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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
4章

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233/233

彼女は禁を異にす

 



「明日って言ってましたけど、よく考えたらここ、時計すらないじゃないですか!」


「寝て起きたら明日でしょ~」



 屋敷への帰路で、冷静に突っ込みを入れたルシウスへのシュトルツの適当な返答。

 それはまさに、その通りになった。



 屋敷に戻り、エルフの娯楽用だという風呂に入り、眠って目が覚めた時、エーレはすでに準備を終えて待っていたのだ。


 起床してすぐシュトルツの言葉を思い出したルシウスは、呆れて低い苦笑を漏らすしかなかった。



「飯食うなら軽めにしとけ。生命力限界まで使うかもしれねぇからな、食いすぎると吐くぞ」



 そんな言葉を受けたルシウスが、朝は飲み物だけにして向かった先は、エルフの里を出た先の草原だった。


 エーレと一体一の訓練だと思いきや、何故かシュトルツとリーベもついてきている。



 相変わらず綺麗で、幻想の中にいるようにすら錯覚させる空。来た時と何一つ変わらない。いや、少し違っている?

 昨日はもう少し、群青が広かったような……



 仲間全員揃っての訓練に怖気をなしたルシウスは、空を眺めて逃避思考に陥っていた。

 前までなら嬉しくて仕方なかったのに、何故だか恐ろしい。


 例の風の精霊への接触、その訓練というのも、ひとつの原因になっているのだろう。


 エーレが抱いている忌避の正体。前のルシウスの死因を聞かされた今、僕だって怖いと思う。

 今の自分とは比べ物にならないくらい、強かったのに違いない。戦闘技術的にも精神的にも。



 その前のルシウス()が生命力を暴走させるきっかけになった精霊。僕は上手く対話できるだろうか?



