境界線のこちら側
任務は完遂された。
仲間はルシウスが思っていた以上に、今回の貴族の交流会で起こりうるだろうことを把握していたのだ。
ワインの催淫薬はさすがに知らなかったらしいが、それ以外の貴族たちの陰湿な仕込みの内容を、エーレが記憶していたらしい。
結局のところ、誰かワインに催淫薬を盛り、エリオットの懐にペンダントを仕込んだのかは判明していない。
エリオットの報告を受けて、レオンハルトはワインとペンダントの件は個人的に調査に乗り出しているようだった。
催淫薬が効果を発揮するタイミングで、クラリスという令嬢が乱暴をされかけたと進み出る。令嬢の名誉に傷つけてなお、エリオットの名を堕としたい者が確かに存在している。
帰りの馬車で彼らはこう言っていた。
令嬢は単なる駒に過ぎない。裏に手を引いている貴族がいる。
それが彼女たちの父であるのか、それ以外なのかの検討は未だついておらず、その範囲を絞るために、シュトルツたちはあえて難癖をつけやすい状況を作り出し、様子を探っていたらしかった。
全てがうまく手回しされているところから、ワインもペンダントもクラリスの件も、裏幕は同一人物であろうという推測があるだけだった。
ひとつひとつは、賠償程度で収まる問題であったものの、もし三つ全ての企みが成功していたならば――エリオットの名誉を奪うには十分であっただろう。
レオンハルトはエリオットの兄として、今回の件に対して、最大の感謝を告げてきた。
一方、最後のシャンデリア落下の件。
ルシウスは、一時はその彼の自作自演すら疑ったものだった。
その疑念を晴らしたのもまた、背景を説明してきたエーレで、ルシウスは呆れを通り越して言葉が出てこなかった。
前回までエリオットは他の貴族に潰されてきた。しかし、彼がどれほど貶められようとも、ヴァルハイド家は彼を庇護し続けた。という噂があったらしい。
所詮噂である。だから警戒していたのは事実でもあったとも言ってはいた。
それを離すエーレの声色は、どこか優しかったように思える。
――じゃあ、どうしてレオンハルトは、あんなにエリオットを睨んでいたのだろう?
後日、改めて報酬の相談へと向かったヴァルハイド家屋敷で、疑問を口にしたルシウスに、だらしない恰好のエリオットが、肩を竦めて苦笑した。
エーレたちが先に部屋から退出してしまった時に、ふと思い出しての疑問だった。
「最初は僕も驚いたよ。どれだけ反りが合わなくても、社交の場では良い兄を演じているレオンハルトがあれだけ睨んでくるんだからね」
あれはエリオットではなく、彼の周りにいた見覚えのないルシウスたちを警戒していたとレオンハルトは説明したそうだ。
エーレやシュトルツが、エリオットの信頼を勝ち取る真似をして、彼らこそがエリオットを貶めようとしていると、随分疑ってかかっていたとも。
「でも……仲があんまりよくないのは、本当なんですよね?」
控えめに聞いてみると、彼は眼鏡の奥の瞳を細めた。眼鏡は新品になっていて、それが良く見えた。
「三十をいくつか超えて、僕も大人になったつもりではあったけど。
どうやら僕たちは、もう一つも二つも大人にならなきゃいけないみたいだ」
彼は、先にエーレたちが退室した扉の方を見て続ける。
「これほど近くにいる兄弟とですら、腹を割って話したことがない。そんなことを今更になって気づかされたよ」
ルシウスは彼の視線を追った。その先から、ルシウスを呼ぶ声がした。
すぐに行くと答えて、扉へ向かう。
ドアノブを回した時、ルシウスの頭には、もう一つの疑問とも言えない問いがふと浮かんだ。
それを言葉にするか一瞬迷って、ノブを回したままの手を見る。
尋ねたとして、返ってくる言葉はわかりきっている。
それでも聞いてみたかった。
「ヴァルハイド卿は――」 「エリオットでいいよ」
振り向いた先で、エリオットは優しく微笑んでいた。
「……エリオットさんはこの先、もっと危険があるかもしれないとわかってても、研究をやめないんですか?」
「そうだね」
即答だった。ルシウスは、貴族には思えないだらしない恰好の彼を、上から下までじっと見つめた。
「どうしてですか?」
