音に乗せた祝福をもって
「朝から人を話のネタに、珈琲啜ってんじゃねぇよ」
その人物がいた。
エーレはリーベの隣の椅子を引くと、気怠そうに腰を下ろす。そのまま背もたれに片肘を乗せると、足を組んだ。
どこからどう見ても、レギオンに相応しい輩だ。元王族の影もない。
戦場で雄々しく凛と戦っていた彼と、同一人物なのかと疑ってしまうほどに。
彼はこちらを斜め上から見下ろすように、こちらへ視線を向けてきた。
ルシウスはテーブルの上のストローへと再び顔を寄せ、ちらりと彼を見る。勿論、目があった。
すぐに視線を逸らして、コップの黒い液体を注視することに専念した。
何しにきたんだろう……
リーベもリーベで先ほどまで会話していたのに、一言も話さなくなった。
あー、朝からまったりそれなりに穏やかな時間を過ごせていたというのに。
「――お前」
前から落ちてきた声に、ルシウスは視線だけを上げる。そこには何か考えているようなエーレの顔。
「古代言語どれくらい覚えた?」
今に始まったことではない――唐突な質問に、「え?」という声と共にストローがコップの中に沈んでいった。
質問の意図はわからないなりにルシウスは、椅子に座りなおして「まぁ」と続けた。
「それなりには。語彙はまだ不足してますけど」
すると再びエーレが考えるような間を置く。彼にしては、珍しい反応だった。
「どうかしたんですか?」
「いくつかある」
エーレは態勢を整えるようにして組んでいた足を解き、正面へとしっかり座りなおした。
「この前お前に禁止していた、風への霊奏の件だ。俺が隣にいるときに今度試してみろ」
ルシウスは怪訝に思って眉を寄せる。あれだけ激昂した件なのに、一体何の心境の変化があったんだろう。
応えない彼に構うことなくエーレの、
「孤児院行くなら、妹に名前でもつけてくればいい」
そんな言葉にルシウスは「え」という声すら出ず、その形のまま空いた口を閉じられずにいた。
彼には言っていないはずなのに、どうして知ってるんだか……
「腹違いでもお前の妹だろ」
「いや、それはそうですけど……
僕がつけるより……それに、ヘレナって呼ばれてたじゃないですか」
「その件なんだが」 そこにリーベの声が滑り込んだ。 「彼女が最初にいくつか挙げた名前に、それが含まれていなかった。おそらく本人が気に入っていないのだろう」
少女とリーベの会話を、ルシウスは曖昧にしか覚えていない。
たしかにいくつか名前を挙げていた気はする。
ふと、エーレの最初の言葉を思い出した。古代言語の下りからその会話に繋げるということは――
「古代言語でってことですか?」
どうして名前なんて言い出したのか。孤児院に行くだけで荷が重いと言うのに。
ルシウスが僅かに眉を寄せた時だった。
「‘’ルシウス‘’」
凛としたエーレの声で呼ばれたそれは、いつも以上の何かしらの響きを持って、彼の耳朶を響かせた。
「古代言語は精霊が理解できる言葉だ。音がなくても、稀に聞き取れる精霊もいる」
彼の意図がわからなくて、ルシウスは咄嗟にリーベを見た。
「つまりは古代言語での命名は、祝福になる可能性があるということなんだ。
稀に精霊たちがその意味を汲み取って、その子を守護してくれるときもあったらしい。今でこそ失われた言葉だが、遥か昔には、古代言語での命名が主流の時期もあったと聞く」
ルシウスは仲間の名前を思い浮かべた。
今ではそれぞれの名前の意味を知っている。リクサが何故、その名前をつけたのかという意図はわからない。
ルシウスは、前の二人をゆっくりと順に視界に捉えた。
けれど二千年前を生きてきた過去のあるリクサが、古代言語で彼らに命名したのは――
「俺らはあのくそ女からのこの名前を、祝福だなんて思ってねぇけどな」
その視線からルシウスの思考を読み取ったように吐き捨てたエーレが、音もなく立ち上がる。
そこへ丁度機を見計らったようにシュトルツがトレーを持ってやってくると、エーレはシュトルツに勧められるまま他のテーブルに移っていった。
離れていく二人を眺めながら、ルシウスはやはり仲間の名前を頭の中で、ぐるぐると回していた。
そして思考は少女の名づけの提案へと再び着地して、更に彼を悩ませようとした。
そんなルシウスが、頭を抱えたくなった時――
「リーベ」
正面の仲間が自らの名前を声にしたのを知って、そちらへ視線を戻す。彼はわずかに眉を下げていた。
「残念ながら私も、この名前を祝福だとは思っていない。おそらくそれはシュトルツも同じだろう。
祝福が呪いにもなり、呪いが祝福に変わることもある。
名づけが貴方にとって荷が重いというなら無理はしなくてもいい。彼女の意思もあるだろう。
それを踏まえた上で、よくよく考えてみるといい」




