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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
1章

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精霊と心を通わせて

 






 エーレの背を追って辿り着いた場所は、船室より更に下部。

 船の中央辺りに位置する、広い貨物室だった。

 中には穀物や見慣れないものが多く積み込まれていて、奥へ進むと分厚い鉄の扉にさしかかった。


 両扉の握り棒部分には、何重にも頑丈に鎖が巻かれ、大きな錠が落とされている。

 エーレは――おそらく闇の力だろう――いとも簡単に解くと扉を開けた。



 中からは糞尿の匂いがした。

 それとは別に鉄と、嗅ぎなれない鼻につく匂いが混じっていた。

 一瞬、慄いたユリウスの前で、エーレは躊躇う素振りもなく歩を進める。

 ユリウスは唇を噛み締めて、それに倣った。


 一歩踏み入れた瞬間、奇妙な感覚がした。


 空気が一気に薄くなったような……

 まるで自分の一部が剥ぎ取られた感覚がした。

 いつも自分の周りで見守ってくれている誰かが、突然いなくなったような――それは、心もとなさや心細さに似ていた。


 一拍遅れて、得も知れない不快感が胸にこみあげてくる。



 暗い。

 壁際にある、いくつかの窓から申し訳程度に陽の光は見える。

 歩を進める分には問題ないけれど、それでも暗い。



 少し歩くと両端に、四角い鉄格子がいくつも見えてきた。

 中には、詰め込まれるようにして息を潜めている亜人たちがいた。


 全員鎖で繋がれている。

 亜人とは檻を分けられているが、中には人間も数多くいた。

 辺りは、死にも似た絶望が色濃く漂っていた。



 前を歩くエーレの表情は見えない。

 その背中は、平然としているようにも、不機嫌であるようにも感じられた。


 二人が檻の近くを通るたび、威嚇する者や、酷く怯える者、泣き出す者までいた。

 そのたびに彼らを縛る、鉄の鎖が嫌な音が辺りに反響した。



 ユリウスは今すぐにでも、逃げ出してしまいたい気分だった。


 見たくない、知りたくない、受け止めきれない。

 胸の中のもう一人の自分が、子供のように首を振っているのがわかる。


 でもなぜか甲板にいた時のように、水魔法で同調してしまうことはなく、不思議といくら感情が乱れても、彼らの心の声は聞こえてこなかった。



 迷いなく進んでいたエーレが突然、足を止めた。

 ユリウスはその背中にぶつかる寸前でどうにか立ち止まる。

 彼が立ち止まった理由を知るべく、その視線の先を見た。



 そこには辺りと変わらない檻。

 その中には、誰よりも厳重に四肢を拘束された小さな亜人がいた。


 ひゅっと、ユリウスの喉が鳴る。


 小さな体躯と獣の耳――セラノで見かけた亜人だった。



 ユリウスは恐る恐る檻へと歩を進める。

 それに気づいた亜人は項垂れていた顔を上げて、ユリウスを激しく睨んだ。



 逃げ出した奴隷の亜人――その体中に鞭の傷が生々しくありところどころ、化膿しているようみ見えた。

 顔も腫れていて、呼吸は浅い。

 その上、四肢を無理やり拘束されていて、身動きはとれないようにされている。



 自然と檻の先へ向かって伸びた手。開いた口。

 けれど手は空を握って、何も言葉にできず息だけが漏れ出る。


 亜人はその間も、負の感情――憎しみや怒り、怯えなどを、ありったけに込めた瞳の色でユリウスを激しく睨んでいた。

 視線と受けたユリウスは酷く動揺して、耐えきれず目を伏せた。



「シュトルツから聞いている」



 すぐ後ろから、エーレの声がした。

 セラノで逃げ出した亜人の奴隷と遭遇したことを、シュトルツはエーレに報告していたのだろう。

 彼が見せたかったのは、この亜人だったのだ。



「目を背けるな。現実を見ろ」



