信頼は沈黙を選ばない
扉が閉まる音でエーレは目を覚ました。
前には、「少し散歩してくる」との、シュトルツの筆跡のメモ。
今しがたの音は、そのシュトルツだろう。
机に向かったまま、知らずの内に眠っていたことを知ったエーレは、舌打ちを飛ばした。
前までは、あれほど眠れなくて困っていたのに、最後の制約発動から、知らないうちに眠ってしまっていることが増えた。
ルシウスとリーベが戻ってきていないということは、眠っていたのは短時間なのだろう。
それを知ったエーレは、頭を叩き起こすべく、シュトルツの後を追うことにした。
シュトルツの後を追うのは簡単だった。
彼が、生命力を軌跡として残していたからだ。
起きた時に、いつでも追って来れるようにだろう。
ただでさえ、あらゆる気配が多いこの空間は、地上に比べて生命力の感知がしづらい。
今のエーレには、地上では把握できるはずのルシウスやリーベの生命力が、どこにあるかすら曖昧だった。
心配性、いや過保護というべきか。仲間の行動を忌々しく思ったエーレは再び舌打ちをこぼす。
理由はそれだけではない。ルシウスに時間を与えたのは、彼のためだけではなかった。
この空間を体に馴染ませる必要があったのは、むしろエーレのほうだったからだ。
普通の人間とは違う造りの体であるにも関わらず、不安定な精神のせいで、生命力がうまく扱えない。
色濃く影響している精霊たちが、エーレのあらゆる感情に共鳴し、否応なく生命力を放出させていく。
彼はルシウスに与えた時間で、部屋に籠って出来る限り生命力を整え、練り上げるつもりでいた。
歩きながらも試してみるがどうもうまくいかない。そうしながらも、前来た時とは造りが違うエルフの里を歩き、小川に至ったところで仲間の姿を見つけた――
同時にそれは聞こえてきた。
「代償だよ。あと二度もあれば、エーレは自分を保てなくなるだろうね」
耳の良い彼には、十分すぎるほどに届いた声。考えるよりも早く、木の後ろに身を寄せ、そのまま背を預けた。
そこから語られたシュトルツの言葉。それでエーレは知ることになった。
「あいっつら……」
知らずのうちに、ルシウスに代償の詳細が共有されている。
出来る限り伏せて起きなかった真実。不思議と怒りは湧いてこなかった。
代わりに悲しみと僅かな安堵が、胸に浮上した感覚があった。
その間にも、シュトルツの声で語られ始めたのは、本来の自分の輪郭。
そうであったことも思い出せないほど、遠い場所に置いてきた自分だったもの。
エーレは脱力しそうになった体を、どうにか踏ん張って留める。
ゼレンだけではなく、傍にいた仲間は、ずっと前から自分の変化に気づいていたのだろう。
確実に崩れてきている。シュトルツの声が、脳裏で反響していた。
動揺するルシウスと、端的に強く告げたリーベの声。
近頃、リーベが自分に対する態度を変えていたことは当に気づいていた。
生命力が漏れ出している自分の気配を、あの二人はすでに気づいているだろう。
その上で、彼らは代償のことを話している。
シュトルツが軌跡を残したのは、これを聞かせるためだったのかもしれない。
リーベのよりも、エーレはシュトルツからの強い意志を突きつけられていた。
‘’俺はあんたのためになる一番の道を選ぶ。だから、この選択は後悔していない。
いつまでも意地張ってないで、あんたの背負う荷を俺たちに分けろよ‘’
そんな声がはっきり聞こえてきたからだ。
言葉にせずとも自分をしっかり見ていた仲間たち。気づいてほしくないところまでしっかりと。
これを人は信頼と呼ぶのかもしれない。しかし今のエーレにはそれが苦しく、鬱陶しかった。
先ほどよりも大きな声で、シュトルツが自分に対する愛と言って、意気揚々と語り始めたのが、更に鬱陶しく思えた。
普段、道化のように振舞っているくせに、こういうところだけは抜かりない。
それも全て、自分のためであることを嫌というほど知っていた。
掠れた舌打ちが、口から抜けていく。
これ以上は、ルシウスに勘づかれる。仲間は勘づかれてもいいと思っているのかもしれないが――エーレは踵を返し、隠蔽で自らを包んだ。
「人の気も知らねぇで……」
もう、今までのやり方では通用しない。
そんなこと誰に言われずとも一番に理解しているのは、エーレだった。
すでに方向転換を決めた仲間の背を、後ろから見ている気分だった。
こんな感覚になったのは、随分と久しぶりだ。
盛大に舌打ちを飛ばした後、これ以上ないほど大きなため息を吐きだしてみる。
明日のため、ルシウスの前ではいつも通りの自分でいるため、彼は生命力安定に努めることにした。




