ユリウスの答え
食堂で給仕として、働かせてほしい。
ユリウスが断られる覚悟でしたお願いを、ダリアは呆気なく聞き入れた。
群れの嵐から街を守ったという快挙に、街はお祭り状態で、丁度人の手がほしかったらしい。
この先、母犬を連れていくわけにはいかない。
けれどせめて、母犬と子犬たちがしばらく食べていける餌代だけでも稼いでおきたい。
ユリウスはそう思っていた。
城を抜け出すときに持ってきていたお金や金品は、底をつきかけている。
これはユリウスの問題であって、ユリウス自身がやらなければいけないことだった。
保護してくれる人も見つけたい。
人間に不信感を抱いている、あの母犬を引き取ってくれる人はいるだろうか?
ユリウスは、働いたことがない。
接客なんてもってのほかだし、料理さえ運んだことがない。
メニューを見ても、何が何だかわからなかった。
ただ言われるがままに紙に書き殴って、厨房へどうにか伝えた。
席もどこがどこだか、わからなくなることもしばしば。
飲み物をもっていけば零すし、何度も皿を割りかけた。
けれどダリアの顔もあってか――レギオンの人たちは、そんなユリウスを温かく見守ってくれたのは幸いだった。
そうして朝から夜まで働き、間を見ては母犬とその子供に会いに行った。
母犬と子犬は無事再会できたようで、ここ数日で、ある程度元気になったように見えた。
毎日くたくたで、ご飯を食べて風呂に入って、寝るだけの日々が続いた。
外の世界の人たちは、これを当たり前のようにやっていたのだと思うと、深い尊敬の念も感じるようになった。
給仕の仕事でレギオンにいる人たちと接するうちに、少しだけ度胸がついたような自覚もあった。
何よりも喧騒の中で声を出すため、前よりもハキハキと、お腹から声を出して話せるようにもなった。
そうやって、レギオンにいる人たちと会話を交わすうちに、一つ気になることがユリウスの耳に入ってきた。
何故か、今回の群れの嵐を退けた功労者は、ダリアだということになっているらしい。
彼女が街を空けていて、群れの嵐の翌日に帰還したことは、レギオン内部の人なら全員知っているはずなのに、だ。
エーレのあの派手な魔法を、間近で見たものも多いはずだ。
エーレが口止めをしたのだろうか?とも疑ったが、皆の様子から口裏を合わせているようには見えなかった。
まるで事実が何かによって、根本から塗り替えられたような――そんな気味の悪い違和感を感じていた。
シュトルツに聞けば、わかるかもしれない。
そう思いながらも忙しく働くうちに、ユリウスの頭からその疑問はすっかり抜け落ちてしまっていた。
エントランスホールを走り回るユリウスを見たシュトルツとリーベは、最初こそ笑ったものの、応援してくれているようだった。
「金が必要なら、その髪は金になる」
そうリーベが教えてくれたため、ほんの少しだけ未練があったものの、バッサリと切ることにした。
それをダリアが喜んで買い取ってくれた。
「さっぱりしたら、かっこよくなったね」
ダリアにそう言われて、悪い気はしなかった。
「あれ? 僕のことお嬢さんって……」
彼女は、ユリウスが身に着けている魔鉱石の隠蔽効果で、ユリウスを女性だと勘違いしていたのではなかっただろうか。
そう口にした疑問に、ダリアは片目を閉じた。
「相変わらず、お前の冗談はつまらん」
エーレの声を真似たらしい――低めの声でダリアが言った。
どうやら、初日のあれはダリアの冗談であって、エーレもそれに気づいた上での返答だったらしい。
そして5日目。エーレがやってきた。
思ったより元気な様子に、ユリウスは安堵し、謝罪とお礼をいって、自分のできる範囲でご馳走をした。
この街を出て落ち着いたら、あの日のことで聞きたいことが山ほどある。
けれど、それは今でなくてもいい。今は、目の前のできることをやりたい。
その日の仕事終わりに、シュトルツから二日後の朝に出発するとの報告があった。
ユリウスは焦った。
まだ里親が決まっていなかったからだ。
翌日、ダリアにそのことを打ち明けると、母犬たちにご飯を持っていく際に彼女もついてきた。
