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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
4章

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覆水見つめ、なお笑う

 


 ルシウスはリーベを見る。懐古も感傷もないその横顔は、いつものように静かだった。



「よかったんですか? リーベだけのことならまだしも、シュトルツや……エーレのことまで……」



 エーレは良い顔をしないだろう。



「構うものか」 リーベは苦笑じみた笑いを短く飛ばした。


「あいつの臆病風に付き合うのも、いい加減うんざりしてきていたところだ」



 そのあまりの言いぐさに、ルシウスは目を瞬かせた。


 あまりの驚きで閉口してしまった時に、リーベが目を合わせてきた。


 彼は、本日二度目。表情を崩し、おかしそうに頬を緩ませる。

 しかしそれは一瞬で、おもむろに手元へと落とされた瞳は、すぐに昏い色を宿した。



「元来あいつは慎重な性格だったが、これほど臆病ではなかった。代償がそうさせていることは理解している」


 だが……いや、だからこそ。



 背を一度伸ばした彼は、吐息と共に肩を沈ませた。



「私はシュトルツのように、エーレに忠誠を捧げているわけではない。私の判断は私がする。あいつに甘んじることは、もうやめることにした」



 ルシウスの脳裏に、彼の最近の態度が蘇ってきた。

 あれほどエーレの意思を尊重していた彼が、諫止することが増えている。


 自己完結した決意を、淡々と述べたリーベの言葉。



「それは……」



 ルシウスは次に続く言葉を見つけられなかった。


 ――どう取るべきなのだろうか?

 仲間内での立ち位置を変えると言っているわけではなく、彼のことだから、揉め事にするつもりもないに決まっている。


 ただ今後は、エーレの意向に必ずしも沿うわけではない。そんな強い意思表示。

 ここに自分が問うべき言葉はない。



 そう答えを出した時、


「いつまで立ち聞きしているつもりだ」 リーベの声が後方に向けられた。


「え?」



 振り返ると、そちら側にあった木の後ろから、ひょっこりとシュトルツが姿を現した。



「いや~これは不可抗力だよ。リーベが珍しくよく喋ってるから、ほら? お兄ちゃんとしてはなんだか微笑ましくて?」


「誰か誰の兄だ。来たはいいものの、出てくる機会を逃したと素直に言えばいい」



 すぐ近くまでやってきたシュトルツを見上げて、半眼で睨んだリーベ。


 シュトルツは一体、いつからそこにいたのだろうか?



