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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
2章

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密護衛

 




『ユリウス。お前は、私の唯一無二だ――』





 最近、嫌な夢を立て続けに見ている気がする。



 後味の悪い物語を読んだ後のような不快感が、胸の中に渦巻いて離れていかない。

 正体を突き止めたくても、その本はすでに閉じてしまっていて、一文字も思い出せない。



 思い出せない物語の先に、想像だにしない悲劇が待ち構えているのではないか――

 そんな、言い知れない不安が頭の隅にくすぶっている。



 胸の内にある本から、正体不明の怪物が僕の体を食い破って現れる。


 青く晴れ渡る空をぼんやり眺めながら、そんな子供じみた空想すらしてしまうほどには、思い出せない悪夢がじわじわと僕の首を絞めていくようだった。











 僕たちは今、王国の首都に向けて、荷馬車に揺られている。

 数分前までは慣れない揺れに、お尻を痛めながらも穏やかな景色を堪能していた。



 ’’密護衛’’


 そんな依頼からして、全く穏やかではないことは薄々感じていたけど……



 目の前で繰り広げられている、もう戦いとは言えない一方的な暴力に、僕は開いた口が塞がらないでいた。




 荷馬車の幌の中――後端に座って、外を眺めていた僕は後ろへ振り返る。



 そこには、我知らずという風に本を読み耽っている男――エーレ。

 彼の漆黒の髪は、気持ちよさそうに揺れていた。



 彼の髪と戯れていた風が、一段と激しい剣戟を運んできた。

 荷馬車から少し離れたところで黒ずくめの集団相手と対峙している男――シュトルツ。



 彼は両手に短剣を持って、舞うように振るいながら一方的に敵を圧倒していく。


 多勢に無勢――そんな言葉は、彼の辞書にはないのかもしれない。

 太陽の陽にその炎のような髪が輝き、敵を蹂躙する姿は鬼神に見えた。



 「ルシウス」と呼ぶ声が、隣からぼんやりと聞こえてきた。


 遠くから響いたようなそれ。

 誰かのことを呼んでるんだなぁ、くらいにしか思わなくて、あまりにも自然に耳を通り抜けていく。



「聞いているのか? ルシウス」



 気がつくと、砂に金を散りばめたような瞳が、僕の顔を覗き込んできていた。

 見つめれば見つめるほど、奥行きがある輝かしい瞳に、ようやく僕は我にかえった。



「……ああ、まだ呼ばれ慣れなくて」




 ――そうか。‘’ルシウス‘’は、僕の名前だった。



 その名前で呼ばれ始めて、まだ十日ほど。未だに慣れない。

 それに比べて、この三人は初日から慣れ親しんだ名前のように、僕のことをそう呼ぶ。



「リーベたちは、なんかもう馴染んでますよね」



 リーベは首を少し傾げる。同時に顔にかかる銀髪が揺れて煌めいた。



「俺たちにとってお前は、ユリウスでもルークでもなく最初からルシウスだったからな」



 後方で泰然とした声が飛び込んだ。エーレだ。


 やはり、そう名前を並べられるとユリウスが一番しっくりくる。僕の名前だなと思う。

 十六年間、それで生きてきたのだから当たり前なんだけど。



「それより、先ほどの続きなんだが」



 そう言ってリーベは、メモ帳を広げて見せてきた。


 精霊と会話するために必要な言語――その古代言語の学習は、結局リーベが教授してくれることになった。



 荷馬車の移動中に時間を許す限り、教えてくれている。


 移動を始めて六日目。未だに、基礎中の基礎から抜け出せない。

 思っていたよりも古代言語は難しく、すでに頭は混乱して心は挫けそうだった。


 その上、近くからは剣戟が絶え間なく聞こえてくるのだ。



「いや、どう考えても今それどころじゃ……

 あの方たち、放っておいていいんですか?」



 幌の奥。僕らの後ろには、今回の密護衛の護衛対象――三人が乗りあっていた。

 白いローブにフードを目深にかぶっていて、なかなか顔を見せようとしないけれど、その体躯からして女性のようだった。



 中央に座る上役のような人と、その付き人二人といった感じだ。


 中央に座っている人は、外で戦闘が行われているにしては随分と落ち着いていたが、左右の付き人は狼狽している。


