水魔法の応用―感覚の共有
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食器を返し終わり、部屋に戻っても、することはない。
何せ、ここは船の上だ。
それに、今後のことを考えて、答えを出さなきゃいけない。
ユリウスはそのまま甲板に向かうことにした。
外は、昨夜の大雨が嘘だったように、晴れ渡っていた。
見上げた先には真っ青な空に色んな形の雲が漂っている。見ているだけで楽しそうだ。
昨日と同じ場所で、雲でも眺めながら考えよう――ユリウスがそちらへ目を向けると、そこには先客がいた。
エーレだ。
どこまで見ても青と白の景色に、全身真っ黒な彼の姿はよく目立つ。
彼はレールに背中を預けて座っていた。
先ほどのリーベの話を聞いた後のせいか、会うのはなんとなく避けたかったが、まさかここにいるとは思わなかった。
一瞬の逡巡のうちに、彼がこちらを見て、しっかりを目が合ってしまう。踵を返して戻ることも憚られた。
ユリウスは予定通り、船舷のほうへ行くことにした。
二人分の間隔を開けて、バルレール越しに海の方を見る。
ちらりとエーレの顔を見ると、やはり体調は悪そうだ。
彼はこちらを見る様子も、何かを話そうとする様子もない。
ユリウスは気まずくなって、何か話そうと口を開きかけたが、「黙っとけ。話すのも辛い」と先手を打たれてしまう。
たしかに船酔いだと話すのも辛いだろうと、再び海の先を眺めることにした。
その一瞬だった。
――時間が止まった。
そんな衝撃が、ユリウスの頭のてっぺんから足の指先まで駆け抜けた。
水平線、小さな無人島、空を駆ける白い鳥、雲の形。
揺れる船の上で、隣にいるエーレのたった一言。
それらまるごと全ての既視感。
時間が切り取られたかと錯覚するほどに、あまりにも強烈な既視感に、ユリウスはしばらく焦点の合わない瞳で、海を見つめたまま止まった。
――昔、経験したことがあるような……見たことがあるような……
今までも何度か、既視感を経験したことはあった。
けれど今のは、そんなものとは比べ物にならない。衝撃の余韻にユリウスの思考は止まった。
真っ白な頭の中、心の奥底で泡立ったものが、沸々と湧き上がってくる。
酷く懐かしいと感じる、そんな感情。
――おかしい
ユリウスが船に乗ることは初めてだった。
甲板でエーレと居合わせることも初めてだ。
今まで彼にぴしゃりと言い伏せられることは何度もあったし、ここから見える景色は昨日見たばかりだ。
脳が錯覚し、それらを繋ぎ合わせて、既視感として作り出したのかもしれない。
衝撃を収めようと、ユリウスが考え付く可能性で理論立ててみた。
――けれど。
無意識に胸に当てていた手をぎゅっと握る。
この胸が締め付けられるような郷愁の念は、あまりにも奇妙でうまく説明は出来ない。
潮風がユリウスの頬を撫でていく。
徐々にそんな感覚も感情も遠のいていった頃、隣のエーレが立ち上がった。
風に当たりにきただけなのだろう。エーレの背にユリウスは声を投げた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないっつったら、どうにかなんのかよ」
いつにも増して不機嫌な返答に、ユリウスは一瞬慄いた。
けれど、どうにも辛そうなエーレも見て、ユリウスはつい言葉にしてしまった。
「水の魔法……感覚の共有で、どうにかなりませんか?」
水の魔法が人と人を同調させるものであり、感情や思考を共有することが出来るのなら、体の感覚も共有できるはずだ。
リーベの問いに対するユリウスの答えがそれだった。
「お前に、それが出来ると思ってるのか?」
怪訝そうに眉を寄せて振り向いた彼が言葉に、その答えが間違っていないと知った。
しかし、ユリウスは押し黙った。
ようやく人と同調できるようになったばかり。感情や思考の共有すらまともにしたことはない。
たとえ可能性があってもエーレ相手に水の魔法を使えば、湾港都市でリーベに対したときの二の舞になるだろう。
「昨日、僕も酷い船酔いになったから辛さがわかりますし……
まだまだ日にちはあるのに、そのままじゃ見てる僕も辛いから……」
おずおずと紡いでみた言葉は、語尾が萎んでいった。
そろりと目線だけ上げたユリウスに、エーレは嘆息を吐き捨てた。
「どうして俺のことでお前が辛くなるんだ。放っておけ。
それにお前は、他に考えることがあるだろ」
