冷える熱
城から逃げ出し、魔物に襲われていたところを助けてくれた男たち――エーレ、シュトルツ、リーベに成り行きでついていくことになったユリウス。
街道を逸れて、森を突き進む彼らのあとに渋々続くことになる。
昼に半刻ほどの休憩を入れただけで、あとは一度も休まずに歩き続けた。
ユリウスは彼らについていくので精一杯で、疑問を口にする余裕も、思考を回す余裕すらなくなってきていた。
足元が悪い上に、木に囲まれていて、もうどの方角へ向かっているのかわからない。
エーレが枝をナイフで切り払っていく音と、四人分の足音が、延々と耳に響いていた。
息を切らして歩くユリウスとは打って変わって、彼らの余裕のある足取りは変わることはなかった。
陽が傾き始めたころ、疲れからぼんやりしていた思考が一瞬、冴える感覚に襲われた。
なんで僕は素性も知らない人たちと、道なき道を歩いてるんだろう。
どうしてこんな辛い思いをしながら、彼らについていってるんだろう――
ふと仰いだ空は、黄昏模様に染まっていた。
誰かが答えてくれるわけでもない――そんなこと考えを巡らせていた時、森が開けた先に小さな集落が見えた。
歓喜の声をあげたくなった。
――やっと休める……!
そう思ったのも束の間、彼らは集落に見向きもせずに、通り過ぎていこうとする。
ユリウスは残り僅かな体力を振り絞って、エーレの前に進み出た。
「待ってください! ここで休むんじゃ……」
歩を止めたエーレの深淵のような瞳が、ユリウスを捉える。
彼は沈黙したまま、集落をちらりと見て、数歩後ろにいるシュトルツへと視線を投げた。
その視線に応えるように、シュトルツが前に進み出てくる。
「屋根があるかないかの違いだから、ね?」
そんなわけのわからない説得と共に、肩を叩いてきた。
その僅かな間に、隣を通り過ぎたエーレを見て、ユリウスはもう一度、その背を止めることは出来なかった。
もう嫌だ。今すぐこの場に座り込んで、子供のように駄々をこねたい。
地面に転がってジタバタしたい――
そんな衝動を抑えるので、精一杯だった。
陽が沈み切る直前で、ようやく彼らは足を止めた。
ユリウスは体力と我慢の限界で、地面へと崩れ落ちるように腰を下ろした。
彼らは地面が乾いている場所を選び、どこかから拾って来た、薪代わりの枝を積み上げ、魔法で火を起こす。
そうして、やっと火を囲んで、腰を下ろしていた。
ユリウスはもう、何も言う気力がないほど、疲れ切っていた。
渡された水を全て飲み切る。一緒に渡された携帯食料は、口にする気がおきなかった。
正面には、姿勢正しく座っているリーベ。右手には、木に背中を預けたエーレ。
左手には、すでに仰向けに寝転がり、空を眺めているシュトルツ。
食事をしている間は最低限の会話があったのに、やることがなくなると会話も途切れてしまった。
仲が良いのか、悪いのかわからない。
必要以上の会話をせずとも、意思疎通がとれているようにも思えるし、話すことがないくらい、お互いに興味がないようにも見える。
彼らは何者なんだろう――再び頭に過ったが、もう考えるのも辛かった。
汚れることなんて気にする余裕もなく、地面に体を投げ出す。
固いはずの地面に、体が沈み込んでいくような感覚を覚えた瞬間、意識が途切れた。
パチパチと薪が爆ぜる音が、森の静けさを更に引き立てていた。
ふと目が覚めると、まだ辺りは暗かった。
熟睡したせいか、頭はすっきりしている。
体を起こすと、いつの間にか毛布が、かけられていたことに気づいた。
歩きすぎたせいなのか、固い地面で寝たせいなのか――体の節々が痛かった。
すぐ近くでは、三人が眠っていた。
リーベとエーレは、ユリウスがそうしていたように、地面に体を預けて、毛布をかぶっている。
シュトルツは、眠る前にエーレが凭れていた木に背中を預けて、毛布を肩から羽織っていた。
頭を伏せている彼も、眠っているように見える。
闇の中で、赤い炎だけが存在を主張するように、ユリウスの影を揺らした。
この状況は何なのだろう――
炎を眺めていたユリウスへと、もう一人の自分がどこかからか、そう呟いているような気がした。
思考が渋滞している。整理する必要を感じて、今までの状況を思い浮かべた。
まず、追手に追われた森の先で、魔物と遭遇して彼らに助けられた。
恐れていた追手は彼らによって、片付けられた。
それが退けただけなのか、始末したのかはわからない。
そして彼らは、ユリウスに同行を求め、押し切られる形で、ついて行くことになった。
そこから一つずつ、疑問を上げてみることにした。
魔物の脅威から助けられたとき、彼らは何故、あんな夜更けに森の中にいたのか?
