断ち切られた’’命の鎖’’
僕はもう一度、ミレイユを見る。
「奴隷管理棟って……鉱山都市にそんなものがあったんですね」
「私たちは昨日、終身奴隷が収容されている管理棟に行ってきました」
’’終身奴隷’’
奴隷にも、区分で分かれる。
終身奴隷に堕ちる原因はさまざまであるが、生涯奴隷の身分から抜け出せない奴隷のことだ。
彼らを見分けることは、簡単だった。
右肩の後ろ――肩甲骨の上部には、奴隷印が刻まれてある。
「貴方も御存知のように、終身奴隷の大半が過酷で危険な労働を強制されます。
通常の鉱夫のような、治療を受けることはありません。
何故なら、彼らは死ぬまで働き続ける道具でしかない。使い捨ての道具に治療は不要ですからね」
淡々と、ただ事実を語るような口調。
しかし、その口から紡がれた内容は、神に仕える者の言葉だとは思えなかった。
治療を受けることは出来ず、まともな寝食も与えられずに、命が尽きるその瞬間まで道具のように働かせる。
頭の芯がジンとして、体が震えた。
「僕を連れて行ってくれなかったのは……」
そんな奴隷たちを見たら、僕は冷静ではいられないだろう。
冷静さを欠いた僕は、足手まといになるかもしれない。
昨日の診療所だけでも、僕はショックを受けたのだ。
ミレイユが数秒口を閉じて、ちらりとエーレを見るような気配があった。
「私たちは、そこに治療だけをしに行ったのではありません」
「じゃあ、何を……」
治療だけではない。そのほかに、何かすることがあった?
「希望を捨てずに、生きようとする者には治療を、それ以外の――死を望む者は、その命の鎖を断ち切りました」
命の鎖?
それは……つまり……
僕は思わず、エーレを見た。
彼が顔を険しくして眉を寄せたのを、火が照らし出す。その目が少し伏せられて、同時に舌打ちが聞こえた。
「奴隷印には契約が刻まれている。命の鎖――あいつらは、自死することも叶わない。
それを断ち切ったまでだ」
「そんな……どうして……」
たとえ奴隷だとしても、死を望んだとしても、殺すなんて……
聖女もその場にいたのに、エーレたちだって、誰よりも強大な力を持っているのに。
もっと他に方法が、助けられる方法があったはずだ。
なのに、どうしてそんな当たり前のように、殺しただなんて……
動揺して、言葉が続かなかった僕を見て、エーレが苦笑を飛ばした。
「お前は、あいつらの現実を知らないだけだ。
あいつらには人権がない。虐げられ、嬲られ、辱められる――死ぬまでだ。
病に侵されながら、死ぬまで過酷な生活を強いられる。
死を望んでも、自死は出来ない。
そんな死よりも辛い生き地獄を、お前は知らない」
こちらを射るように見つめる黒曜の瞳。
そこには、怒りと憎しみが渦巻いているように見えた。
僕は、その言葉と向けられた視線に、息を呑んだ。
「僕は……」
知らない。僕は、確かに知らない。
想像も出来ない。
「でも……それでも……」
船の中――貨物室で、僕が亜人の奴隷に言いたかった言葉が頭に過った。
――生きて、生きて待っていてほしい――
そうだ、この国の在り方が変われば。
この先また、奴隷制度が廃止にさえなれば。
それまで、どうにか生きてさえいてくれれば……
「治療は完璧にしてきました。管理棟の者の許可もとっています。
死は上手く偽装してきましたし、問題もありません」
狼狽を隠せない僕に、ミレイユが淡々と冷静に告げた。
そんな彼女の声色も言葉も、僕にはあまりにも非常で冷酷で、異様なものに聞こえた。
人権のない奴隷――
そんな風に簡単に、命の鎖を断ち切ったと言ってのけた彼女たちこそが、奴隷を物のように思っているようにすら聞こえる。
まるで、必要のなくなった物を捨てたみたいに。
「違う、そうじゃなくて、そんなのが聞きたいんじゃなくて……
ミレイユさんは、神徒なんじゃないんですか?
どうして、そんなことを……どうして、止めなかったんですか?」
ミレイユを責めるのは、違うとわかっていても、言葉を止められなかった。
レヒト教会の神徒――それは、救いの象徴ではなかったのか?