エリオットは重ねてきた問いに、一度だけ目を瞬かせると、「んー」と唸った。
「それは考えたことがなかったかな。どうしてなんて考える暇があるなら、僕は新しい発見をしたい。
民のためというのは、後付けなんだ」
小さく笑った彼に、今度はルシウスが目を瞬かせる番だった。
その正面でエリオットは続ける。
「残念だけど、僕に大義というものはないよ。ただただ、僕がしたいことをしているだけの、自分勝手な人間だ。けれど――」
廊下の先から再び、ルシウスを呼ぶ声がした。
「今、行きます!」 「僕はそんな自分に納得しているし、満足もしてる」
二人の声が、穏やかな静寂の中で重なり、ルシウスはたしかに聞き取れたその言葉を最後に、部屋を後にした。
◇◇◇
「何もかも、貴方たちの手のひらの上だったみたいで、釈然としないんですけど」
レギオンへの帰路で、ルシウスは誰ともなく、不平をこぼす。
「まさか」 前を行くシュトルツが笑った。
「俺が、今回の仕込みでどれだけ苦労したか~
結果的にうまくいっただけ」
あくび交じりの、相変わらず緊張感のない彼が続けた言葉に、ルシウスは眉を潜めた。
彼らは今回も、事前に知っていた情報をもとに、全てをうまくこなしてしまったわけだ。
「不満そうだな、ルシウス」
隣に並んだリーベが、苦笑気味に尋ねてきた。
「不満というかなんというか……」
自然と目が向かった先は、見慣れた姿の黒の背だった。
エーレを見て、先ほどまで目にしていたエリオットが浮かんだ。
「結局、根本の解決は出来てませんよね」
たしかに今回、起こり得ただろう難は全て退けた。けれど、エリオットに迫っている危険を排除したわけではない。
「お前」 エーレがちらりと後ろを一瞥してきた。「本質を見失うなよ」
彼はそれ以上何かをいうことはなかったが、それに補足してくれたのはリーベだった。
「今回の依頼はたしかに卿の護衛だったが、私たちの目的はそこではなかっただろう?」
「まぁ、それは……」
「貴方の不満は理解している。だが、私たちは依頼で出来る限りのことをしたし、貴方は貴方でやるべきことをしっかりこなした」
それでも不満か? こちらを覗き込んできた彼の茶金色の瞳が、優しい色を帯びた。
ルシウスは何も言えなかった。
確かに自分たちのやるべきことは全部した。
エリオットの身を案じるよりも、次にやらないといけないことは山ほどある。
皇帝の支配魔法の根源を見つけ、対策を練る。エーレのいう本質はそこなのだろうということも、理解はしていた。けれど――
前ではシュトルツが、エーレの顔をじっと覗き込んでいた。鬱陶しそうに払われたエーレの手に弾かれるようにして、彼はひらりと振り返る。
「エーレさんの言葉を借りるなら、これ以上は俺たちの領分ではないってことだよ。
俺たちは俺たちの出来ることをするだけで、卿のために出来ることはもう何もないよ」
ね? エーレさん、と左右に大きく揺れながら、エーレに絡み始めた。
まるで飼い主に褒めてもらいたいように近づく彼に、エーレは心底鬱陶しそうに歩を速めていく。
一つ荷が下りたと言わんばかりの彼らを見て、ルシウスは首を傾げた。
縁が出来た人たちのために、何か出来ることはないだろうか。エリオットが危険に晒されるのなら、もっと他に対処できないだろうか?
そう思うのに、仲間はもう自分たちに出来ることは何もない。そうきっぱりと言った。
言葉通り、何かをするつもりは毛頭ないのだろう。
彼らと僕との、この違い。その間にあるものはなんなんだろう?
僕にはまだ、彼らの言葉も意味も気持ちもよくわからない。
「卿からテオドールへの面会まで待機」 ルシウスの思考を遮るように、前から声が聞こえてきた。 「その間に――」
首だけ振り返ったエーレは苦虫を潰したような表情で、舌打ちをひとつ。
「あのくそ女に会いに行くか」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
本当に感謝です!
四章貴族交流会編はここで閉幕。
次話は任務完遂後の小話になります。
そのあとからは「エルフの里編」開幕です。
これからも引き続き、応援のほどよろしくお願いします!




