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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
1章

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22/204

夜明け――喪失と始動

 



 

 エーレは夢を見た。

 しかし、起きた時には覚えていなかった。

 懐かしい夢を見た気がするが、同時に深い喪失感があった。

 染みのできた石灰色の天井を、ただぼんやりと眺めていた。



 この感覚は、もう嫌というほど知っている――いつものやつだ。



 ’’今回’’こそは、出来るだけ早くに動く予定であった。

 ここまでは、順調よくきていたはずだ。

 まさか、群れの嵐(ホルデンシュトゥルム)がこうも早くにくるのは、想定外だった。



 胸の痛みは、もう引いている。

 なのに、胸がまだ痛むような錯覚に陥る。



 今回は一体、何を失ったのか――



 そんな問いかけに、答えてくれるものはおらず、エーレは最近は書くことをやめていた日記の存在を思い返して、舌打ちをした。

 見慣れたレギオンの宿にいるということは、出航を遅らせる判断をシュトルツがしたのだろう。

 エーレとしては、たとえ自分に意識がなくとも、少しでも早くに街を出てくれていた方が都合がよかった。

 しかし、ユリウスの行動から鑑みるに、後処理も考えて、シュトルツはその判断を下したに違いない。




 あの日、非常鐘が鳴るよりも早く――エーレたちは群れの嵐(ホルデンシュトゥルム)を察知して、防壁の上へと移動していた。

 防衛に参加する気はなかったが、街に魔物に侵攻されて、出航が取りやめになる事態だけは避けたかった。



 エーレは、シュトルツとリーベに街の防壁への結界を指示した。

 リーベの土の魔法と、シュトルツの光の魔法――

 それで街を囲み、そこを突破してこようとする魔物がいたら塞ぎ、浄化する。


 土の守りの力で結界を築き、そこに光の浄化の力を組み込む。

 穢れが触れると、自然と浄化される仕組みになっていた。


 出来るだけ人目につくことなく、予定は遅らせないようにする最善の選択だった。


 この街で、光の力の使い手として、ダリアの上をいくものはいない。


 そんな彼女が、街を空けているというのは痛手ではあるが、レギオンに所属するクランが大勢いる。

 彼らは‘いつも’街を防衛しきっていた。ダリアがいなくても、問題はないはずだ。



 エーレは万が一に備えて、防壁の上から、戦況を見守っていた。

 まさかユリウス()が、この場に飛び出てくるなんて、思いもしなかった。



 エーレは記憶を反芻して、目を左手で覆い、深い溜息をついた。

 落ち込んでいても、しょうがない。

 どれくらい、意識を失っていたのかも気になる。


 そう思って、ベッドから出ようとしたとき、一つしかない扉が開いた。

 シュトルツだ。手にはタオルとコップを持っている。



「お目覚めのようで。気分はいかがですか? お姫様」


「最悪だ」



 口から反射的にこぼれ出た言葉とは裏腹に、彼の軽口を聞いて、エーレはどこか安堵したのを自覚した。

 シュトルツから水を受け取り、飲みながら尋ねる。



「どれくらい寝てた?」


「丸々、五日かなぁ。割りと長かったね」


「五日か……」



 外は明るい。正午前だろうか?