傾かない天秤。民に公平に救いを与える。それがレヒト教会の神徒ではないのか?
「提案をしたのは、私だと申し上げたはずです。
それに、その場にいた全員の総意でもあります」
「だから、どうして……」
ミレイユが息を吐き出したように、肩を落とした。
「では尋ねますが。貴方は望まぬ者に治療を施し、再び、死よりも辛い現実を味わわせるのが、正義だと……そう言いたいのですか?」
そうじゃない。そんなことではない。
僕は力なく、首を何度も振った。
「そういうことじゃ……もっと根本的な、もっと他に方法があったんじゃないんですか?」
言葉尻が、萎んでいった。
その言葉を聞いて、今度こそミレイユは大きくため息を吐きだした。
僕は咄嗟に彼女を見る。
すると、彼女はエーレを見ていた。
その視線の先を辿ると、エーレもミレイユを見ていて、心底面倒くさそうにしながら、顎をしゃくった。
ミレイユは緩く首を振ると続ける。
「その方法とは、何でしょう?」
「それは……僕にはわからないけど、貴方たちなら、もっと、どうにかできたんじゃないかって」
「随分と、都合の良い考え方ですね。ここは、お伽噺の世界ではありませんよ。
確かに、奴隷を買い取る。そんな方法もあります。
けれど、買い取ってどうしますか? 可哀想だと同情して、その度に奴隷を買い取りますか?
それに、国に所有されている終身奴隷は、そう簡単に買い取れないのが現状です。
私たちの権限で、奴隷の解放、もしくは逃亡ほう助なんてものを考えたのなら、そんな空想は捨てるべきです」
ミレイユの声が痛くて、耳に入ってこない。
何も言えなかった。
僕が、何も言わないことを知った彼女は続けた。
「理想を語るのは結構です。けれど、それは現実を見失わせる麻薬であってはいけません。
見誤り続ければ、それはいつか貴方やエーレたちの進む道を足元から崩す、楔となるでしょう」
聞きたくない。ミレイユの一言一句は、鋭利なナイフのように、胸に深く突き刺さった。
視線はいつの間にか地面に落ちていて、そこから少しもあげることは出来なくなっていた。
ただ足元で小さく揺れる、誰かの影を見ていた。
わかってる。わかっているはずだ。
僕が何も持たず、なのに理想だけを掲げて、希望を見出そうとしているなんてことは。
でも、それでも……
どうしても、納得できない。
気が付けば両手を強く握りしめて、肩が震えて止まらなかった。
胸に渦巻く感情の正体が、何なのか――
あらゆる感情が、がんじがらめになっていて、もう何が何だかわからない。
その時、震える肩に温かさが落ちてきた。
「いじめるのは、それくらいにしてあげてよ」
頭上からした声で、肩に置かれた手がシュトルツのものであることを知った。
彼の手の温かさが全身に広がって、震えが収まっていくのを感じる。
数秒流れた沈黙のあと、前からため息が聞こえた。
「これでは私が悪者ですね」
「いやまぁ、そら俺たちが悪いんだけどさ。もう少し、言い方ってものがさ?
ルシウスは箱入りでちょー繊細なんだから、真綿で包んであげるように教えてあげなきゃ」
不満げな声色のミレイユに、シュトルツは飄々とした返答だった。
いつもの彼のそんな口調が、今の僕には有難かった。
徐々に全身の強張りが解けていき、握っていた拳も、ゆっくりと力が緩まっていく。
時間をかけて恐る恐る顔をあげると、ミレイユはまだこちらを見ているようだった。
しかしそこには、先ほどまでの冷ややかさも、厳しさも感じられない。
「語弊があったようですが、私は昨日の私たちの行動が正しいとは思っていません。
私たちには、何かを成す力がまだない。それだけの話です」
ミレイユはそういうとフードを深く被りなおして、僕の隣を通り過ぎていく。
僕は、自然と彼女の姿を目で追ったが、何も言えることはなかった。
その場の全員が、何も言わずに、彼女を見送ろうとした。
「ああ」と、彼女は思い出したように言葉を漏らして、振り返らずに言った。
「大切なものを大切にしすぎて、壊してしまわないようお気を付けください。‘’彼ら‘’のように」
ミレイユはそれだけ言って、幌の方へと立ち去ってしまった。




