’何か‘’の正体は、一体何なのか。



 必要以上の荷を背負わせ、結果として生命力を暴走させて死に至ったという過去の仲間。

 二度と同じ轍は踏まないと決意したエーレ。


 詳細を聞かされないままでは、やはり何があったのかもよくわからない。


 それでも一つわかったことと言えば――




「じゃあ」 気が付いたときには口から零れていた。


「僕のために、何も教えてくれなかったんですね」



 この空気感は、深い後悔が生み出したものなのかもしれない。

 僕の言葉にエーレはほんの少しだけ目を見開いた後、目を伏せた。



「お前のため? そういえば、少しは聞こえがいいのかもな」



 嘲笑の入り混じった口調。

 途端、僕は困惑を覚えて、眉を寄せる。



「違うんですか?」


「誰かのためを言い訳に、逃げることも出来る」



 エーレは呟くように言って、嫌そうに顔を顰めた。


 僕は彼の言動の意味がわからなくて、リーベを一瞥すると、彼は思い詰めるような表情で火を見つめていた。

 僕の視線を感じ取ったリーベは、その視線を受けとめたあと、目だけでエーレを見る。



「私たちも色んなことが手探りだ。わからないことも多すぎる。

 貴方にどこまで話していいのか、話すべきなのかも」



 いつか……そう、船の上で彼は同じようなことを言っていた。


 それは僕も常に思っていたことだった。


 けれど、どうしてだろう――



 ‘’やりたいようにやればいい‘’



 リーベの言葉を改めて聞いて、頭に浮かんだのはその言葉だった。

 それに僕自身がハッとする思いだった。


 どうすればいいのかわからない。


 そう悩む自分自身に、対する答えだった。

 答えはいつだって、あまりにもシンプルだ。



 状況は違っても、それを表に見せることはなくても。

 彼らも僕と同じように、何かしらの葛藤を抱えている。そんな当たり前のことを改めて知る。


 どう答えるべきなのか。考えるまでもなく、言葉は口からついて出てきた。



「僕のためでもそうでなくても、心を砕いてくれてありがとうございます。

 過去に何があったのかはよくわからないけど、僕は簡単に潰れるつもりはありません。

 貴方たちの事情も、話してもいいと思うまで、僕は待ちます。

 まぁ、もうちょっと心を見せてくれたら嬉しいなぁとも思いますけど」



 共にした時間は短い。これからもっと長い時間を共にするだろう。

 急ぐ必要はない。今は少しでも彼らの気持ちを知ることが出来ただけで充分だった。



 伏せていた視線を上げると、エーレは僕を見ていた。


 彼の口元が、微かに動いた。笑ったわけでも、怒ったわけでもない。

 片目だけが細くなって、ほんの一瞬、眉を寄せた。


 その表情が何を物語っているのか、僕にはわからなかった。

 しかし彼はすぐに、目を背けて息を吐き出すと、



「まぁ、気が向いたらな」



 口元を僅かにだけ緩めた。


 隣で、僕たちの会話を聞いていたリーベは、視線を斜め下に流しながら目を細める。

 その瞳には、微かな思考の影と、何かを飲み込むような静けさが宿っていた。



 否定では決してない二人の反応は、僕の胸に温かさと、少しの葛藤その余韻を広げていく。


 その余韻に浸ろうと、目を伏せたときだった――





「あー! 漏れる漏れる!」という素っ頓狂な声に、その余韻は見事に打ち消された。



 寝ていたと思っていたシュトルツが勢いよく立ち上がり、股間の辺りを抑えて僕たちを見渡した。



「なんかびみょーにいい雰囲気かなとか、邪魔しちゃ悪いのかと思ってさ。

 ああ! 漏れる漏れる!」



 それだけ言い残して、遠目に見えていた木へと一目散に走っていく。

 そんな彼の後ろ姿を見て、僕は呆れと可笑しさで、大きく声を出して笑ってしまった。


 哄笑の中で、リーベの凛とした声が響いた。



「覚えておいてほしい。貴方は私たちの仲間であることを」


「仲間……?」



 ふと彼の口から出たとは思えない単語を理解するのに数秒かかった。

 


「え、そう思ってくれたんですか?」



 向けられた言葉が嘘ではないことをわかっていたけれど、何故か信じられずに咄嗟にエーレを見る。



「そう思ってなかったら一緒にいねぇだろ」



 当然のような肯定に、ほんわりと胸が温まるようだった。


 それは、歓迎されるはずがないと諦めていた場所で、思いがけず僕のために用意されていた空席を見つけたような――そんな不思議な気分でもあった。



「仲間……仲間かぁ」


「覚えたての言葉みたいに連呼すんな。こっぱずかしいこと言ってねぇで、さっさと寝ろ」



 僕の言葉に、エーレが舌打ちと共に言った。



「なんでですか? 僕は嬉しいです」


「そうかよ」



 エーレはそう言って毛布を被ると、こちらに背を向けた態勢で横になってしまった。



 丁度その時、シュトルツが「はぁ~すっきり」と大きな声をあげて戻ってくる。



「聞いてよ。もう春なのに、こう湯気がさ~」



 両手でよくわからない動作をしながら、放尿過程の説明をし始めたシュトルツにリーベが冷ややかな視線を送ったあと、エーレと同じように寝る態勢に入った。



「ちょ、なんで二人とも寝ようとしてるわけ?」


「そんだけ元気なら、てめぇが不寝番しとけ。俺たちは寝る」



 エーレはそれだけ言うと、早々寝息を立て始めた。



「しょうがないなぁ」と言いながら地面に座り込んだシュトルツは僕を見て、ニヤリと不敵に笑う。



「なんかうまくまとまったみたいで、よかったよかった。

 まぁ、君は()()()()()()()()だからね」


「え、その言い方はちょっと気持ち悪いんですけど」


「え、酷くない? 俺ちょー、いいこといったと思うんだけど」


「なんかエーレの言う通り、元気そうなんで僕も寝ますね」



 いつもの感じに戻って安心したのか、一気に眠気が襲ってきた。

 隣で文句を続けているシュトルツを放置して、僕も固い地面に横になる。



 

 ただ一つを打ち明けられただけで、わからないことはわからないままで。

 全てを飲み込めて、受け入れられたわけではない。



 胸の中には燻って消えない葛藤の火種を感じてはいたが、重くなる瞼に逆らうことはせずに、気が付くと意識を手放していた。




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成長/革命/復讐/残酷/皇族/王族/主従/加護/権能/回帰/ダーク/異世界ファンタジー
― 新着の感想 ―
エーレがようやく少し打ちけてくれて、ようやくか…と一読者視点としても嬉しくなりましたね。それにしても、予想はしていましたがそんなに重い過去をお持ちだったとは。エーレ達のように強くても、ふと気付かぬうち…
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