王家の剣へと通ず、異端者との密約
結局、交換条件として、ヴァルハイド卿の依頼について、エーレはミレイユに教えていた。
受けるかどうかはまだ決まっていないという言葉を付け足して。
卿の依頼内容が、公の場への出席ということ。
隠蔽では、何か不足の事態があった場合に対処できないということで、髪と瞳の色を誤魔化す予定らしい。
しかしエーレがそこまで考えているということは、すでにこの依頼は受けると言っているもののように思えた。
アポロンの時、第二刻(十六時)には、ぎりぎり間に合った。
屋敷の前にやってくると、使用人らしき人に裏口から通され、細く続く抜け道のような廊下を抜けた先の部屋に、ルシウスたちは通された。
しばらくして彼はやってきた。
しかしソファーに座るエーレは立ち上がる様子もなく、隣のルシウスはどうしたものかと迷った挙句、振り返って、会釈だけに留める。
そこには――
「やぁ、待たせて申し訳ないね」
高位貴族だとは思えない、服装も髪も乱れに乱れた痩せすぎの男性がいた。
呆気に取られたルシウスと目が合うと、彼はにっこりと微笑み、そのまま正面のソファーに腰を掛ける。
ヴァルハイド辺境伯三男。
エリオット・ヴァルハイドとすぐに名乗った彼は、興味深そうにエーレをまじまじと眺め出した。
かけている眼鏡は手入れがされていないのか半分曇っていたし、そもそもが歪んでいた。
彼はエーレを見るのにも飽きたのか、懐から取り出した小瓶から大量の錠剤を手に乗せると、水でそれを流し込んでからソファーへと座りなおす。
ルシウスは彼の一挙一動を見ながら、やはり呆気に取られたままだった。
「まさか君たちが、僕の依頼を受けてくれるとは思わなかったよ」
男性にしては少し高くて細い声で、ヴァルハイド卿は控えめに両手を広げ、嬉しそうに笑う。
「俺たちのことを話す必要はなさそうだな」
貴族相手でも動じることなく淡々と確認をしたエーレは、おもむろに右手を肩位置まであげた。
するとシュトルツが用意していたように、一冊の本を二人の前のテーブルへと置く。
『空白の時間』だった。
「アリレオ・シアとして執筆活動をし、別の名義で論文を多数発表。公衆浴場開発において、バイオガス利用を提案した科学者。
魔法を主とするこの世界で、魔法に依存しない科学を追求する異端者。素性を表に出そうとはしない。
――それがお前だ。合っているな?」
エーレが、まくしたてるように言った。
最近、公衆浴場が建設され始めたのは有名な話だった。
今までは、高価な炎(燃焼)の魔鉱石を買える裕福層しか、浴槽を利用することが出来なかった。
しかし魔法石に頼らずとも、湯を沸かせる技術の開発、それに伴う公衆浴場は、一般市民が安価で利用できるものになるという。
これは市政を大きく動かしたのだった。
まさか目の前の男性がアリレオ・シアだけではなく、その開発の第一人者であるだなんて思ってもみなかったルシウスは空いた口が塞がらない。
「感激だなぁ。僕のことをここまで知ってくれてるなんて……」
素直な感想を伝えた卿に、エーレは苦笑を挟んだ。
「感激で済んだら今回の依頼は必要ねぇだろ。俺らがお前の素性を知っていることに、まず危機感を感じろ」
まさかの苦言にエリオットは目をパチクリさせたあと、何故か楽しそうに笑った。
「それはそうだ。ご心配ありがとう。そういう面も考慮して、君たちに依頼を持ちかけたんだから平気だよ」
鼻で笑ったエーレに、彼は続けた。
レギオンに属するクランの過去の実績を、レギオンの許可のもと閲覧した際、カロンが出来るだけ表に出ないようにしていることを察したらしい。
一人歩きしている噂も含め、あらゆる考察の末に、彼は何かあった場合はカロンに話を持ちかけようと前々から決めていたそうだ。
「他のクランも優秀なのはわかったけれど、僕は出来るだけ目立ちたくなくてね。
今回の依頼もある程度把握してくれてると思うけど、今月末に仕方なく爵位を授与しなきゃならなくなったんだ」
小説の執筆や論文とは別に様々な開発に携わってきた彼は、今までは何度も爵位授与を断ってきた。しかし今回ばかりは、それを避けることは出来なかったそうだ。
今月末に貴族の交流会が催される。出来るだけ目立ちたくないという彼の意思を尊重して、その場での授与になったと彼は説明した。
今回の依頼の背景について黙って聞いていたルシウスは、首を傾げたい気分だった。
貴族にとって、出自とは別に個人への爵位授与は誉れである。
家督相続に関しても、他の兄弟と差がつけられるといっても過言ではない。
辺境伯。
爵位としては中間にあたるが、軍事を担う分、影響力は侯爵かそれ以上になるはずである。
彼はその家督相続に興味がないというのだろうか?
