力に、良いも悪いもない
エーレの生命力が流れ込んでくる……! あの二の舞になってしまう。
そう思ったのも一瞬だった。
体を硬直させたユリウスは、いつまで経っても何もやってこないことを不思議に思って目を開けると、前には面倒臭そうな顔で、こちらを睨むエーレがいた。
――断絶だ。
ユリウスがエーレの感覚や情報を取り入れてしまう前に、氷の魔法で強制的に切り離したのだろう。
「わかっただろ。お前にはまだ早い」
ユリウスはその言葉を、受け入れることは出来なかった。
エーレに対して意地になるなと言っておきながら、ユリウスが意地になっていた。
答えることもせず、もう一度水の魔法を行使する。
「てめぇ、聞いてんのか!」
声を荒げたエーレを気にせず続けると、先ほどよりも強い拒絶を感じた。だが、反発は来ない。
だからユリウスは、それを押し返すことにした。
「僕はまだ、答えが出せません」
ユリウスの声が、甲板に凛と響く。
昨日、今日と今後のことを考えた。
けれど、やはり答えは出ない――今のところ、それがユリウスの答えだった。
「だから、目の前の僕にできることをやろうって思ったんです。
そうしたら、何か見えてくるかもしれない」
それがただの希望的観測であることも……もしかしたら思考を放棄した、問題の先延ばしなのかもしれないことも、ちゃんと理解している。
でも湾港都市でだって、ユリウスはそうした。
迷うことをやめて今、自分が出来ることをしようとした。
結果的に言えば、それはユリウスに気づきを与えてくれることになった。
厳しい叱責を覚悟の上での発言だった。
けれど予想に反してエーレの抵抗が緩まっていく。
「その目の前のことが、これかよ。くだらねぇ、もう好きにしろ」
その言葉は呆れも含まれていたが、彼のものとは思えないほど弱弱しいものだった。
先ほどよりも抵抗なく緩やかに、水の魔法がエーレへ流れ込む感覚があったが、それでも先にエーレの感覚が、ユリウスに流れ込んでくる。
そして再び、引き離された。
「お前の水の力は共感に偏りすぎた。この場合は支配に近い。
俺の感覚を無視して、お前の感覚を押し付けろ。それが正しいやり方だ」
言われずとも、ユリウスはそのことを理解していた。
けれど、支配に近い力の使い方はトラウマを想起させ、どうにも上手く出来なかった。
――この力は、そんなためにあるものではない。
もう一人のユリウスが、そう叫んでいるような気がして堪らなかった。
意識の外で、水の魔法が感情に呼応して流れ出すのをユリウスは止められなかった。
それを感じ取ったらしい――エーレは厳しい声で告げる。
「お前のその感情は正しさでも優しさでもない。甘さだ」
ユリウスは、ハッと目を見開いた。
「固執するな。力に、良いも悪いもない」
――力に良いも悪いもない。
それはリーベも言っていた言葉だ。
要は使い手次第なのだと。
ユリウスは一度深く呼吸を吸い込み、止めて、吐き出した。
自分が何を望み、そのためにどう力を正しく使おうとするのか。
「支配」という、魔法の力を定義づけるため――その言語化した概念に囚われ、過去のトラウマを想起させては、それを否定した。
そうではない。
ただ純粋に、もっとシンプルに考える。
今のユリウスの正常な感覚を、エーレに共有するだけだ。
そこに共感は必要なく、これは支配ではない。
エーレの情報を一切受け取らずに、自分の生命力だけを流し込む。
まるで大きな壁を支えながら、細い穴に糸を通すような、力と緻密さが求められるものだった。
一瞬の気の緩みも、あってはいけない。
その瞬間、すべてが崩れ落ちてしまう。
ユリウスはこれ以上にないくらい集中した。
エーレの感覚は流れ込んではこない。
けれど、うまくいっているのかもわからない。
これで合っているのだろうか――エーレが止めないということは合っているのだろう。
ただただ、無心で続けていた。
「もういい。息をしろ」
すぐ近くから聞こえた声。同時に肩を叩かれ、ユリウスはハッと意識を戻した。
途端、体が酸素を求めてむせ返ってしまう。
隣でエーレの今日、何度目かわからないため息が聞こえた。
「礼を言う」
すぐに続けられた言葉に驚いたユリウスがエーレを見ると、彼の顔色がみるみるよくなっていっていることに気づいた。
うまくいったという実感はなかなか湧いてこず、それでもユリウスは安堵の息を吐きだす。
「まぁ、セラノに着くくらいまでは、持つだろう」
「効果時間は短いんですか?」
「親和率が上がれば上がるほど持続時間は長くなるが、今のお前なら持って一日だろうな」
一日――途中で停泊する予定のセラノに着くまでには、効果は切れているだろう。
「もしまた酔いが再発したら、またやってもいいですか?」
成功したとはいえ、感覚はまだつかめていない。
気が付けば、成功していたようなものだった。
エーレが顔を顰めた。
「俺は、お前の実験相手じゃねえぞ」
「実験って……せめて、練習って言ってください」
たしかに体調の優れないエーレ相手に不慣れな力を使い、失敗する度に氷魔法を使わせるという手間をかけさせた。
実験と言われても、強くは否定できない。
「そもそも、お前は極端なんだ。
引き込まれると同化しそうになるし、今のだって感覚だけじゃない。
お前の思考や感情までダダ洩れだ。鬱陶しくて、かなわない」
ユリウスは「え」と、言葉をなくす。
感覚だけを共有するつもりが、それ以外も全てエーレに流し込んでいたなんて、全く気付かなかった。
ユリウスはその事実に思考が止まり、エーレを見やる。
彼は意味ありげに不敵に笑うと、何も言わずに踵を返した。
その表情を見て、一瞬息を吸い込んで硬直したユリウスは、慌ててその背を追いかけた。
「ちょ、思考や感情って……待ってください! 一体どんな……!」
何をどこまで、エーレに流し込んでしまったのだろう。
すでに、ユリウスの出自などを知っている彼に露見してまずいことはない、はずだった。
けれど、誰にも知られたくない記憶や感情は誰にだってある。
「さあな」
答えをはぐらかすエーレに、ユリウスは顔を赤くして必死に後を追った。
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