偶然とは、考えにくいと思っていた。
けれど、こうして森の中を突き進んでいるのを見ると、やはり偶然とも思える。
彼らはどこに向かっているのか? 街道の向かった先は南だった。おそらく南下している。
彼らの正体は? 彼らはどうして、ユリウスを連れていくのか?
一番の疑問であり、問題はここだった。
もしかして彼らは、ユリウスの正体を知っていて、連れ戻そうとしているのでは?
そうすると、追手を片付けた理由がわからない。
表立って皇帝がユリウスを探している様子はない。
皇帝が何を考えているのか――けれど、一国の皇太子が逃げ出したなんて、到底公表できる内容でもないから当然なのかもしれない。
いや……もしかしたら……
ユリウスは眠る三人を、ゆっくりと眺めた。
皇帝は目的のためなら、手段を選ばない人だ。
秘密裏に捜索、保護の依頼を各所に出している可能性は高い。
ユリウスが各主要都市を避けてきた理由は、それだった。
密かに通達がきていても、何らおかしくない。
むしろ皇帝にとって、‘’今のところ唯一‘’であったユリウスを、探さない方がおかしいとも思える。
彼らは、ユリウス保護の手柄を独り占めにしようとして、追手を片付けたのではないか?
そして、この先にあるのは、湾港都市レネウスだ。
そこで引き渡すつもりかもしれない。
背筋に、嫌な予感が這い上がってくる感覚がした。
静まり返っていた森の中で、梟の鳴き声が、ふいに聞こえた。
ホーホーと低く、何かを警告するかのような響きが、冷たい空気の中に漂った。
言い知れない恐怖に、今すぐ立ち上がって、逃げ出したい衝動に駆られる。
彼らに勘づかれてはいけない。
ユリウスは一度、大きく深呼吸をすると、毛布を羽織ったまま気配を消して、立ち上がった。
前で揺らめく火の爆ぜる小さな音が、気配を包み隠してくれることを祈った。
眠っている彼らを、そっと窺う。
たしか集落は、シュトルツのいる木の方向だ。
ユリウスは、そっと足を忍ばせながら、彼の隣を通り過ぎた――
「どーこいくの?」
背後から突然、かかった声にびくりと体が跳ねる。
いつの間に起きたのだろうか。
緊張と後ろめたさを隠しながら、そっと首だけ振り返った。
数歩後ろには、こちらを見ているシュトルツ。
口元は笑っているように見える。けれど、瞳は全てを見通しているかのように、闇の中で怪しく光っていた。
「いや、ちょっと用を足しに……」
咄嗟に、言い訳が口をついて出た。
「そんな、足音殺して?」
「起こしちゃうかなー……とか」
にっこりと微笑む彼は、首を緩やかに傾けた。
――彼らは、僕を皇帝に突き出そうとしている。
そう思い込むと、もう彼の全ての言動が恐ろしくて、いてもたってもいられなくなった。
駆けだそうと地面を蹴ったとき、後ろからぐいっと首元を引っ張られて、大きく後ろへ態勢が崩れる。
「まぁ、ちょっと落ち着けって」
耳元で、彼の声がした。
いつの間に、こんな近くにきたのだろうか。
一瞬、体が固まったが、すぐさま彼の手から逃れようと藻掻いた。
しかし、固定されているように一歩も動けず、襟元を後ろから掴まれているせいで、首だけが締まった。
「何をどう勘違いしてるのかわかんないけど、俺たちは君の敵じゃないよ」
その言葉と同時に、強く掴まれていた感覚がするりと抜けた。
反動で前へ投げ出されそうになったユリウスは、反射的に前へと踏み出し、どうにか転倒を避けると、ぎこちない体勢のまま振り返る。
