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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
2章

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断ち切られた’’命の鎖’’

 




 



 僕はもう一度、ミレイユを見る。



「奴隷管理棟って……鉱山都市トルゲンにそんなものがあったんですね」


「私たちは昨日、終身奴隷が収容されている管理棟に行ってきました」




 ’’終身奴隷’’



 奴隷にも、区分で分かれる。

 終身奴隷に堕ちる原因はさまざまであるが、生涯奴隷の身分から抜け出せない奴隷のことだ。


 彼らを見分けることは、簡単だった。



 右肩の後ろ――肩甲骨の上部には、奴隷印が刻まれてある。



「貴方も御存知のように、終身奴隷の大半が過酷で危険な労働を強制されます。

 通常の鉱夫のような、治療を受けることはありません。

 何故なら、彼らは死ぬまで働き続ける道具でしかない。使い捨ての道具に治療は不要ですからね」



 淡々と、ただ事実を語るような口調。

 しかし、その口から紡がれた内容は、神に仕える者の言葉だとは思えなかった。



 治療を受けることは出来ず、まともな寝食も与えられずに、命が尽きるその瞬間まで道具のように働かせる。

 頭の芯がジンとして、体が震えた。



「僕を連れて行ってくれなかったのは……」



 そんな奴隷たちを見たら、僕は冷静ではいられないだろう。

 冷静さを欠いた僕は、足手まといになるかもしれない。


 昨日の診療所だけでも、僕はショックを受けたのだ。


 ミレイユが数秒口を閉じて、ちらりとエーレを見るような気配があった。



「私たちは、そこに治療だけをしに行ったのではありません」


「じゃあ、何を……」



 治療だけではない。そのほかに、何かすることがあった?



「希望を捨てずに、生きようとする者には治療を、それ以外の――死を望む者は、その命の鎖を断ち切りました」



 命の鎖?

 それは……つまり……



 僕は思わず、エーレを見た。

 彼が顔を険しくして眉を寄せたのを、火が照らし出す。その目が少し伏せられて、同時に舌打ちが聞こえた。



「奴隷印には契約が刻まれている。命の鎖――あいつらは、自死することも叶わない。

 それを断ち切ったまでだ」


「そんな……どうして……」



 たとえ奴隷だとしても、死を望んだとしても、殺すなんて……


 聖女もその場にいたのに、エーレたちだって、誰よりも強大な力を持っているのに。

 もっと他に方法が、助けられる方法があったはずだ。


 なのに、どうしてそんな当たり前のように、殺しただなんて……



 動揺して、言葉が続かなかった僕を見て、エーレが苦笑を飛ばした。



「お前は、あいつらの現実を知らないだけだ。

 あいつらには人権がない。虐げられ、嬲られ、辱められる――死ぬまでだ。

 病に侵されながら、死ぬまで過酷な生活を強いられる。

 死を望んでも、自死は出来ない。

 そんな死よりも辛い生き地獄を、お前は知らない」



 こちらを射るように見つめる黒曜の瞳。

 そこには、怒りと憎しみが渦巻いているように見えた。


 僕は、その言葉と向けられた視線に、息を呑んだ。



「僕は……」



 知らない。僕は、確かに知らない。

 想像も出来ない。



「でも……それでも……」



 船の中――貨物室で、僕が亜人の奴隷に言いたかった言葉が頭に過った。



 ――生きて、生きて待っていてほしい――



 そうだ、この国の在り方が変われば。

 この先また、奴隷制度が廃止にさえなれば。


 それまで、どうにか生きてさえいてくれれば……



「治療は完璧にしてきました。管理棟の者の許可もとっています。

 死は上手く偽装してきましたし、問題もありません」



 狼狽を隠せない僕に、ミレイユが淡々と冷静に告げた。

 そんな彼女の声色も言葉も、僕にはあまりにも非常で冷酷で、異様なものに聞こえた。



 人権のない奴隷――


 そんな風に簡単に、命の鎖を断ち切ったと言ってのけた彼女たちこそが、奴隷を物のように思っているようにすら聞こえる。

 まるで、必要のなくなった物を捨てたみたいに。



「違う、そうじゃなくて、そんなのが聞きたいんじゃなくて……

 ミレイユさんは、神徒なんじゃないんですか?

 どうして、そんなことを……どうして、止めなかったんですか?」



 ミレイユを責めるのは、違うとわかっていても、言葉を止められなかった。



 レヒト教会の神徒――それは、救いの象徴ではなかったのか?


 傾かない天秤。民に公平に救いを与える。それがレヒト教会の神徒ではないのか?



