想いを旋律に乗せて
現実を受け止める覚悟があるならついてこい、というエーレを追って着いた先は貨物室。
その奥には、奴隷の人たち。ユリウスは、せめて魔法で苦しみを取り払おうとするも、何故か魔法が使えない。
魔法使用を阻害する、イグリシウムという物質のせいだった。
「所詮、人間の編み出した小細工だけどな」と自らの腕を切ったエーレは聞いたこともない言葉を話し始めて……
彼の口から紡がれたのは聞いたこともない、流れるような――旋律のような言葉。
――’’エーレは精霊と会話しているのだ’’
ユリウスはその光景に目を疑った。
こんなことが……こんなことが起き得るのだろうか。
人は精霊を感じて同調し、その力の一端を借りることは出来ても、彼らの存在を見て知ることは出来ない。
ましてや、会話をすることなんてありえない。
ユリウスが驚愕している間に、エーレと光の精霊との間で会話が終わったのか、光がエーレを中心に集まり、眩いほどに凝縮していった。
それは弾けるように辺りに散らばると、貨物室全体を覆っていく。
太陽が砕け散り、淡い星が降り落ちる――幻想的な光景だった。
その光は温かくて、包まれるような……全てを許してくれるような……
そう、まるで母の愛情に触れたような。
ユリウスは呆けることをやめて、前の檻の亜人を見た。
幼い亜人も唖然として、険しい表情を隠していた。
その体中の傷は、まるで最初からなかったように綺麗に癒えていく。
亜人の瞳から一筋の涙が流れ、それが顎からこぼれ落ちるのを光が受け止めた。
そのまま穏やかな顔で眠るように気を失った。
光の粒子が亜人の周りを漂い、エーレの元へと帰っていく。
ユリウスはそれを追うようにして、再びエーレを見た。
光の粒子は一塊になり、エーレの傍らに留まっている。
途端、澄んだピアノの音色のような音が響いた。
それは言葉ではなく、ただの音だった。
その音を聞いたエーレは、困ったように眉を下げると、その光を撫でるように手をあてる。
「そう悲しそうにするな。俺は大丈夫だ」
彼が言ったとは思えない――あまりにも優しい声色。
光はエーレの腕へと移動してその傷を癒やし、彼の周りを回るように浮遊した後、ユリウスの元へやってきた。
ユリウスは両手を掬い手にして、それを受け入れる。
光はそこに数秒とどまると、ふわりと耳元へと移動してきて、再び、澄んだ音色を奏でた。
「え」
何を言っているのかは、わからなかった。
人と同調したときに、流れてくる思考や感情のイメージとは違い、それはあまりにも大きな括りで言葉には出来ない――
そんな漠然としたイメージだった。
けれど、勘違いでなければ、解釈が大きく間違っていなければ……
光の精霊は最後にユリウスに、こう耳打ちしたように聞こえた。
決して一言では表現できないイメージ。
あえて一言でいうとするなら。
――彼のことどうか……――
そのあとに続くイメージをユリウスは言語化することは出来なかった。
「任せた」と言われたようにも聞こえたし、「助けて」と言われたようにも聞こえた。
どちらにせよ、エーレをユリウスに託すといったニュアンスであったはずだ。
その意図を推し測ろうと、しばらく頭を悩ませていると、前のエーレが踵を返した。
まるで用は済んだと言わんばかりに、無言でさっさと来た道を引き返していく。
ユリウスはそんな彼に気づき、一旦悩むのをやめるとその遠くなった背中を追いかけた。
あてがわれた船室の部屋の前で、シュトルツと鉢合わせた。
エーレは彼を認めると無言で、先ほど使ったナイフをその胸に押し付けた。
「ちょ、なんか一本足りないなと思ったら……エーレさんが持ってってったの?」
「管理の甘いお前が悪い。俺は港に着くまで引き籠るから、邪魔するなよ」
エーレが消えた扉とシュトルツを交互に見たユリウス。
シュトルツはナイフに目を落としたあと、こちらに視線を投げてきた。
「なんかあった?」
「色々聞きたいことがあるので、話せませんか?」
ユリウスが隣の部屋を指すとシュトルツは一度、自分の部屋の方に戻って、小さなケースを持ち出してきた。
二人で隣の部屋へ移動すると、リーベは在室していた。
シュトルツは「ちょっと待って」と断りを入れると、ケースから布を取り出して机の前に座り、ナイフの手入れし始めた。
リーベは一段目のベッドにいたから、ユリウスは右手の壁に設置されている――固定ベンチへと腰掛けることにする。
「エーレさん、シャツの上からザクっと、やったみたいだね。
お気に入りのシャツだっただろうに。それにナイフも血をつけっぱなしで……誰が手入れすると思って……」
シュトルツはナイフを布で拭いて、魔法まで行使しながら手入れを始めた。
「そんなに大事なナイフなんですか?」
ナイフの一本や二本、彼らならすぐに買い換えられるだろうに。
本を閉じたリーベが代わりに答えた。
「エーレが本にこだわるように、シュトルツは刀剣類にはうるさいんだ」
なるほど、とユリウスは口の中で呟く。
「エーレさんのこだわりに比べれば、俺のなんて可愛いもんでしょ。
武器は俺たちに欠かせないもんだし。それに比べて、エーレさんのこだわりは……」
ナイフを勝手に持ち出されたことが、そんなに腹ただしいのか、珍しくシュトルツが苛立っているような口ぶりだ。
「本だけじゃないんですか?」
「エーレは色々と自分なりのこだわりが強いところがある。
ところで、色々とあったんだろう?」
リーベに促されたユリウスは頷き、まず今日あった一連のことを説明することにした。