 それでもユリウスは、目を上げられない。



「今のお前にも俺にも、この現状をどうすることもできない。

 だからこそ、この光景を目に焼き付けろ」



 後ろへと振り向くと、そこには眉間に深く皺を寄せ、ただ真っすぐと亜人を見つめるエーレがいた。


 ユリウスは再び檻の方へと向き直り、亜人を真正面から見る。

 檻に数歩近づいて、冷たい鉄に触れた。

 途端、亜人は体を大きく跳ねさせ、強く威嚇してくる。



「ごめん。今の僕には、貴方たちに何もしてあげられない。

 いつか、いつか絶対に……絶対に――」



 ……助けるから? この国を変えるから?

 絶対に、僕はどうするというのだろう。



 言葉は続かず、消え入るような息だけが漏れた。

 それでも……



「生きて……」



 これは前の幼い亜人よりも安全圏にいる、僕の驕りなのではないか?

 そんな考えが一瞬、頭に過った気がした。それでもユリウスは喉から声を絞り出した。



「生きて待っていてほしい……必ず……」



 次はもう、何も続けられなかった。

 根拠のない正義感と、現状の自分には釣り合わない言葉――そんな無力感が、胸の奥から湧き出てくる。


 ‘’情けない‘’


 そんな感情を初めて知った。



 気が付くと「ごめん」と口からこぼれていた。

 何に謝っているのかなんてわからない。


 それでも、何度も何度も口から溢れ出る謝罪を止めることは出来なかった。

 謝罪を重ねるごとに涙が目じりに溜まっていったが、また泣くわけにはいかない。



 せめて、痛みを取り除ければ……

 船の上でエーレにしたように、水の生命力で彼らを包んであげることが出来たら。



 ユリウスはそう思って、精霊と同調しようとした。

 けれど、生命力を練り上げた先が続かない。

 まるで精霊と空間を別にしているように、彼らの気配を感じることが出来なかった。

 何度試してみても、全く同調できない。



「これはただの鉄じゃない。この貨物室全体はイグリシウムでできている。精霊との同調は出来ない」


「イグリシウム……?」



 初めて聞く言葉だった。



「奴隷がつけてる枷は、魔法が使えないように精霊との同調を著しく阻害する物質で作られている」


「そんなものが……」


「説明する気はないから、気になるなら後でリーベあたりにでも聞いとけ」



 エーレが数歩下がる気配を感じ、ユリウスは後ろを振り向いた。

 彼はおもむろに左腕をあげると、口端を微かに上げて、嫌悪感を漂わせながら小さく笑った。



「まぁ所詮、人間が編み出した小細工だけどな」



 そう言うと突然彼は、懐から取り出したナイフを腕の上で勢いよく滑らせた。

 ユリウスは驚愕して、駆け寄ろうとした。

 けれど、すぐにエーレの強い視線を感じて足をその場に留めた。


 かなり深く切ったのだろう――腕から血が地面へと滴り落ちていく。



「しっかり見とけ。本当に精霊と同調して心を通わせ合うってのは、こういうことだ」



 刹那――どこからともなく風が舞い上がり、光の粒子がそれに乗って舞いだした。


 あれだけ感じ取ることの出来なかった精霊が、どこからともなく集まってきているのがわかる。

 それは淡く光るタンポポの綿毛が、軽やかに舞っているようにも見えた。



 エーレが何か呟いている。

 聞いたこともない言葉だった。



 心地いい。まるで歌を歌っているように穏やかで、流れるような言葉だった。



 エーレが光へと語りかけるように歌う。

 そのたびに光の粒子は集まり、また散って、楽しそうに舞い上がった。



 それを幾度か繰り返した時、ユリウスの耳にエーレとは違う声が聞こえてきた。


 何を言っているのかはわからない――女性とも男性ともつかない、耳が洗われるような澄んだ声色。



 ――エーレは、精霊と’’会話’’しているのだ



 ユリウスはその光景に目を疑った。







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