「しゃあないじゃん。リーベ語りが珍しすぎて、邪魔しちゃ悪いかなと思ったんだよ」


「お前にそんな配慮があったのは、驚きだな」


「もう少し驚いてから言ってくんない?」



 リーベの隣に腰を下ろしたシュトルツが、笑い声をあげる。

 そのまま勢いよく体を地面に預けた彼は、両腕を枕にして空を眺めた。



「まぁ、いいんじゃない? 俺もそうした方がいいと思うよ」


「お前から賛同が得られるのは、意外だった」



 今度こそ、僅かに驚きを含んだ声でリーベが応える。

 ルシウスも彼同様、意外な気持ちだった。


 シュトルツは、いつだってエーレが一番で、エーレの意思に従っているのに。



「お前の忠誠は妄信的だろう」



 ルシウスの心境をリーベが即座に代弁してみせる。



「なにそれ、酷くない? 俺はちゃーんと、自分の意思で判断して決定してるよ。エーレがそれを望んでるからね」


「エーレが望んでなかったら、そうじゃないんですね」



 すぐに反駁したシュトルツの言葉は、やはり妄信的といっても過言ではない。

 ルシウスはそんな思いで吐き出す。



「だってエーレは俺の神だから」



 恥ずかし気もなく、当然のことを当然のように言ったシュトルツに、ルシウスとリーベの呆れたため息が重なった。



「まぁ」



 ため息の余韻が風に攫われた頃、シュトルツが身じろぎした音がして、リーベ越しにそちらを見ると、彼もこちらを見ていた。

 夕のような瞳は、空の色を反射して、一度紫のような色を輝かせる。



「エーレは神だけどさ。俺の神は全能ではないから。そのために俺がいるからね」


「それは殊勝なことだ」



 まったく響いた様子のないリーベの返答を最後に――三人の間に沈黙が下りた。



 ルシウスはシュトルツに倣って、地に体を預け、空を眺めることにした。

 隣のリーベも座ったまま、遠くの空を見つめている。



 シュトルツがいるのに、これほどの沈黙が続いたのは、出会った当初以来かもしれない。


 それほど長い静寂だった。



「そういえば――」 それを破ったのはルシウス。「エーレはどうしたんですか?」



 丁度、話の的になっていた彼の姿はない。



「ああ。エーレさんなら、よく寝てたから置いてきた」


「え」



 珍しい。普段あまり眠らない彼が、この空間で眠るはずがないだろう。そう思っていたルシウスが、思わず短い声があげた。

 そこに、リーベの重く長い息が混じった。



「限界はあと一度、というところか」


「そうだねぇ」



 交わされた二人の短いやりとりにルシウスは咄嗟に身を起こし、



「何がですか?」



 二人と順に見た。


 倣うように体を起こしたシュトルツが、瞳を伏せ、小さく口元を歪ませる。

 その表情だけで、嫌な予感が的中することを知る。



「代償だよ。あと二度もあれば、エーレは自分を保てなくなるだろうね」


「そんな――冷静に……」



 彼は誰よりもエーレを大切に思っていて、自分以上にそれを受け入れられないはずなのに。


 事実を事実として淡々と告げた。彼のそんな様子に、ルシウスは混乱を隠せなかった。



「でも……! そういう風には全然、見えないというか……」



 今までで何度制約が発生したのかは、知らない。

 出会ってからは二度。


 たしかに二度目、エーレは声を荒げて怒りをぶつけてはいたけど、あれは背景的に仕方ないと思える。



 僕だってエーレの立場なら、そうしたかもしれない。

 他は以前と変わらない、いつもの彼に見えるのに。



「上手く隠そうとはしてるけど、確実に崩れてきてるんだよね。

 見る限り、同調率が大幅に落ちてきてるし、思考の回りも遅くなってる。

 あの人が眠れなくなったのは……二度目の回帰以降だけど。最近は逆にぼんやりしたり、深く眠る頻度が増えてきた」



 シュトルツはルシウスをしっかり目を留める。



「――限界のサインだ」



 並べれられた事実に、言葉は見つからない。



「でも……」



 それでも食い下がりたかった。

 受け入れたくないし、いつものように冗談だと言ってほしかった。



「もっと言おうか?」 その甘えを見抜いたようなシュトルツの言葉は続く。


「君は知らないと思うけど」



 拒絶する暇すら与えず、切り出された話は、ルシウスの胸を抉っていった。




 本来のエーレは、怒りを表に出さない性格で、一度目の回帰こそ我を見失っていたが、その回帰を経て、ある程度本来を取り戻した。

 それから、少しずつ少しずつ、再び崩れていった。


 最後の制約発動時。あのエーレの様子は、彼らにとって異常でしかなかったらしい。



 常に中立中庸を崩さない彼は、どんな事態でも、先にそれぞれの意見を冷静に聞く。

 その上で誰が悪くても声は荒げず、今後の解決策を提示した。



 厳しい発言は元から多くはあったが、怒りから来ているものではない。

 必要な時に必要なことだけを言う、合理の極みのような性格。


 そのためなら相手に合わせて言葉を砕くし、伝える努力も惜しまない。