そこにはもう、木の根元に座っていたシュトルツがいた。
目が合うと、彼は軽く手招きし、隣をとんとんと叩いてみせた。
離れた彼を見て、躊躇った。
けれど、ここで再び背を向けて走り出そうとしたところで、再び捕まるに違いない。
ユリウスはそう諦めて、彼の隣へ向かった。
「不安にさせたみたいだね、謝るよ」
ユリウスが隣に座ると、すぐに彼は言った。
その言葉に何を言うべきかわからず、咄嗟に言葉は出なかった。
「君の事情も、今置かれている状況も、よーくわかってる」
唐突に打ち明けられた言葉――それが頭の芯に響いて、全身を冷やす。
緩やかに広がっていく衝撃が、思考を麻痺させた。
彼の真意を確かめるべく、そちらを見るどころか、前で揺れる炎から視線を離すことが出来なくなった。
「俺たちが何者で、どうして君を連れ歩いているのか、不安だろうけどさ。
今は、それは言えないんだ。
君も余裕がないだろうし、話すことで君をもっと追い詰めることになるかもしれない。
とりあえず、君が考えているようなことは絶対に起こらないから、一旦、俺たちを信じてついてきてくれないかな?」
「信じるって、何を信じればいいんですか……」
止まった思考の中で、どうにかその言葉を絞り出した。
結局、彼は何一つ、明かしてない。ユリウスのことを知っていると言っただけだ。
そんな彼の、何を信じろというのか。
「まぁ、そう言われると……困っちゃうよねぇ」
隣で、彼が木に頭を預けて、空を仰ぐような気配があった。
その声は少し揺れていて、困惑が滲み出ているようにも聞こえた。
それに気づいたユリウスは、ようやくシュトルツを見ることが出来た。
「僕の思っているようなことってなんですか? 本当に起こらないんですか?」
短い沈黙を挟まれた。
彼は一度瞑目した後、ゆっくりと頭を起こして、こちらを見た。
「……約束するよ。俺たちといる間は、君が恐れていることは起きない。
だから追手も片付けたでしょ?」
ふと、先ほどの憶測が、頭に浮かんだ。
「手柄を独り占めしようとしてたんじゃ……」
言葉にしたあとで、失言にハッと口をつぐむ。
「手柄?」
彼は首を傾げて、おうむ返しした後、「あー」と声をあげて、小さく笑った。
「君、想像力豊かだねぇ」
その言葉に、全身の体温が急激に上がっていくのがわかった。
疑心に駆られて、勘ぐりすぎたのかもしれない。
可笑しそうに細められた瞳が向けられて、膨れ上がってくる羞恥を追い払うために、大きく首を振る。
「仕方ないじゃないですか!」
思わず大きな声が出て、静まり返った森の中に響いた。
「うるせぇ……何時だと思ってんだ」
余韻の中で低く唸るような声が転がる。視界の先で黒髪が不機嫌そうにこちらを見た。
「あ、エーレさん起きた? 丁度、交代時間だけど」
一瞬にして、声色を変えたシュトルツ。
「交代?」
一体、なんの交代時間だというのか。
「野営に不寝番はつきものでしょ? 結界は張ってあるけど、一応ね」
シュトルツは木の側を離れて、エーレの元へと行く。
羞恥で火照った体が、一気に冷めていく気がした。
この男は、ユリウスが起きる前から眠ってなんていなかったのだ。
どうして、寝たふりなんかをしたのだろうか?
もう一度、眠りにつこうとするエーレを、起こしているシュトルツ。
その背を見て、沈みかけていた疑心が再び、浮上していくのを感じた。