彼はそれだけ言うとさっさと踵を返して戻ってしまった。
ユリウスはそれ以上何かを言うことは出来ず、その背を見送るしかなかった。
背が扉の先へ消えたのを見て、再び海の方へと視線を投げる。
王国のヴェリティア港に着くまで後、八日以内に答えを出さなければいけない。
昨日の船酔いで、忘れかけていた。忘れたいと思っていたのかもしれない。
エーレの言葉で無理やり現実に引き戻されたような感覚に、ユリウスは深い溜息を吐き出す。
彼らと共にいくか、一人でこの先に行くかを決めておかないといけない。
ユリウスには自分がどうしたかなんてわかっていなかった。先も見えない。
思考と感情の糸――それらが絡まって、大きな塊を作っている。
解く術は知らないし、そうする気力も根気も湧いてこない。
「僕は、なにをしたいんだろう……」
長い間、皇帝の魔法によって思考を奪われていた。
そんな実感が今更ながら湧き上がってくると共に、その皇帝の顔がユリウスの頭をよぎった。
――僕は、父上のこともほとんど知らないようなものだ。
ただもう、絶対に戻りたくない。
その気持ちだけが、確かなものだった。
長く掠れたため息が、ユリウスの口から零れ、風がそれを攫っていく。
風のように自由に、どこまでもいけたらいいのに――ユリウスは思った。
渡り鳥のように大陸のその先へ。まだ見ぬ、新しい土地へ自由に行くことができれば……
けれどユリウスの背中には羽は生えていないし、飛ぶことだってできない。
答えを出そうと考えれば考えるほど、どうすればいいのかわからなくなっていく。
ユリウスは空をぼんやりと見上げて、雲の形をなぞるだけだった。
翌日も、そのさらに翌日も、同じ時間帯にエーレは甲板にいた。
本来なら、本日中にはセラノの港に着く予定であったが、天候の関係で到着は明日の夕刻になるとの連絡があった。
日に日に顔色が悪化していくエーレを見て、ユリウスは顔を合わせるたびに、水の魔法を使ってみる提案をした。
昨日は言い終える前に却下され、今日も再び顔を合わせたからには、言わずにはいられなかった。
三日連続の提案にエーレは深いため息をついて、うんざりしたように言った。
「お前も大概しつこいな。俺は水の力を向けられることが嫌いなんだ」
そのことはリーベの口調からユリウスは察していた。けれど……
「レネウスの時は、大丈夫だったじゃないですか」
群れの嵐――湾港都市で魔物の穢れを浄化した時、ユリウスは確かにエーレに水の魔法を行使したはずだ。
あの時は反発も何もなかった。
「勘違いするな。あの時は状況も対象も違う。お前は俺の光の力に水を乗せただけだ。
俺自身に向けたわけじゃない」
そう言われてみれば、確かにそうなのかもしれない。
けれど、ユリウスにはその違いがはっきりとわからなかった。
今思うとどうしてあの時、エーレはそんな指示をしたのだろうか。
「水は他の力に乗せると、それを増幅させる効果もある」
「そう考えると、使い方によっては、色んなことができるんですね」
思考を先回りしたような彼の言葉にユリウスは納得する。
他の属性魔法は、どんなことが出来るのだろう――
夢想するように思考を巡らせようとした時、船が一度大きく揺れた。
同時に隣でエーレが呻いたのが聞こえてそちらを見ると、彼は口に手を当てている。
こんな状態で、何かあった時に対処できるのだろうか。
「意地張ってないで、試すだけ試させてください」
咄嗟にユリウスの口からついて出た言葉に、エーレは強くユリウスを睨んだ。
一瞬怯んだユリウスだったが、その視線から目を逸らさず受け止めると、エーレは諦めたように息を吐いた。
「勝手にしろ。言っておくが責任は取らないからな。
受け入れたとしても、俺は無意識まで制御できるわけじゃない」
ようやく得た承諾に、ユリウスは頷く。
一度、深呼吸して早速、水の精霊と同調することにした。
エーレの舌打ちが聞こえたような気がしたが、ユリウスは目を閉じて集中する。
行使する水魔法の生命力が、エーレの生命力と触れ合うのを感じて、ユリウスは身構えた。
リーベの時のような――それ以上の反発がくるのではないか。
けれど、それは杞憂に終わった。
ぐっと押し返されるような抵抗は感じた――その程度だったのだ。
――’’感覚の共有’’
今のユリウスの正常な感覚をエーレに共有する。
ぐらりと頭の芯が揺れる感覚が、ユリウスを襲った。
感覚を共有するどころか、彼の感覚が流れ込んできたことに気づいた時には、もう遅かった。




