キングの前へ立つ駒は
シュトルツの弟と接触して、どうするつもりなんですか?
貴族街からレギオンへ帰る道中、珍しく機嫌がよさそうなエーレの背にルシウスが問いかけた。
今なら、いつもと違って簡単に話してくれるのではないか、と思ったからだ。
しかしそんな予想は見事に外れて、それはこの護衛依頼を完遂させたあと改めて話すと一蹴されてしまった。
シュトルツとリーベは、エーレがどうしようとしているのかある程度察している様子だったが、口を開かない。
その理由とも言えない理由を、リーベが説明してくれた。
一度目と三度目の回帰は途中断念したから言わずもがだが、二度目においても貴族との交流は基本的にしてことはなかったという。
どうやら二度目はかなり強行突破に出て、皇帝を討ったらしい。
それを今回起こすには時期的に速すぎる、他の方法を取るしかないとのことだった。
つまり結局のところ、エーレは確信がないからまだ言いたくない、もしくは模索中とのことなのだろうか?
ルシウスは再び前にある背を見た。
「時期的にってどういうことなんですか?」
強行突破を取ると、おそらく制約も発生するだろう。そして、時期という言葉が差すのは、おそらく大陸の情勢。
大通りの行き交う人々へと一度視線を回したリーベは、そっと耳打ちするように告げてきた。
「二度目、私たちは反皇帝派と手を組んだんだ」
「え」
驚愕したルシウスがそちらを咄嗟に見る。
すぐ近くにあった絹糸のような銀髪が、彼の頬を掠めると同時に、いつも以上に近かったリーベの茶金色の瞳が怪しく輝いたような気がした。しかしそれはすぐに伏せられて、髪と同じ色の長い睫毛で隠される。
――反皇帝派。
大人たちの噂で聞く程度で、その存在は明らかにされていなかった。
普通は貴族の中にも当然のように派閥があるものだが、帝国内に至ってはそれが不思議とない。帝国貴族は皇帝を神のように崇め、付き従っている。
皇帝に意見をするものの姿をルシウス――ユリウスは見たことがなかった。
勿論、貴族間での些細ないざこざは頻発していたようだったが、それも基本皇帝が解決していたし、それに対して他の貴族が抗議していた様子も見かけたことがない。
ふと、そんな過去を思い出したルシウスは、帝国の異常さに疑問を感じた。
民や貴族にどれほど慕われる王であっても、必ずそれをよく思わない臣下がいるものだ。
彼の学んできた歴史上で、常にそうであったように。
今思えばあれも全て、皇帝の支配の影響なのかもしれない。
一体どうやってそんな広範囲に水の――支配の魔法を張り巡らせているのか。
そんな思考の先で何故か、あの暗い地下牢と孤児院にいた真っ白な少女が同時に浮かび上がった。
依頼の件で一時は忘れることが出来ていた、胸をざわつかせる感覚。
心の表面をざらざらとしたもので、こすられているような不快感。
皇帝、支配、地下牢、兄妹――あの少女。
頭を支配しようとしたそれらをルシウスは首を振ることで遠ざけた。
その後に浮かんだのは、今しがた話題になった反皇帝派という単語。
ルシウスはリーベと同じように、今一度通りの人々を見渡した。
先ほど彼がそうしたということは、その単語は禁句に近いのかもしれない。
ルシウスは隣へ一歩近づいて、声を潜める。
「反皇帝……その人たちって、本当に実在するんですか?」
隣の彼はこちらへ一瞥することなく、前を向いたまま答える。
「すでに大陸のあちらこちらに拠点をおいて、秘密裏に存在はしている。
ただし、今のところ何一つ行動は起こしていない」
「時期ってつまり」
「ああ。彼らが反旗を翻した時期に、私たちも動いたのが二度目だ」
彼ら以外にも、この大陸の在り方を問題視している人たちがいる……?
そして彼らに皇帝の支配は届いていない。
冷静に考えればその事実は当然にあってもおかしくないのに、ルシウスにとっては意外なもので、当時にどこか希望のようなものを感じさせるものでもあった。
「でもそれは一年以上先の話だからねぇ。それまで待ってられないし?」
前を行くシュトルツの、話題には到底合わない軽い声を挟んできた。
一年。長くはないかもしれないそれは、彼らにとっては、目的の達成を左右するほどなだろう。
忙しなく回るルシウスの頭の中に、次は会ったこともない彼らの大切な少女の輪郭が浮かぶ。
その時、沈黙を守っていたエーレが言った。
「この馬鹿から色々聞いただろうが」
強く深く底光りする漆黒の瞳が、おもむろにこちらへ向けられた。
「俺は前みたいに、出しゃばるつもりはない。全てがうまくいったとして、その時は――」
’’お前が決着を付けろ’’
最後の一言が、ルシウスの頭の芯に強く響いた。
コンラートの屋敷でのシュトルツとの会話が蘇る。目の前に、あの時のチェス盤が見えた気がした。
こちらの最終マスに置かれたキング。皇帝を討ったエーレ。
その盤面。キングの前に、自分が立つ想像。彼にはそれが、どうしてもできなかった。
立った途端、その駒は粉々に砕かれてしまう。そんな恐怖だけが浮かび上がる。
ルシウスはエーレの言葉に応えることは出来ないまま、音にすらならない息を呑みこんだ。
わかっていたつもりだった。この道を彼らと共にいくということは、皇帝と、自分の父といつか決着をつけなければいけないということを。
それはおそらく、この手で父を討つことになるということを――
夏の日差しがヤケに暑く、目を焼くように思えた。
けれどどうしてか、彼の瞳はそのまぶしさを受け入れることはなく、遠い過去の城の中を想起させていた。
夢で見た父の優しい声と、恐ろしい声、城を出る前日に父が呼んだ自分の名前。
雑踏の中、あらゆる父の声だけが、頭の中に反響していた。