「リーベ、頼んだ」



 ふと、思考を遮断するようなエーレの声が、隣からした。

 間を置かず、数メートルだけ離れた位置のリーベが途端、魔法を展開させる。


 地面から伝わってくるのは、範囲指定型の魔法。足元一面にある草の下で、僅かに光った陣。


 これは……

 何をいう間でもなく、一歩詰めてきたエーレは、首を左右に傾けて息を吐きだすと、



「とりあえず、俺があいつとお前の繋ぎをする。後は自分でどうにかしろ」



 ルシウスの返答を待たず、すぐに彼は諷った。



『Eshar, Ves riguna. Elen-Fean netha Lucius』



 いつもより数段、低い旋律。

 敬意も何もないようにも聞こえる単語の並びを経て、こちらを見たエーレへ、ルシウスはぐっと深く頷いた。


 考えれば考えるほど思考の渦に呑まれる。それを許さない彼に従った。



『Elen-Fean.Ves nira sora..eshar?』

 ――風の精霊、僕と話をしてくれませんか?――



 もう前のように、旋律や語彙に詰まることもない。この一か月以上、更に勉強してきたのだ。

 控えめだが、確実に届く自信を込めた霊奏を、この場全体へ向けた。


 声帯から、口を通り抜けた旋律の終点で――風が激しく舞い上がった。



 激しいなんてものじゃない。

 体が持っていかれるほどの暴風に、耐えきれず重心を奪われたのも束の間、肩を支えられたと知ったと同時に、隣から声が落ちてきた。



「続けて(うた)え。あいつを落ち着かせてみろ」



 その間にも上空では金切り声のような音が飛び交い、唸るような声に変わり始めた。



「落ち着かせるっていっても……!」



 目も開いていられないほどの風を受けて、ルシウスは訴える。



 風の精霊が何を言っているのかわからない。水の精霊なら、こうはならないのに……

 どうしたらいいのかと、エーレを見ると、



「怒ってねぇよ。喜んでるんだあいつは。落ち着いて話せって言え」



 眼前に手を翳しながらも、空を仰いでいた。



 この暴風の中でも、彼は精霊の気持ちを感じ取っているのだろう。

 ルシウスは、ゆっくり大きく息を吸い込む。いつもより声を張り上げた旋律が、歪んでに響いた。



 ――僕はまだ、貴方の声をしっかり聞き取れません。だから、落ち着いて会話できませんか?――




 それでもどうにか届いたようで、先ほどの風が嘘だったように収まっていく中、



「お前……」 エーレが、信じられないと言わんばかりの視線を向けてきた。


「え」



 彼の表情の意味がわからなくて、たった二フレーズの内容を思い返してみる。

 いつもより大声で(うた)ったから、上手ではなかったのはたしかだけども。



「何かやらかしました? 僕」


「いい」 呆れたように肩を押しのけてきた彼。 「いや、よくねぇな」


「どっちですか!」



 答えることなく空を仰いだ彼の視線を辿ると、水の精霊の時とは違う――鉄琴に似た音が耳に届いた。

 高くて硬い、それでいて細かい音が幾度も続いている。



 ――笑ってる?



「生命力の知覚範囲を広げろ。あいつ、お前に声を聞かせるつもりがない」



 不愉快そうに、音の先を睨む彼の漠然とした指示に、ルシウスは困惑する。



「範囲ってどこまで……」


「とりあえず音が聞こえてる上空だ。お前が初っ端からあんなこと言うから、遊ばれてんゃねぇか」


「ああ……」



 その言葉で、ようやく自分の失態に気づいた。



「風は水や光と違って、気性も荒いし、人を揶揄うのが好きなんだよ。出来るだけ弱み見せんな」


「そうならそうだって、最初に言ってくれたら……」



 あまりにも愚直だった自分を後悔しながらも、エーレの言う通りに上空の声を拾うことに専念する。


 上手くしないとすぐに枯渇する。ただでさえ霊奏や精霊とのやりとりは、魔法以上に生命力を消費するのだ。

 上空を注視してみるが――わからない。



 あれ? そもそも知覚範囲の広げ方って、これで合ってるのかな?



