情報屋トラヴィス=ヴィクちゃん?
ユリウスを含む、カロンの4人は密護衛の最中だった。
フードを深く被って、正体のわからない3人の女性の護衛――その途中に暗殺ギルドに襲われる。
難なく、それをやりすごした彼らは、交易都市ラデスタに入った。
そこでエーレに連れられて、ユリウスはムキムキの女性言葉を話す、謎の男と引き合わされる。
通された部屋は質素なものだった。
’’いいことをする’’も何も、ベッドなんてないし、地下だから当然窓もない。
テーブルを挟むように両側にあるソファーと部屋の隅にキャビネット、その上にテーブルランプがあるだけだった。
扉に背を向けて男性が座り、向かい側にエーレが腰を下ろす。
そんな二人の様子を扉の前で眺めていたら、エーレがこちらへと雑に手招きをした。
僕は、彼の隣に腰を下ろすと――予想を裏切って思った以上に体が沈み込んでいく。
疲れた体にはこの上なく心地よくて、自然と息が漏れ出た。
向かい合った二人はすぐに話し出さなかった。
視線を感じて視線をあげると、男性の目は何かを見定めるようにエーレと僕を交互に向けられていた。
一瞬目が合って、僕は咄嗟に居住まいを正す。
男性が何を言うでもなく、考えるように顎に手をあてたとき、ふと鈍い光が目をかすめた。
逞しい腕の先――手首には細身のバンクレットが嵌められている。
なんだろう……見たことがある。すごく嫌な感じだ。
不快感を追い払うために、男性へと視線を移動させた。
短く刈りあげられた黒い髪、細められた瞳も真っ黒だ。
背はシュトルツと同じくらいか、それより更に高く、それでいて筋肉が硬質な鎧のように全身を包み込んでいて、圧倒的な雰囲気を醸し出している。
黙っていると、先ほどまで女性言葉で話していた人と同一人物とは思えない。
よく見ると、両耳にもブレスレットと同じ材質のイヤーカフが、つけられてあった。
「――長生きはしてみるものねぇ」
やはりその口から発せられたのは、やはり同じ口調。
男性はしみじみといった風に今一度、僕をまじまじと見てきた。
「行方不明になってる帝国の皇太子様に、こんなところでお目にかかれるなんて。
これも運命のいたずらかしら」
心臓が大きく跳ねあがり、鼓膜を貫いた。
どうして――
反射的に自分の右手首を見た。そこには外れたわけではない、隠蔽の魔鉱石が埋め込まれたブレスレット。
隠蔽の効果が切れたのだろうか? いや、そうではないはずだ。
街に入ってフードを被っていなくても、誰に大きく注目されることはなかった。
思わず、勢いよくエーレへと視線を移すが、彼は平然としたまま眉一つ動かしていない。
「あ、警戒しないで? 僕ちゃん。私は敵じゃないわ」
エーレはこちらを見ることはなく、しかし僕にわかるようにしっかりと頷いた。
「この男は情報屋だ。こいつのことは信用していい」
確信を持った言葉。エーレがここまで言い切るなんて珍しい。
目に入る人は基本、敵だと思っているような男だとばかり思っていたのに。
「改めまして、皇太子殿下。私はヴィクトリア。ヴィクちゃんって呼んでね」
情報屋の男性は、語尾にハートが付きそうな語調でウインクを飛ばしてきた。
三度目となれば、慣れてきた。
それにしても綺麗にウインクするものだ――と感心を覚えていたら、エーレがすかさず訂正するように言った。
「この男の名前はトラヴィス。大陸全土の情報を網羅するやり手だ。
今後何かあったときのために、お前とは面識があった方がいいと思ってな」
ほどんと原型を残していない女性用の名前。引きつった笑いが思わずこぼれる。
「どうして、僕の正体がわかったんですか?」
するとトラヴィスはキュっと、脇を締めた後こちらへと指をさしてきた。
仕草も、女性に寄せているのだろうことがわかる。
「隠蔽のこと? それなら私に効果はないわ。私の本質も闇だもの」
「え」
カロンのメンバーは元々、常識を逸した人たちだと考えるのをやめていた。
けれど、目の前のこの奇妙な男性も闇の本質を持っている?
そんな事実に、二の句を告げることが出来なかった。
僕の中の常識が音を立てて、崩れていくような感覚だった。
闇の力は強大でその人を飲み込み、破滅させる。
なのに、目の前の男はそんな様子を一片たりとも感じさせない。
「そうはいっても、エーレちゃんみたいに使いこなすことは出来てないのよ。
だからこれをつけてるの」
トラヴィスが腕を上げて、ブレスレットを見せてくる。それから漂ってくるような不快感。
これはもしかして――
「イグリシウム……?」
「あら、博識なのね。そう、これで私は精霊との同調を抑え込んでいるってわけなのよ」
生命力が意図せず漏れ出し、それを制御できずにやがて死に至る病。
元は‘’生命力循環障害‘’のために開発されたのだから、たしかに力を抑えるためには最適なのかもしれない。
とりあえず目の前の男に危険性はなく、エーレが信用している。
その事実に、僕はある程度は警戒を解くことが出来た。
そんな僕の気持ちを知ったように、トラヴィスはにっこりと微笑む。
「それにしてもエーレちゃん。また来るとは言っていたけど、えらく面倒なことをしようとしてるのね」
そういう間も、彼は僕から目を離さなかった。
僕の存在が、まさにその面倒なことをいうわけなのだろう。
「面倒かどうかはお前の決めることじゃない。
とりあえず、暗殺ギルドと帝国、聖国の動きを教えろ」
エーレの言葉に、トラヴィスの眉が跳ねたのが見えた。
どこに反応したのだろう。暗殺ギルド? 帝国? 聖国?
けれど、それも一瞬の出来事で、すぐにその表情は元に戻った。
「そうねぇ。まず聖国からいうと、レヒト教会の派閥対立が少しずつ激化していってるみたい」
大陸の中央北に位置する、宗教国家――’’ルミナーク聖国’’
秩序神テミスを主神として祀る国で、その信仰と秩序を司るのがレヒト教会である。
王国内乱が起きた――七年前より以前から、その勢力は大陸中に広がった。
今では帝国も王国も信者数は過半数を占める。
帝国も大国も主神を別にする宗教があるにも関わらず、その勢いは増していっているらしい。
その影響を受けて、国民の中で争いが起きることもしばしばあると聞く。
「派閥ですか?」
それにしても、レヒト教会の中の派閥の話は、聞いたことがなかった。
「七年よりもう少し前のことかしら。そうね、現教皇が即位した頃ね。
その頃から、主神を据え替えようとする派閥が出来たのよ。
今はその前段階で、主神と同格まで持ち上げようとしてるみたい」
トラヴィスの説明はこうだった。
二千年前から続く、秩序神テミス単独信仰を守ろうとする、保守派。通称――’’聖律派’’
一方、新しい神である裁機神カイロスをテミスと同格に並べようとしている改革派。通称――’’新啓派’’
小さな衝突から始まった、二つの派閥の争いは、少しずつその勢いを増していき、最近は目に見える形で起こるようになってきているらしい。
やっとトラヴィス出てきました!
この先から話が動いてきます!
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