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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
1章

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銀鱗の午後

 



 それからユリウスはずっと部屋にいて、翌日も外に出たいとは思わなかった。



 原因不明の倦怠感で、億劫だったのもある。

 けれど街に出て、再び亜人を見かける可能性があると思うと、怖くて出る気がしなかったのだ。




 昨日早くに寝て、夜中に起きてしまったユリウスは、戻ってきたエーレに鉢合わせた。

 彼は何を言うでもなく、先に就寝してしまった。


 その後、昼食も夕食も食べなかったユリウスは空腹を抱えて、一人で食堂に行き、軽いものを食べて再び眠ったのだった。




 起床は遅かった。そのためか、やはり今日もエーレの姿は見当たらなかった。

 一方、リーベとシュトルツは、ユリウスが起床しても、しばらく部屋で過ごしていた。


 そこに特に会話はない。


 リーベは読書をしていたし、シュトルツは二本の短剣の手入れをしていた。

 しばらく経って手入れの終わったシュトルツが大きく伸びをして、誰にいうでもなく告げた。



「よっし。やることないし、釣りでもいくか」



 ぱたりと本を閉じる小気味良い音が応える。



「悪くないな」



 シュトルツの誘いに、リーベが乗るところを初めてみた。

 ユリウスは意外に思って、二人を交互に見る。



「やったことないだろ? 釣り」



 シュトルツがニヤリと笑う。

 ユリウスは怪訝にも思ったが、小さく頷くことにした。







 シュトルツとリーベに連れられたユリウスは、街から少し外れた河口に向かった。


 釣り道具一式は、貸出品である。


 シュトルツの言う通り、城から出たためしのなかったユリウスが釣りをしたことはない。

 釣り竿を見るのも初めてだった。



 右も左もわからないユリウスはシュトルツの教授の元、一からやり方を学んだ。


 釣り針に虫餌を引っかける段になって、ユリウスは大量の見慣れない虫に、悲鳴をあげた。

 とてもじゃないが、触るなんてできない。



 リーベはそれを知っていたかのように無反応だったし、シュトルツはユリウスのその様子を揶揄うように笑った。


 ユリウスはムキになって、恐る恐る虫を掴みかけては手を引き、再び挑戦しては、その感触に悲鳴をあげるを繰り返す。

 時間をかけて、それにも慣れてくると、ようやく釣りを開始した。




 水面は落ち着いているものの、なかなか魚は釣れない。

 けれど、港の近くを行き来する船を見ているだけで、不思議と退屈だとは感じなかった。



 隣で氷室箱(クーラーボックス)から、シュトルツが缶に入ったエールを取り出していた。



 いつの間に買ってたんだろう……

 あまりの用意周到さにユリウスはそんな彼をしばらく見ていた。

 釣り竿を持って座り、片手に缶のエールを持って、海を眺めている。


 やっていることが、どこにでもいる中年男性に見えて、途端ユリウスは可笑しくなった。



「こうしていると、煙草が吸いたくなるなぁ」 ふと、シュトルツが呟く。


「吸ってたんですか?」


「随分昔にね。体に悪いからやめろって、エーレさんがいうもんだから渋々」



 随分昔――ユリウスと十ほどしか変わらなく見える彼。

 その言いぐさはまるで、老人のようだった。



 そういえば、何歳なのだろう……


 ユリウスは彼らの正確な年齢を知らない。



「まぁ実際は、エーレさんが煙草の煙と匂いが嫌いらしいけどね」 シュトルツが小さく笑った。


「毎日大量にお酒を飲んで、煙草も吸って、女癖も悪いとか……ただの屑じゃないですか」


「気が向けば、ギャンブルだってする」



 ユリウスの毒舌は全く響いていないようで、シュトルツは全く悪びれるふうもなく答えた。



「この男を庇うわけじゃないが、根は真面目な方だ。

 遊び心が行き過ぎてはいるせいで、他人への迷惑を顧みないだけであって」


「それ、もうフォローになってませんよ」



 リーベのよくわからないフォローに、ユリウスは呆れた後、小さく笑った。



 昨日のことが、夢のように、穏やかな時間が流れている。

 それが、ユリウスの心と頭を冷やしていくようだった。



 二人はユリウスを見かねて、ここへと連れ出してくれたのだろう。

 厳しく冷たいと感じることも多いのに、こうして面倒見がよくて、優しさすら感じることもある。



 友達とは違う。仲間でもない。

 今はただ、行先を共にしているだけの他人のはずだった。



 ユリウスには彼らとの距離感も関係も、よくわからないままだった。

 それでも彼らは、信用に足る人物なのではないかと思い始めてきている。



 その時、ユリウスの釣り竿が揺れた。

 ユリウスはそれに驚いて立ち上がる。


 すぐにシュトルツが側にやってきて、ユリウスの腕の上からやり方を教えてくれた。

 初めて釣ったのは、細くて銀の鱗が美しい魚だった。



 それからしばらく、ユリウスたちは釣りを楽しんだ。

 十匹程度の魚を釣り上げ、陽が暮れだしたのを知った三人早々に宿へ戻ることにした。




 シュトルツは厨房から借りてきたらしい――七輪と網を持って、部屋に戻ってきた。


 彼は部屋の窓を全て開け放ち、少しだけ設けられたバルコニーで魚を焼き始める。

 初めて釣った魚の味は、絶品であった。


 そこに帰還したエーレの怒号が飛んでくる。



「何やってんだ、お前ら」



 窓を全て開け放ち、バルコニーで焼いているとはいえ、風向きのせいもあって部屋の中には煙が入らないわけではない。



「ちゃんと宿主に許可はとったから、問題ないって。エーレさんもどう?」


「そういう問題じゃねえんだよ」



 エーレは額に手をあてて、大きなため息をついた。

 最初は彼らのうちエーレが一番の難所だと思っていたユリウスだったがが、もしかしたら一番の問題児はシュトルツなのかもしれない。そう思うようになっていた。



 バルコニーで魚を焼くと言い出した彼を止めなかった、

 ユリウスの良心はほんの少しだけ痛んだが、それでも魚の誘惑には勝てなかった。


 コートを羽織ったままエーレは、バルコニーへとやってきた。



「俺にもよこせ」



 シュトルツは待ってました、と言わんばかりに串に刺した焼き魚をエーレに差し出し、奪うように受け取ったエーレは、さっさとテーブルへと戻っていく。



 近くでエーレが踵を返したとき、ふわりと奇妙な匂いが、ユリウスの鼻腔をくすぐった。



 ――知っている匂いだ。一度、どこかで……



「あとで、この煙と匂いをどうにかしておけ」


「りょーかい」



 さっさと食べ終えて、再び部屋を出て行ったエーレを見送った後、ユリウスは疑問を口にした。



「エーレさん、何してたんですかね?」



 全ての魚を焼き終えたシュトルツが、火を消し、ふと思い出したように空を仰いだ。



「さぁ……。ま、少なくとも、おこちゃまは知らなくていいことかな」



 先ほどとは打って変わって、静かな声で話した彼の視線を追って、ユリウスも空を見上げる。

 もう陽は完全に暮れていた――仰いだ空は曇天で、月も星も見えなかった。



 ふと、先ほどの匂いが、近くで香るような気がした。



 ――そうだ、あれは血の匂いだ。









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血の匂い!?え、え、エーレさんっ!?
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