母犬と子犬は、いつも通り日向ぼっこをしながらユリウスを待っていた。
その時初めて、ユリウスはその現象を目にした。
ダリアと母犬の目があった瞬間のことだった。魔法の使用ではない。でも不思議な波動を感じた。
これは……光の波動だ。
二つの波動が共鳴して、それらは不思議な音色を奏でて始めたのだ。
母犬は、ダリアに警戒することなく、彼女の前で伏せの状態をとり、それを見た彼女はそっと母犬を撫でて破顔すした。
「噂では聞いていたけど、初めて会ったわ。
人間も動物も、母親になるとね。稀に、強く光の精霊に同調する子がいるの。
この子もそうなのね。頑張ってきたのね」
ユリウスも、その噂は知っていたことだった。
後天本質とは別に、母親になった人にだけ光魔法が発現するという――稀に見られる特質らしい。
母の子供に対する感情は、本質に限りなく近しいほどの愛情なのだ。
「この子は私が預かるわ。もちろん、子供たちも一緒にね」
「え、でも」
「大丈夫よ。まだ不安定のようだけど、光の力が使えるんだもの。
任せて。私の後天本質は調和(水魔法)なの。この子と意思疎通することくらいできるわ」
ダリアの意思を感じ取ったのか、母犬は元気に一度吠えた。
「もし、文句をいってくるような人がいたら、私が黙らせるわ」
ダリアはそう言って、片目を閉じた。
その日のうちにダリアは母犬を含め、三匹をレギオンへ連れて帰った。
中には動物嫌いの人を中心に、反対する者の声も上がったわけであるが――ダリアの殺気立った微笑みのあとに、再び反論するものは現れなかった。
最初こそ知らなかったが、どうやらダリアは、このレギオン支部を牛耳る裏の主人のような人であるらしい。
母犬と子犬を、ダリアの光と水の魔法で綺麗にして、温かいご飯をあげた。
そして彼女は、レギオン内で腕の心当たりがあるものを数人集めて、カウンターからよく見える一角に3匹の寝床を作らせた。
そうこうしているうちに、夕刻になり、寝床が完成しようとしたとき。
買い出しから戻ってきた様子のシュトルツとリーベが、ごった返しているレギオン内に、唖然とした表情をして、入り口で固まったのが見えた。
状況を把握したシュトルツは、大きな声を上げて、笑い出す。
何がどう彼のツボにハマったのか――お腹を抱えては、笑いすぎて涙まで浮かべだした。
「あー、面白いもの見せてもらった。エーレさんに報告してこよ」
ようやく笑いが落ち着いた彼は、ひとりごちて部屋へと上がっていった。
リーベはそれに続くことはせず、ユリウスの隣に来ると「エールを二つ」と注文して、カウンターへ座った。
そろそろレギオン内に、夕食を食べにやってくる人が増えてくる。
ユリウスはすぐに厨房に入り、エプロンをつけると、ダリアさんにその旨を伝えた。
彼女は面倒くさそうに頷くと、渋々といった具合にエプロンをつけて、エールを二杯ユリウスへ渡す。
それをカウンターに置くと、リーベはそのうちの一杯を差し出してきた。
その意図がわからず、ユリウスは、「え……」と固まってしまった。
「これが、貴方の出した答えなんだろう? その祝いだ」
ユリウスの出した答え――
リーベも、ユリウスの葛藤を知っていてくれていたのだ。
そしてこの行動こそ、ユリウスの答えとして受け取ったのだろう。
「でも僕、お酒はまだ……」
この国の成人は十六歳だ。お酒が禁止されているわけではない。
しかし、城での成人の儀は、十七歳になって行われる。
だからユリウスは、お酒を飲んだことはなかったし、いまだお酒の席は禁止されていた。
「ここに貴方を咎めるものは、誰もいない」
彼の言葉にユリウスはハッとなって、差し出されたジョッギへと目を落とした。
そうだ――ここはあの狭くて息苦しい、城ではない。
金色色に揺れるジョッキを、ユリウスは恐る恐る持ち上げた。
リーベに促されて、彼のジョッキと重ねる。
ガラスのぶつかる、鈍い音が鳴った。
初めてのエールは独特の香りが鼻について、とても苦かった。
けれど、ほんの少しだけ大人になれたような気分だった。