 それが、彼らの知る本来のエーレだった。


 ルシウスの知っているエーレの面影はある。それでも、随分かけ離れている気がした。



「三度目の途中まではまぁ、割とそうではあったんだけどね」



 言葉を挟む余地も与えることなく、一度に話したシュトルツは、そこで口を閉じた。

 リーベは何も言わなかった。それは同意を物語っている。



 知らなかった。

 代償が発生するたびに、心配はしていた。後がないと言う言葉も、散々聞いてきていた。


 けれど非情な冷酷な現実を突きつけられたルシウスは、もう何も言えなくなっていた。



「……どうにも、ならないんですか?」



 掠れた声で言葉を押し出す。


 うーん、と呻いたシュトルツは再び、体を投げ出して、困ったように首をゆらゆらと揺らし始め、



「制約を発動しないようにするのが一番」



 そんな当たり前のことを言ってのける。


 そんなこと……そうするつもりでも、前みたいに予期しないことだって十分にある。

 それが出来たら、こうはならないじゃないか。



 そんな気持ちが渦巻いたルシウスは眉間を深く寄せた――その時、肩に温かい温度が落ちてきた。


 宥めるようなリーベの表情。

 こういう時に彼が何をいうのか、嫌というほど知っている。


 それでも眉を寄せたまま、彼の言葉を待った。



「貴方が気に病むことではない、とは言えなくなってしまったが、この問題は私たちが引き受けている。どうにかしてみせるしかない」



 そのためにも。

 リーベは何かを思い出すように、視線を上へと逸らす。

 すぐに伏せられた瞳と、僅かな頷き。


 最後は、自らの意思を確かめるように、小さく息を吐きだした。



「私は、出るところは出るつもりだ。

 今後、衝突が増えるかもしれない。理解してほしい」



 彼の意思表示の基がそこにあったことを気づいたルシウスは、深く頷く。



 その隣にいるシュトルツは、空を眺めたまま、沈黙していた。

 飄々とした雰囲気は、情動ごと抑えられているようにも見えたし、何か思考の渦へ導かれているようでもあった。



「シュ――」 「そういやさー」



 彼が心配なって、声をかけようとしたと同時に、軽やかな声が空に投げられる。



「さっきまで、昔話してたんでしょ?」


「――そうだが」



 怪訝そうに眉を寄せたリーベへとシュトルツは、さっと顔を引き締めると、



「俺のエーレさんに対する愛は語ってくれた!?」 勢いよく、大きな声を張り上げた。


「シオンとヴィンセントの出会いからはじまり、あの美しい主従愛は!?

 そのあとの俺のエーレに対しての献身は!? あと――」


「そんなに話したいなら、お前が話せばいいだろう」



 うんざりしたようなリーベの声に、ルシウスは苦笑する。



「話したがらなかったのは、シュトルツじゃないですか」


「話したがらないというか、機会の問題だよ。エーレさんがいたら絶対嫌がるじゃん」


「そこはエーレを尊重しなくていいんですね」


「それはそれ、これはこれ。俺の溢れる愛は、全部エーレさんのためだから」



 それを示すように、勢いよく体を跳ねさせて立ち上がったシュトルツは、浪々とエーレに対する愛を語り始めた。



 代償のことが共有されて以降、彼らとの距離が断然縮まった。

 それをルシウスは実感した。


 彼らもきっと、沈黙を続けるのは辛かったのだろう。

 声を大きくして語るシュトルツに、ルシウスはちくりとした胸の痛みを感じた。



 こいつも飄々として馬鹿みたいにふざける。

 空気を読んでいかない。


 最初は本当に掴めない人だと思っていたけど。


 今もこうして、子供みたいに明るく振舞っている彼は……きっと……



 ルシウスの思考は、厚い鎧に隠されている仲間の内へと向き始めていた。


 すぐ前では立ち上がり、耳が痛くほどの勢いで語っているシュトルツ。

 話の内容よりも、全身で物語ろうとしている彼を見て、思わず笑いが零れた。



 その時――


 ふと、後方に不思議な気配を感じた気がした。



 踏み鳴らされた道、先ほどシュトルツが姿を隠していた木、里まで続く景色。

 振り返った視界の中には、誰もいない。



「今、誰か――」



 その声はシュトルツの声にかき消されてしまい、ルシウスは首を傾げる。

 同時にさらりとした風に漂ってきた何かが肌を撫で、思わず息を呑む。



 これは……


 もう一度辺りを見渡すが、感じた生命力の持ち主は、どこにも見つけられない。

 彼が生命力ごと気配を隠すのに、失敗するはずがない。



 ルシウスは隣の仲間を見るが、リーベはうんざりしたように片耳を塞いでいたし、シュトルツは相変わらず話している。



 僕の勘違い……だよね?



「ねぇ、ちゃんと聞いて!?」



 ぐんっと踏みよってきたシュトルツの声に、途端、意識を引き戻されたルシウスは、それ以上考えるのをやめることにした。





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