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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
1章

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30/204

’’唯一’’と思える人

エーレ、シュトルツ、リーベが神の権能とそれへの制約――加護枷を持つことを知ったユリウス。

その上で彼らが現在、帝国の属国のようになっている王国の主権を取り戻したいという野望を抱いていることを知る。

本当の自由を得るために、彼らと共に立ち上がるか、このまま逃げられるところまで逃げるか――

王国に着くまでに決めろと言われるユリウスであった。

 




 リーベに言われた通り、右へ進むとすぐに上へ続く階段を見つけることが出来た。

 どうやら船室は船の上部にあったらしく、これなら余計なところに立ち入る心配もなさそうだった。

 

 船に初めて乗るせいか、混乱がそうさせたのかはわからないが、ユリウスの酔いは船が揺れるたびに、どんどん大きく酷くなっていっている。

 甲板からの海を見たいという気持ちもあったが、風に当たれば、この酔いも多少マシになるのではないかという気持ちに背中を押されて、大きな防水扉を開いた。


 

 開けた視界の先――船室にいたユリウスには、少々明るすぎる陽が瞼の裏へ差し込む。

 間を置かずに潮風が頬を掠めていった。

 

 潮と陽の香り、両者が混じった風が全身を通り抜けていった瞬間、ユリウスは頭が冴えるような感覚に心地よさを感じた。



 甲板では数人の乗組員が、点検などをしている。

 ユリウスは邪魔にならないように気を付けながら、海の見渡せる端へと足を進める。

 途中、ハッチカバーの前で「そこは通っちゃだめだよ」と乗組員に声をかけられて、慌てて避けることになった。



 船舷へと向かうと、バルレールが設置されていた。

 ユリウスはそれに体を寄せて、大きく息を吸い込んだ。

 陸地よりも冷たい風が肺の中に溶け込み、酔いの波を鎮めてくれるような感覚に安心を覚えたユリウスは、その恩恵の元を見渡す。


 思わず、感嘆の息が漏れた。

 砂浜から見た海も綺麗であったが、四方を海で囲まれた景色もこれまた絶景だ。


 船の周りが、全て海水で囲まれているというのは、頭でわかっていてもなんだか実感が沸かない。

 思ったより、風は強くない。

 日差しは少し強くて、ここで作業をしていたら暑くすら、感じるかもしれないな、とユリウスは後方へと一度視線を投げる。


 そこには快活に船員たちがいた。


 ほんの少し上を見ると。白い鳥たちが、船の近くで列を組んで飛んでいる。

 遠くに、小さな無人島がいくつかあった。


 ユリウスは今一度、大きく息を吸い込んで吐き出す。

 それを繰り返していると、酔いは幾分マシになった。


 張りつめていたように強張っていた、体の力が抜けていく。

 心地いい。できるならこのまま甲板に寝転がり、空を眺めてうたた寝でもしてみたい。

 目を閉じてそれを想像しながら、味わうように息を吸った。

 


 その瞬間、ユリウスはそのまま海の一部になる。


 難しいことなんて考えずに、このまま時間の許される限りこうしていたい。


 どれくらいそうしていただろうか。

 あまり甲板にいるのも、乗組員の邪魔になるかもしれない。

 そう思って、意識を体に戻していく。


 広がっていた感覚が戻るにつれ、船での出来事や人の流れ、人の意識まであらゆる情報が自然と入ってくる。


 船におおよそ、どの程度の人が乗っているのか把握できる。


 そろそろ昼時なのか、お腹が空いたという声が多い。

 あまり聞いてはいけないような声も、感情も記憶も入ってくる。

 多くの声と感情を眺めていた時だった。


 ――人の心を覗き見なんて悪趣味だなぁ――


 ユリウスはハッと目を開いて、辺りを見渡した。

 情報に紛れて、はっきりとした誰かの意志がこちらへ向けられた。


 少し離れたところに、作業をする人たちは相変わらずいるが、近くには誰もいない。



「あっれ、お子ちゃまじゃん。どうしたの?」



 落ち着かない様子で辺りを見渡していたユリウスに声をかけたのは、いま甲板に上がってきたらしい――シュトルツだった。



「あ、いや。同調してたら、なんか話しかけてくるような声がしてきて……」



 すると「ああ」と、シュトルツは納得したように頷いた。



「お子ちゃまだって、誰かが力を使えば気づくでしょ? それと同じだよ。

 慣れてるやつなら、その同調に自分の意思を乗せて返すくらい出来るからそれでしょ」



 悪意を持って、誰かの心を覗こうとしたわけではないが、確かに勝手に人の心と同調するのは、悪趣味かもしれない。

 なるほど、とユリウスは頷いた。

 


「で? どんな感じ?」


 

 シュトルツがユリウスの隣でレールに体を預けた。

 ――どんな感じ?


 何に対して聞かれているのか、わからなくて彼を見た。



「ああ、さっきの話の続きじゃなくて、魔法の方」



 それを聞いて、ユリウスも納得したように声を上げる。



「あ、そういえば初めて人に同調したけど、引き込まれることはなかった気がします」



 今、思うと同化してしまうことはなかった。

 船にいる人たちの感情が穏やかなおかげだったせいもあるかもしれないが、水の魔法を前より扱えるようになった気がする。



「やるねぇ、かなり親和率が上がったみたいだな。ま、海だしな」



 ――海?