隣のエーレは沈黙している。ヴァルハイド卿は続けた。
「最近、身の回りが物騒になってね。
僕の開発で損する人は多いと思うけど、まだ死にたくはないんだ」
確かに魔法に依存している世界で、科学技術が発展していけば損失を被る人が多数出てくるに違いない。
その芽は摘んでいこうと動くのが当然だった。
「お前を狙っている相手の検討はついているのか?」
「まぁ、有力商人を抱えている貴族がいくつかと……」
エーレの問いに彼は言葉を詰まらせ、視線をどこかへ投げた。
「ヴァルハイド家嫡男あたりか」
その推測に前の男は力なく頷いた。
「僕は家督を継ぐつもりはないって名言してるんだけどね。
争いごとが嫌いなんだ。そんなことせずに、ただ研究が出来れば僕はそれで満足なんだけど、それもまたそれで問題があるらしくて。
僕の開発を軍事利用したいって声もあるみたいでね。僕は民の生活がより豊かになるために研究してるんだ。それを戦争に使われるのは嫌なんだよ」
特に、長兄のレオンハルトとは反りが合わない。
彼は嘆息と共に吐き出す。
初めて会った辺境伯三男の断片的な話だったが、彼がどうして目立ちたくないのかルシウスはなんとなくわかった。
その平和主義的思考には、共感できるものも多いとも感じていた。
「辺境伯に生まれながら、争いを避けるお前が特異だと思うがな」
隣で苦笑気味にエーレがこぼす。
そんな言い方しなくても……
思わずルシウスが口を開こうとした時、「だが」とエーレが続けた。
「俺は、お前の研究に期待している一人だ」
隣から聞こえたそれを聞き、咄嗟に言葉を飲み込んだルシウスは、自然とテーブルに置かれたままの本を視界に留めた。
エーレを見ると、彼も本へと視線を落としていた。
「空白の時間を読んだ。刊行されたのは二年前。ここにはあらゆる科学技術が挙げられている。
その全てが、お前の中ではもう出来上がっている。ただ時期を待っているだけだ。違うか?」
たしかにこの本の中には今では想像も出来ない技術が当然のようにある世界が舞台だった。
でもまさか……
確信を持って淡々と告げられたエーレの言葉が信じられないルシウスは、目を丸くしながら隣の彼と正面の依頼者を交互に見た。
その時、ヴァルハイド卿は心底楽しそうに笑いを響かせた。
「君はまるで預言者みたいだ。よくわかったね」
当然のことを、さも当然のように、自信に満ちた表情で頷いた男。
痩せすぎの体躯に似合わないその顔には、不思議な威厳のようなものが見て取れた。
「アリレオ・シアとお前を結び付けようとする輩もいるはずだ。
小説に書かれたうちの技術が、実際に現実として出てきたんだからな」
「本当に信用できる人にしか言ってないけど、そうなるよね」
ヴァルハイド卿は幾度も頷きながら、再び懐から小瓶を取り出した。先ほどとは違う錠剤だった。
それを水で流し込んだあと、一息挟むと、
「この依頼、受けてくれるということでいいのかな?」
との確認に、エーレはルシウスたちを一瞥することもなく頷く。
「じゃあ、まず成功報酬の話なんだけど、幸い今、僕はお金持ちでね。出来るだけ希望に添えるようにしようと思っているんだけど」
貴族がこうも、荒くれものと呼ばれるレギオンの人に譲歩するものなのだろうか?
いや、それとも彼の特異さ故か。
他の貴族からの依頼を受けたことのないルシウスに判断材料はない。
彼は、エーレがいくら吹っ掛けるつもりなのか、そわそわしながら成り行きを見守っていた。
小さな沈黙が挟まれ、おもむろにエーレが首を振った。
「金は、準備費用だけでいい」
ヴァルハイド卿が眼鏡の奥の瞳を細めた。その段になって、ルシウスは今回の依頼を受けた背景の謎を思い出した。
エーレの考え。貴族の交流会。今回の依頼を彼は、報酬次第だと散々言っていた。
――お金以外の報酬?
ルシウスは次の言葉を待ちながら、エーレを注視していた。
その奈落色の瞳が真意を隠すように細められ、前の男の視線を受け止めた。
「王家の剣、その当主。
そいつと俺たちを一度だけ繋いでくれること。それが報酬だ。
辺境伯の権限を持ってすれば容易い話だろう?」
背にいる二人の視線が、エーレに注がれている気配を感じた。
王家の剣の当主……つまりそれは――
思わず、首を後ろに回したルシウスに、シュトルツが肩を竦めて応えた。
彼に弟がいることはコンラートから聞いていた。その弟、テオドールが現在のグライフェン家を担っていることも。
すぐにヴァルハイド卿の声が聞こえて、ルシウスは首を前に戻す。
「グライフェン伯爵家か。
たしかに繋がりがないことはないけど、僕は彼とさほど面識がないんだよね。
まぁ、やりようならいくらでもあるけど」
ヴァルハイド卿はエーレの真意を測りかねたように首を傾げたが、すぐに幾度か頷くだけで、理由を聞いてくることはなかった。
「じゃあ、決まりだな」
とんとん拍子に進んでいった交渉はそこまでだった。
日時は、七月三十の日。会場はエーレたちが把握していた。
そこで二人がヴァルハイド卿の研究を手伝っている体で友人として出席し、残り二人が護衛騎士として出席する。
もしそれまでに身の危険を感じることがあった場合、連絡さえしてくれれば別途報酬ありで、こちらから護衛を派遣すると言う話になった。
詳しくは、エーレから直接話を聞いてみないとわからない。
何故グライフェン伯爵家当主――シュトルツの弟との接触するのか。しかしそれは現実的なものになったのだ。
接触してからどういう行動に出るつもりなのか。エーレの頭の中ではどんな計画が立てられているのだろうか。
ただの護衛任務だと思っていなかったルシウスだったが、卿の背景から当日を想像して、重い息を吐きだす。
「ね? そんな簡単な話じゃなかったでしょ?」
背後から落ちてきたシュトルツの言葉に、ルシウスは振り向くことなく目だけで後ろを見た。
勿論、背にいる彼は視界には入らなかった上に、安易な逃避的希望を一瞬でも抱いた過去の自分に、羞恥も覚えていた。
ファンだから、依頼を受けたなんて――
エーレがそんな自分勝手な理由で依頼を受けるわけがない。
ルシウスがそんな言葉を口の中で呟いた矢先、エーレは出したままだった空白の時間に、きっちりサインをもらっていた。




