鉱山都市トルゲン
村での宿泊と野営を交互に繰り返し、予定通り六日目の昼に、鉱山都市――トルゲンに到着した。
五日間は特にこれといった問題もなく、漂っていた緊張感や気まずさは、時と共に解消されていった。
問題というほどではないが、あえて言うなら、野営のたびに、シュトルツが野生動物を捕まえてきて、血抜きして焼いただけの肉が食事に加わったくらいだ。
彼にとってそれは、ストレス解消の手段だったのかもしれない。
鉱山都市トルゲンに入ってしばらく歩いたが、街に人通りは少ない。
石造や木造の頑丈そうな建物が多く並んではいるものの、今まで見てきた街と比べると全体的に質素に見えた。
空気も乾燥していて、埃っぽい。
「あれ? ここには、レギオンがあるんですね」
街の中心部に、見覚えのある看板を見つけた。
たしか、交易都市では見かけなかった気がする。
「交易都市にも一応、依頼のための受付はあったんだ」
いつものように、リーベが教えてくれた。
中規模都市に、宿が併設されたレギオンがあるのは稀らしい。
どこの街でも、基本的に依頼のための受付は存在している。
中規模鉱山都市であるトルゲンにレギオン支部があるのは、この先の湖上都市――フィレンツィアに、レギオン支部を置くことを断念したからだと言う。
湖上都市。
その名前の通り、都市の近くに巨大な湖があり、それは自然文化遺産として登録されている。
’’ヴェリタス湖’’――それは、僕も知っている有名な湖だった。
つまり、フィレンツィアは観光名所であり、そこに争いを象徴するようなレギオンの配置は景観を損ね、無骨な格好をしたクランの人たちは、観光者を遠ざける原因となる。
そういった、反対の声が多数寄せられたのだとか。
代わりに、このトルゲンにレギオン支部が配置されることになったそうだ。
僕たちは、レギオン支部の頑丈な鉄の扉をくぐり、護衛対象である彼女たちに大部屋を一つ。
カロンはいつもと同じように、個室を二つと相部屋を一つ借りた。
鍵を受け取ると、エーレは彼女たちに振り向きながら言った。
「おい、俺は今から診療所に行く。手を貸せ」
「私の名前は”おい”ではありません」
上役である、中央の彼女がきっぱりと告げた。
「名前なんて……」 エーレは言いかけて、誤魔化すようにため息をつくと「俺は、お前たちの名前すら聞いていない」と言い直した。
「ミレイユとお呼びください」
「ミレイユ様……!」
名乗った彼女に対して、隣のうちの一人が激しく狼狽を見せた。
お茶を勧めてくれた方の女性は、ただ冷静に成り行きを見守っているようだった。
「荷物を置き次第、私も向かいます」
「護衛を一人置いていく。俺は先に行ってる」
ミレイユとエーレの間で短いやりとりが交わされ、あっという間に散り散りになった。
エーレは部屋に向かうことなくレギオン支部を後にし、シュトルツは上の階へと上がっていく。
ミレイユと名乗った彼女とその付き添い二人も、シュトルツに続き階段へと向かっていく。
「あの、リーベ」
「言いたいことはわかってる」
置いてけぼりは、いつものことだ。もう慣れてきて、苛立ちすら感じない。
リーベも相変わらず僕の保護者役が、暗黙の了解になっている。
「とりあえず荷物を下ろして、食事にしよう。
診療所に行くのは、それからでも遅くない」
昼食には、もう遅い時間になってきていた。
とりあえず、お腹を満たしてから詳細を聞くことにしよう。そう思って、リーベの言葉に頷いた。
この街の近くにある’’ドレイス鉱山’’では、主に、石炭や鉄鉱石から始まり、銅、鉛、銀の鉱石のような、生活に欠かせない、多くの種類の鉱石が採れるらしい。
昔は小規模な採掘しか行われていなかったが、十年ほど前から、国がこの大規模な採掘を開始したそうだ。
それに伴い、急激に鉱夫の需要が高まり、人が増加した。そして、中規模都市にまで拡大した。
しかし、鉱山内の採掘は、常に危険が伴うことは勿論、鉱夫特有の病気がある。
中でも鉱夫のほとんどが、じん肺を患っており、金属中毒患者も多数いるらしい。
坑道内は、風の魔鉱石で換気は常に行っているし、あらゆる対策も行ってはいるが、患者数は年々増えていき、設置されている診療所も、派遣されている光魔法の使い手も、圧倒的に足りないのが現状だとか。
リーベ曰く、「この街は国への貢献度は高い。なのに、働き手への補助も補償も全く足りていない」とのことだ。
それでもこの街に鉱夫が集まるのは、賃金が高いから。それに尽きる。
出稼ぎでやってきて、この街に根を下ろした人が大半らしい。
そういった人たちの患者を収容している診療所に、エーレは治療に向かったという。
レネウスの一件が頭に過った。
慈善事業――そう終わらせてしまえばいいと思う。
けれど、それだけで終わらせられるほど、単純なものではない気がした。
彼の正義は一体、どこにあるのだろう……
僕は、エーレの考えていることが、全くわからない。
食事を済ませて、僕とリーベも診療所にいくことにした。
リーベは、その前に商業区によると言い、いくつかの魔鉱石を購入していた。
診療所は、住宅区の外れ――鉱山労働区に近い位置にあった。
なんの変哲もない、石造りの白い建物だった。
かなりの人数を収容できる大きさに見える。
扉をくぐった途端、嗅ぎなれない匂いが鼻腔をついた。
金属と土、薬草や消毒液、鉱夫たちの汗の匂い。
視線をあげると、そこには床に寝かされた、数多くの鉱夫たちで埋もれていた。
これじゃまるで――戦場だ。
無意識に、ごくりと唾を飲み込んだ。
足が自然と止まる。進む勇気はなかった。
無機質な建物の中に、絶望と死の空気が満ちている。
鉱山の採掘とは、これほどまでにリスクのある職業だなんて、知らなかった。
当たり前のように手に入る、生活に欠かせない金属類は、この人たちの犠牲の上に成り立っていたなんて……
こんなにまでなってでも、お金を稼がなければいけない生活とは一体なんなのだろう。
城で当たり前のように見かけた、金や銀で彩られた壁や装飾品を思い出したのを最後に、頭の中が真っ白になった。
現実を受け入れることを、頭は咄嗟に拒否した。
知らない。僕は知らなかった。知りたくなかった。
――無知であることに、甘んじるな――
不意に、エーレの言葉が頭の中で反響した。
目を逸らすために、知らないうちに伏せていた頭を、ぐっと持ち上げる。
同時に肩に小さな温かさを感じて、その方向へ顔をあげると、リーベが先を見ていた。
視線の先には扉がある。
先に進んだリーベを見て、僕はどうにか動揺を抑えて、それに倣った。
奥に進むにつれ、膨大な生命力の波動が、部屋の外まで流れ出しているのを感じた。
躊躇いなく扉を開けたリーベに続いて部屋に入ると、先ほどよりも広い部屋に、やはり人が敷き詰められていた。
その中央にミレイユ。変わらず、フードを目深に被ったままだ。
部屋の奥には、エーレとシュトルツがいた。
三人が行使する魔法の波動に当てられて、一瞬、視界が揺らいだ。
レネウスに比べると、これくらいなんともない。そう自分に言い聞かせて、深呼吸を繰り返すと、しばらくして落ち着くことが出来た。
そのタイミングで、一息ついたらしいエーレが「きたか」と、こちらを見た。