「あいつは何してる?」


「あー」



 シュトルツは眉をあげて、楽しそうに顔を緩めた。



「腹減ったんじゃない? 直接、見てくればいいと思うよ。

 俺は、船の手配してくるから」



 それだけ言った彼は、ひらひらと手を振り、早々に部屋を出て行った。

 彼の反応を怪訝に思って、エーレは眉を寄せる。


 どういうことなのか検討もつかないが、たしかに五日飲まず食わずで、空腹を感じているのはたしかだった。

 支度を済ませて一階へ降りると、いつもの角席で、リーベを見つけて隣にかけることにした。



「無事、回復したようだな」



 彼は安堵の表情を見せると、カウンターの方へと手をあげる。

 その視線を追った先――そこから、エプロンをして伝票を持ったユリウス()が、速足でやってくるのが見えた。


 エーレはその様子を見て、言葉を失う。

 ――こいつは、何をしているんだ。



「エーレさん。意識が戻ったんですね」



 その顔は、いつも以上に生き生きをしていて、まるで別人のようである。

 ユリウス()は、申し訳なさそうに眉を寄せると



「あの日はすみませんでした。本当にありがとうございました」



 伝票を胸に抱え、深く頭を下げた。

 その時、彼の違和感の正体に気づいた。

 あれだけ長かった髪が、肩につかないほど短くなっていた。



「僕の短慮な行動で、ご迷惑をおかけしました」


「それはいい。どうして、あんな場所に飛び込んだ?」



 ユリウスの行動を今更、責めても意味はない。

 気になるのは、そこだった。


 リーベからユリウスが、犬に食料を与えてることは聞かされていた。

 その街にいたはずの犬が、魔物になった経緯はどうだってよかった。


 どうやって、魔物と化した犬を見つけ出したのかだ。

 大体予想はついていたが、本人から理由を聞くべきだと思った。



「気を失ったときに、夢をみたんです。多分、森全体――それとあの母犬と同調していて……

 森が燃えていて、母犬が助けてほしいって声が聞こえて……

 それでたまらず、飛び出してしまいました。本当にすみません」



 森が燃えていた?


 そういえば、防壁の上に上がっていたときに、やたら空が明るかった気はしていた。

 防衛で魔法の行使の影響もあったから、そこまで気にしていなかった。



 ユリウス()の言葉に前のリーベも眉を寄せた。

 どうにしろ群れの嵐(ホルデンシュトゥルム)は起こるべくして起きた。

 しかし、予想より早まったのは、人為的なものかもしれない。



 ――誰が、どうして? 何のために?



 そんな疑問を頭の中で巡らせていると「とにかく先に何か食べてください」と、伝票を用意したユリウスが言った。

 とりあえず適当に注文をして、彼を見送ったあとリーベを見る。



「今回のことは、後で考えるにしても……あれは、どういうことだ」



 あれ、とは勿論、エプロンをつけて、働いているユリウスだった。



「ダリアに頼んで、街を出るまで、ここで働かせてもらっているらしい。

 あの犬を連れてはいけないから、できるだけ餌代を稼いでおきたいと聞いた」



 肩の力が、抜ける気がした。

 相変わらず安直というか、なんというか……



 溌剌とエントランスホールを走り回るユリウス()を見て、不思議と悪くはないと思った。

 彼は彼なりに、前へ進もうとしているらしい。



「あの髪はどうした?」


「同調率の高い人間の髪には、力が宿る。

 金を稼ぎたいと言ったから、教えてやったんだ」


「金になるといってもお前……あの髪は目立ちすぎるだろう。誰が買い取るんだ」


「ダリアに決まってるだろう?

 光の加護持ちのダリアなら、とっくにあの子が訳ありだってことには気づいている。

 そもそも、隠蔽が相殺されるんだからな」


「あの物好きめ」



 カウンターを見ると、ダリアは楽しそうに、ユリウスに料理を渡している。


 ――ここまでは順調だった? 本当にそうだったか?


 エーレは深い溜息をついて、考えるのをやめた。

 しばらくして、見ている方が不安になるような覚束なさで、ユリウスが両手いっぱいの料理を持ってくる。



「いつもお世話になっているんで、これは俺からです」


「お前……」



 呆れて言葉が出てこない。



「わかったから、とりあえずその俺ってのやめろ。気持ち悪い。

 なんでも、形から入ればいいってもんじゃねぇ」


 するとユリウスは、恥ずかしそうに頬をかいた。


「やっぱりそうですよね……俺っていう方が、強そうかなと思ったんですけど……」


「二,三日後には街を出る。またシュトルツに報告させるから、それまでに準備しとけ」


「わかりました。エーレさん、もう大丈夫なんですか?」


「問題ない。さっさと戻れ」



 追い払うように言うと、エーレは料理に手を伸ばした。

 五日ぶりの食事は思った以上に美味しく感じた。

 次々と口に押し込み、飲み物で流す。



 イライラする。

 予定が狂いすぎている。

 なんなんだ、今までこんなことはなかった。

 それにまるで、別人のような表情をしているあいつ。



 人はたった数日で、こうも変わって見えるなのだろうか?


 胸にこみあげてきた、やるせなさに似たような何か――

 遠い昔に忘れ去った感情が、小さく胸の底で、沸々と泡立っている感覚。



 焦燥感ではない。苛立ちに近い――それでいて切ないのような……ほんの少しだけ、胸が躍るような慣れない何か。

 まさか……そんなわけがない。



 そんな感情は、とうの昔に捨てた。拾いなおすつもりもない。

 その感情は、目的を果たすためには、必要ないのだから――



 ただ少し、想定外のことが起こりすぎて、整理しきれていないだけだ。

 胸に宿った違和感は、すぐに消失した。



 さっさと食べて、出航の準備を整えなければいけない。

 この国を出て、目的を果たすための基盤を、作らなければいけない。



 エーレは思考を整え、これからのことを考え始めた。




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