 そんな護衛対象に対して、この二人は自分のペースを貫き通し、一言も声をかけることはない。



 さすがにこれはダメなんじゃないかと思って、僕は意見した。すると――



「俺たちの依頼は護衛であって、あいつらの機嫌を取ることは含まれてない」



 だから何一つ問題はない、とでも言うようなエーレの返答。

 その間も、彼は本から顔をあげることはない。


 僕は一筋の希望を胸に、リーベに顔を向けてみた。



「結界は張ってあるから安心していい」



 彼も取り合うつもりはないらしい。

 思わず、こぼれた深い溜息のまま、



「そうですよね。貴方たちは、そういう人たちでしたよね」



 皮肉を込めて、投げやりに言った。


 内心、僕も外の耳に響く音を聞いて、気が気ではなかった。

 結界を張っているらしいけど、外では大勢相手に、シュトルツ一人が戦っている。



 どうしてエーレやリーベが加勢しないのか――きっとそこに深い意図なんてないのだろうとも思う。


 僕が思うに、「面倒だから」

 これに尽きるのだろう。




 ふと、いつの間にか剣戟が止んでいることに気が付いた。


 その代わりと言わんばかりに近づいてきてきたのは耳障りな音だった。



 普段聞かない……聞きなれない。

 まるで土嚢を引きずっているような――


 ふと浮かんだ想像。見たくないとの気持ちは確かにあったのに、答え合わせという好奇心の方が勝ってしまった。

 僕は気が付いた時には、引き寄せられるように、首を振り返らせていた。



 そこには晴れ晴れした表情で、大の男二人を引きずってきているシュトルツがいた。

 思わず、顔が引きつる。



「俺だけ戦わせるなんて、酷くない? エーレさん」


「お前が欲求不満そうだったから、気を使ってやったんだろ」



 頭の上を飛んでいくのは、何事もなかったような軽い言葉のやりとり。

 僕は引きずられている黒ずくめの男たちから、目が離せなかった。



「あの……その人たち……」



 目の前にあるそれが、死体なのかもしれない。

 そうと思うと、血の気が引いていくのがわかった。



「ああ、大丈夫。死んではいないから」



 そう言ってシュトルツは、あまりにも軽々と黒ずくめの二人を投げ出した。

 僕は反射的に膝を抱える。同時に、どさりと音を立てて、足元にそれがやってきた。



「どうする? エーレさん」



 シュトルツの呼びかけに、後ろからため息と本を閉じる音がした。



「魔物か動物の餌にでもしとけ、と言いたいところだが……そうもいかんだろうな」



 エーレは僕の隣を通って下に降りると、倒れた黒ずくめの男のうち一人の襟をまくる。

 その時、何かが光ったような気がしたが、それもすぐに風に揺れる黒髪に隠されてしまった。


 何かを逡巡するような僅かな沈黙の中。



「今日中に、交易都市(ラデスタ)に着くと思うし、いったんここらで休憩挟む?

 交代で走ってきたけど、そろそろ馬たちも限界だろうし」


「そうするか。こいつらに、聞きたいこともあるしな」



 提案したシュトルツに、一息と共に立ち上がったエーレが(うな)いたのを見て、僕は咄嗟に首を振って訴えた。



「こんな惨状の前で休憩なんて、できるわけないじゃないですか」



 何せ周りには死体になっているに違いない――黒ずくめの人たちがゴロゴロいるのだ。


 こんなところで、心休めて休憩なんてできるはずがない。

 水の一滴だって、喉を通る気がしない。



「はー、おこちゃまはわがままだねぇ。

 じゃあ、ちょっと西に川があるか、そこにしようか?」



 相変わらず、シュトルツは僕のことをおこちゃま呼ばわりする。

 言い返そうとしたが、それよりも先にシュトルツは気絶している黒ずくめ二人を軽々と幌の中へと放り込んだ。


 僕と、後ろの護衛対象の悲鳴が重なった。



 黒ずくめ二人は微動だにしない。本当に生きているのだろうか?

 すぐに起き上がってくる気配は、なさそうだけれど……


 そう思って少し冷静さを取り戻した後、急に護衛対象に対して、申し訳なさが滲み出てきた。



「なんかもう、本当にすみません」



 他の三人が護衛対象に全くフォローする気がないなら、もう僕が謝るしかない。

 この先、彼らと行動をともにして僕の神経は持つのだろうか。


 気が付けば、また重い溜息がこぼれ出ていた。







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