 ユリウスは首を傾げる。



「なんだ、リーベのやつ。そこんところは省いたのか」



 シュトルツは、説明した。


 自然の中に、精霊は宿る。

 勿論、どこにでも彼らはいるが、彼らに由来する自然があればあるほど、彼らの力は強まる。


 水の精霊なら、海や湖、川など……


 そういえば、湾港都市(レネウス)でも、リーベはユリウスを海辺へと連れて行った。



「だからまぁ、俺としては昼のほうが、親和率は上がるわけ。

 先天本質の炎に関しては、火なんて自然発火するもんじゃないし、昼も夜も場所もあんま関係ないけど」


「昼?」


「俺、先天炎、後天光なんだけど」



 三人のうち光の力を行使するときは、基本シュトルツがやっていたことをユリウスは思い出した。



「意外って顔だね」 シュトルツは小さく笑って、ユリウスを見た。


「意外というか……意外なんですかね」



 ユリウスも釣られて笑う。


 世間で言われている炎の本質は’’情熱’’――つまり、炎のように熱くて、真っすぐで正義感の強い人が多い印象だった。

 隣の彼がそうかと言われると、首を傾げたい気持ちも多少はある。

 どちらかというと風の本質を持つ人のようにも見えたからだ。


 対して、世間で言われている光の本質は’’慈愛’’。


 飄々としていて、風のような隣の男に、炎や光の本質は、なんだか似合わない。



「’’信頼と犠牲’’――俺ほど、ぴったりなやつはいないと思うんだけどなぁ」


「信頼と犠牲……?」



 それが彼らの見い出した光の本質なのだと、すぐに気づいた。

 慈愛と似ていて全く違う。


 それでもやはり、シュトルツの本質がそれというのに、違和感は拭えなかった。



「まぁ、光の発現は、’’唯一’’がいる人に、起こりやすいからねぇ」


「唯一? シュトルツさんは僕の歳にはもう、唯一と思える人がいたんですか?」



 唯一と思えるほど、心から大切だと思える相手――

 心から’’信頼’’を寄せ、自分を’’犠牲’’にしてでも、守りたいと思う人?


 親の愛情も知らず、兄弟もいないユリウスには、ピンとこなかった。

 小さく首を傾げたユリウスの隣で、シュトルツが意地の悪い笑みを浮かべた。



「そらぁ、俺がお子ちゃまくらいの頃にはもうモテてモテて、モテまくってたからなぁ」



 ルシウスはじとり、と疑わしそうな視線を投げる。

 そんな一時的な感情で、本質が発現することがないなんてことは、さすがにユリウスでも知っていた。


 短い付き合いだけれど、もうわかっている。

 こうやって人を揶揄うにふざける彼は、真面目に話すつもりがない――

 思わず、肩を竦めて、首を振った。


 その時、甲板が騒がしくなってきた様子がユリウスの耳に届く。



「そろそろ飯時みたいだし、俺は先に戻るかなぁ。エーレさんも死んでるし」



 言うが早いか、シュトルツは手をあげてさっさと戻ってしまった。



 その背を見送ったあとになって、「あ」とユリウスは声を漏らした。

 これからどうしたらいいのか――今後のことのヒントに、少しでも話を聞きたいと思っていたのに……


 まだ時間はある。あとで聞いても遅くない。

 彼の嘆息は騒がしい甲板にかき消されて自分の耳には届かなかった。

 その代わりに、自然と頭に先ほどの会話が反芻される。



 ――唯一か……



 母になると光の本質を発現する人が稀にいる、というダリアの言葉を思い出した。

 ユリウスは、未だ後天本質が発現する予兆すらない。


 水の魔法――共感と支配の力。

 水の精霊の力との親和率がもっと上がったなら、何かを見出せるようになるだろうか。


 その答えを探すようにユリウスは、海をもう一度眺める。


 空は雲一つない晴天で遠くまで水平線を眺めることができた。

 数秒ぼんやりしていたユリウスの背に、突然聞きなれない声飛んできた。



「おーい、坊主」



 予期していなかった声に肩を跳ねさせて振り返ると、そこにはタオルを首に巻いた中年の男がいた。

 少し強面の背の小さな男性。

 先ほどの、しゃがれ凄みのある声を思い出して、ユリウスは怒られるのではないかと身構えた。


 けれど、乗組員の男は船室の方へ親指を指すと、年齢にそぐわない幼い笑みを浮かべた。



「若い衆はみんな飯いったけど、行かなくていいのか?」


「あ……はい。そろそろ行こうと思ってました」



 どうやら親切で声をかけてくれたらしい。

 ユリウスが小さく会釈をして、そそくさと逃げるように船室へ戻ろうとした時、「ああ」と男は続けた。



「日暮れあたりから海が荒れるから、外には出ない方がいいぞ」


「え?」



 もう一度海を見渡す。しかし、どこまでも空は、晴れ渡っていた。



「生命力で、そんなことがわかるんですか?」



 精霊の力を借りればあるいは、数時間先の天候がわかるのかもしれない。

 そう思い尋ねると、男はきょとんとして首を傾げたあと、声をあげて笑った。



「そんなもんなくても、長年船に乗ってりゃあそれくらいわかるようになるってもんよ」



 男は自慢げに胸を叩く。

 ユリウスは、呆気にとられた。



 精霊と同調することもなく、数時間先の海の天候を把握することなんて、人間に可能なんだろうか?

 信じられない――けれど、日暮れになれば男の言ったことが、本当なのかわかるだろう。



「船がガンガン揺れるだろうから、船酔いする前にさっさと寝ちまうんだな」



 男はそう言って笑うと、船室の方へ去っていった。

 ユリウスもその後を続いて、部屋に戻ることにした。






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