「提案をしたのは、私だと申し上げたはずです。

 それに、その場にいた全員の総意でもあります」


「だから、どうして……」



 ミレイユが息を吐き出したように、肩を落とした。



「では尋ねますが。貴方は望まぬ者に治療を施し、再び、死よりも辛い現実を味わわせるのが、正義だと……そう言いたいのですか?」



 そうじゃない。そんなことではない。

 僕は力なく、首を何度も振った。



「そういうことじゃ……もっと根本的な、もっと他に方法があったんじゃないんですか?」



 言葉尻が、萎んでいった。


 その言葉を聞いて、今度こそミレイユは大きくため息を吐きだした。

 僕は咄嗟に彼女を見る。



 すると、彼女はエーレを見ていた。

 その視線の先を辿ると、エーレもミレイユを見ていて、心底面倒くさそうにしながら、顎をしゃくった。


 ミレイユは緩く首を振ると続ける。



「その方法とは、何でしょう?」


「それは……僕にはわからないけど、貴方たちなら、もっと、どうにかできたんじゃないかって」


「随分と、都合の良い考え方ですね。ここは、お伽噺の世界ではありませんよ。

 確かに、奴隷を買い取る。そんな方法もあります。

 けれど、買い取ってどうしますか? 可哀想だと同情して、その度に奴隷を買い取りますか?

 それに、国に所有されている終身奴隷は、そう簡単に買い取れないのが現状です。

 私たちの権限で、奴隷の解放、もしくは逃亡ほう助なんてものを考えたのなら、そんな空想は捨てるべきです」



 ミレイユの声が痛くて、耳に入ってこない。

 何も言えなかった。

 僕が、何も言わないことを知った彼女は続けた。



「理想を語るのは結構です。けれど、それは現実を見失わせる麻薬であってはいけません。

 見誤り続ければ、それはいつか貴方やエーレたち(かれら)の進む道を足元から崩す、楔となるでしょう」



 聞きたくない。ミレイユの一言一句は、鋭利なナイフのように、胸に深く突き刺さった。


 視線はいつの間にか地面に落ちていて、そこから少しもあげることは出来なくなっていた。

 ただ足元で小さく揺れる、誰かの影を見ていた。




 わかってる。わかっているはずだ。

 僕が何も持たず、なのに理想だけを掲げて、希望を見出そうとしているなんてことは。



 でも、それでも……

 どうしても、納得できない。



 気が付けば両手を強く握りしめて、肩が震えて止まらなかった。

 胸に渦巻く感情の正体が、何なのか――


 あらゆる感情が、がんじがらめになっていて、もう何が何だかわからない。


 その時、震える肩に温かさが落ちてきた。



「いじめるのは、それくらいにしてあげてよ」



 頭上からした声で、肩に置かれた手がシュトルツのものであることを知った。

 彼の手の温かさが全身に広がって、震えが収まっていくのを感じる。


 数秒流れた沈黙のあと、前からため息が聞こえた。



「これでは私が悪者ですね」


「いやまぁ、そら俺たちが悪いんだけどさ。もう少し、言い方ってものがさ?

 ルシウスは箱入りでちょー繊細なんだから、真綿で包んであげるように教えてあげなきゃ」



 不満げな声色のミレイユに、シュトルツは飄々とした返答だった。

 いつもの彼のそんな口調が、今の僕には有難かった。



 徐々に全身の強張りが解けていき、握っていた拳も、ゆっくりと力が緩まっていく。

 時間をかけて恐る恐る顔をあげると、ミレイユはまだこちらを見ているようだった。


 しかしそこには、先ほどまでの冷ややかさも、厳しさも感じられない。



「語弊があったようですが、私は昨日の私たちの行動が正しいとは思っていません。

 私たちには、何かを成す力がまだない。それだけの話です」



 ミレイユはそういうとフードを深く被りなおして、僕の隣を通り過ぎていく。

 僕は、自然と彼女の姿を目で追ったが、何も言えることはなかった。


 その場の全員が、何も言わずに、彼女を見送ろうとした。



「ああ」と、彼女は思い出したように言葉を漏らして、振り返らずに言った。



「大切なものを大切にしすぎて、壊してしまわないようお気を付けください。‘’彼ら‘’のように」



 ミレイユはそれだけ言って、幌の方へと立ち去ってしまった。




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成長/革命/復讐/残酷/皇族/王族/主従/加護/権能/回帰/ダーク/異世界ファンタジー
― 新着の感想 ―
ここに来てかなり残酷な内容…セラノの亜人の時もなかなかでしたが、今回のは特に、胸がキュッと締め付けられるような残酷さがあったな… ルシウスのが、自分では叶えられない理想をエーレやミレイユに訴えかける…
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