 そう思いながらも、放出する生命力を広げようとした時、視界が軽く揺れた。

 一拍遅れて、頭に衝撃を受けたことを知ったルシウスは、ハッとそちらを見た。



「お前、寝ぼけてんのか? 無作為に流すやつがあるか」


「なんで叩くんですか!」



 思ったより強い痛みが遅れてやってきて、苛立ちのあまりエーレを強く睨んだ。



「……俺の言い方が悪かった。同調の範囲を広げろってことだよ。生命力を垂れ流しても意味ねぇだろうが」



 あー。ピタリと勢いをなくしたルシウスは、ふと視線を迷わせる。


 視界の行きついた先は、少し離れた場所にいる仲間だった。予想通りシュトルツは声をあげて笑っていたし、リーベは微笑ましそうにこちらを見つめていた。



 なんで僕は生命力の知覚範囲という単語で、生命力自体を広げようと思ったんだろう……


 慣れていない環境、慣れない訓練。未知の精霊。それらに緊張していた自分に気づいて、腹から息を吐きだす。



 その間にも上空からは、ずっと音が聞こえていた。けたたましいほどのそれに、ルシウスはムッとする。

 相手がそのつもりなら、意地でも会話を成立させてやる。


 基本的な同調。上空の音を中心にした広範囲へ傾けるよう意識する。


 爽やかな風が方向構わず吹き抜ける。エーレの言う通り、揶揄っているようだった。



 その中で、目を閉じて集中したルシウスにまず流れ込んできたのは――音でも声でもない。

 それはイメージだった。


 輪郭は掴めない。でも女性のように見える。スカートのような布を翻して、踊るようにくるくる回っている輪郭。



 ハッと視界を開いた先では、空に風の渦が形成されていた。


 それは徐々に地上へと降りてくると、弾けるように霧散した。跡形もなく消えたと矢先、人間の耳には少し高すぎる音が、足音のように規則的に鳴り始めた。


 四度、五度と続いたそれが止まって、最後に一度、低い音が足元から伝わってきた。



 ――待ちくたびれちゃった――



 重く息を呑む音を、ルシウスは鼓膜に内に聞いた。


 じわり、と胸の底が震える。感動からなのか、恐れからなのかの区別はつかない。

 こんなにもはっきりと、精霊から意思が伝わってきたのは初めてだった。


 水の精霊相手でもここまでではない。彼らの意思や言葉は、人間の概念には当てはまらない抽象的なことがほとんどだ。



 ――びっくりしてるびっくりしてる。君には何度も声かけてきたんだけど――



 先ほどのイメージのような姿はない。あるわけがない。精霊に外見はないのだから。


 なのに、そこにいると錯覚してしまうほどに鮮明な声だった。耳に届くのはただの音なのに、それを覆うようなはっきりとした意思に、目を見開いたまま動けずにいた。



「おい」



 隣からの声に、呼吸を思い出したルシウスは、喉で詰まる声をどうにか押し出す。



「エ、エ……エーレ! 僕が思ってたのと全然……!」



 前方には何もない。勢いあまって、そこを指差した先のシュトルツは、やはり笑っていた。



「だからあいつは変わってんだよ。本人に聞け」



 うんざりしたように、前方を顎で示した彼。

 エーレが説明してくれた方が早いのに。そう思いながらもルシウスは必死の想いで霊奏を紡ごうとした。


 ふと、先ほどのエーレの言葉を思い返す。



 ――改めて挨拶させてください。以前はありがとうございました――



 冷静に冷静に、弱みを見せないように。とりあえず挨拶は基本だ。それに、古代言語の長い文脈はまだ苦手だ。精霊たちも短いやりとりを好む。


 落ち着きを取り繕って伝えてみると、低く風が唸った。



 ――堅苦しいのはいやなの。君はいつもそうだったよね、何度言ったって私の話を聞いてくれない――



 風の精霊の性格が読めない。ひとつ間違えたら機嫌を損ねてしまいそうだ。

 思わずエーレを一瞥してみるが、彼は再び顎で乱暴に前を示した。



「俺に意見を求めんな。お前の考えるようにやれ」



 そんな声を聞いて、ルシウスは背筋を伸ばす。



 ――貴方は、他の僕とよく話してたんですよね?――



 風がぐるりと周辺を回った。まるで考えているようにぐるぐると。

 何週もして着地したのは、元の場所だった。


 言葉が返ってくると思われた瞬間、不意に突風が、体を駆け抜けていき――



 ’’面倒くさい’’



 聞き取れたのは、その言葉だけだった。



 体を通り抜けた風は、ただの風ではなかった。


 目を見開くことも、息を呑むことも、身じろぎひとつすることも許されない。風に乗って襲って来たのは、暴力的な情報の波だった。



 体の感覚も奪われ、気が付いた時には、地に伏せていた。

 眼前に迫っているはずの草が、色を失くしている。


 途切れ途切れ吐き出した呼吸が、それを揺らし、遅れて鼓膜に引きつった息が響いた。



 以前共有してくれたエーレの霊奏とは比べ物にならない。記録? 違う。記憶だ。



 ――これは、他のルシウスの記憶だ。



 それを認識した途端、ルシウスは激痛に襲われた。

 頭も胸も焼けるように痛い。


 痛みが更にあらゆる焦点を奪っていく。

 その中でも、与えられた情報を思い返そうとしてみるが――断片しか浮かんでこない。



 ――加護も与えてない相手に、度が過ぎるぞ――



 低く唸るようなエーレの霊奏を耳にしながらも、ルシウスはこみ上げてきた吐き気を抑えることは出来なかった。



 ’’君が邪魔するからあげなかったんでしょ’’



 輪郭をなくした声から感じ取れたのは、苛立ちと悲しみが内包された、そんな風の精霊の声だった。






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