聖女? いいえ、スゥです
孤児院に着くと門扉は少し開かれていた。
エーレが先に入ったのだろう。
入り口付近には誰もいない。声かけもなしに、無断で入ったのかもしれない。
門を潜った先には、思った以上に広い庭が広がっていた。
白い四角の石造りの建物。それもルシウスの予想を超えて随分と大きい。
「そういや、ここにくるのは数年ぶりじゃない?」
「私たちのことを知っている人がいるとは限らないな」
前をいくシュトルツとリーベが、いくつかの会話を交わしていた。
同時に、ルシウスの耳に聞き慣れた声が聞こえてきた。
一人はエーレ。そして、もう一人。これは……
嫌な予感がしたルシウスは歩を速め、二人に並ぶ。
そこには――
孤児院の入り口より、わずかに離れたところにいるエーレとミレイユの姿を見つけた。
二つの疑問が、彼の頭に過る。
どうして、ミレイユがここにいるのか。
そして、どうしてあの二人は顔を合わせて早々――
「は? お前がくるなんて知ってるわけねぇだろ」
「私だって知らないわよ! というか、なんで来たのよ」
「説明する義理はない。忙しいんだよ、さっさと通せ」
「説明してもらわないと通せませーん。残念でしたー」
二人の喧嘩なんていつものことだ。もう挨拶みたいなものだった。
けれど彼らの後ろ、入り口付近や、窓の奥には興味津々の様子で、二人を見ている子供たちの姿があった。
子供たちのために来たんだろうに……
来て早々、大人のくだらない喧嘩を子供に見せるのは、よろしくないのではないか。
そう思って、ルシウスは横にいる二人を見た。
「この孤児院はレヒト教会の管轄下にあるんだ。ミレイユが毎月莫大な額の寄付をしているらしい」
こちらへ視線を寄越すことなく、淡々と説明してくれたリーベ。
聖国のレヒト教会は、各地に点在している。
王国にも大きな支部と教会がある。
でも、どうしてこんな大きな孤児院が王国にあって、その上ミレイユがそこまで贔屓にしているのか。
質問を投げかけたルシウスに、シュトルツは一度肩を竦め、二人を眺めながら目を細めた。
「ミレイユの名前で寄付することで、新啓派への牽制になってるんだよ」
「聖律派もないとは言わないが、新啓派は特に光の本質持ちの勧誘が酷い。
中には拉致されたり、売られる子供もいる。
ミレイユが手の届く範囲でしかないが、彼女はそんな子供たちが大人になって、自衛できるようになるまで、ここで保護しているんだ」
言葉を継いだリーベをルシウスは見た。
その表情からは、いつものように変わらないように見える。
でも同時に、前で喧嘩をしている二人を見ている表情はどこか穏やかに見えた。
彼女の手の届く範囲。それでも救われる子供が、こうして存在している。
それは、ルシウスが独善と揶揄したエーレの行動と似ているような気がした。
来るときに、言えず終いだったルシウスの本音。
やはり素直に褒めることも出来なくて、なんとなく心にもやもやしたものを抱えたままだった。
彼らが表に立つことさえできれば、もっといろんなことをうまくできたのかもしれないのに。
もしかしたらこれは、そんな気持ちなのかもしれない。
一瞬浮上した考えを隅に押しのけた彼は、同じように歩を止めていた隣の仲間へと言う。
「とりあえず卿に会う時間もあるでしょうし、あれ止めてくれません?」
するとリーベは無言でシュトルツを見た。
視線を受けたシュトルツは、それに応えることなく視線を逸らす。
「ちょっと! 僕に止められるはずないじゃないですか!」
あの二人の喧嘩に割り込んだら止めるどころか、火の粉を浴びるだけでは済まないだろう。
更にヒートアップする未来しか見えない。
「最悪、卿を待たせればいいでしょ~。ほら、俺らだって無駄に怒鳴られたくないし~」
両手に大荷物を持っているシュトルツもそろそろ荷物を置きたいはずなのに、それよりも二人に割って入る方が嫌らしい。
依頼人を待たせるなんてルシウスからしたら言語道断だった。
この人たちに頼っていたら陽が暮れてしまう。
そう思った彼は、勇気を振り絞って二人の間に割って入ることにした。
ルシウスは喧嘩をしている二人をじっと見据える。
一歩一歩進むたびに、孤児院の中にいる子供たちの目線がこちらに集まっているのがわかる。
丁度声が届くだろう位置に来た時、一段を高い声が鼓膜を突いた。
「この孤児院は、私のものといっても過言ではないって言ってるのよ!
つまり入るには、私の許可が必要!」
「てめぇの名義で寄付してるだけだろうが! その隠蔽の魔鉱石、誰かやったと思ってんだ」
「まだ言ってるの? はー、女々しい」
子供じみた言い合いによって、話はすでに破綻していた。
前に立ったルシウスに気づいているだろうに、眼中にない二人に彼は咳払いを飛ばしてみる。
しかし、やはりいないものと扱われたため、ため息の代わりに言葉を紡ぐこといした。
「あの、大変申し訳ないんですが。時間がないと思うので、そろそろ通してくれませんか……?」
リーベを見習って出来るだけ淡々と。
そうしたつもりなのに語尾が揺れた。
すると二人は、それだけで人を殺せそうなほどの眼光をこちらに向けてきた。
咄嗟に息を呑んだ音が、ルシウスの鼓膜の奥に響く。
けれどただの喧嘩だ。そしてこれは八つ当たりだ。
そう自分に言い聞かせて言葉を重ねた。
「あのですね! 二人がいつまでもそうしてたら、僕たちが延々に待つ羽目になるんです!」
やっぱりリーベのようにはいかない。シュトルツみたいに飄々とも出来ない。
勿論、前の二人みたいに、理由もないのに人を威嚇することだって出来るわけがない。
精一杯真摯に訴えたルシウスに、ミレイユが眉をあげた。
「だから? 待たせておけばいいじゃない。何か問題でもあるわけ?」
まさかの返答に、ルシウスは呆気に取られて言葉をなくした。
反駁のために開いておいた口はぽかんと開いたまま、通り過ぎた生ぬるい風だけが口内に流れ込んでくる。
前にいる彼女はたしかに聖女だったような気がする。
――聖女? これが?
出かけた言葉をルシウスは咄嗟に呑み込み、彼女の腕にある隠蔽の魔鉱石に目を落とした。
あれをつけているということは、前にいる彼女は‘’ただのミレイユ‘’なのだ。
聖女なんて単語をつい口走りでもした暁には、血相を変えて怒鳴ってくるに違いない。
「エーレはわかってくれますよね……?」
一筋の希望にかけてちらりと目だけで彼を見ると、彼は首を振りながら心底面倒くさそうに嘆息を吐き出した。
「あのなぁ。俺だって、好きでこいつと言い合ってるわけじゃねぇんだよ。
なにがなんでも通そうとしないこいつが悪い」
その言葉にルシウスはすぐそこにある孤児院の入り口を見た。
彼なら強行突破できるだろうに、そうしないのは……
視界の端で責められたミレイユが、激しくエーレを睨んだ。
その口が開かれようとするのを見たルシウスの胸に、深い諦念が下りようとした時――
「はいはーい。配達員シュトルツさんでーす。お荷物お届けに参りましたー」
後ろからあまりにも軽やかな声が飛んできた。
ミレイユはルシウスの背後を見ると、まるで興が削がれたようにして、ため息を吐きだす。
「そろそろ飽きてきたところだったし、さっさと入れば?」
そう言って彼女は呆気なく道を開けた。
先ほどまでの温度差で再び呆気に取られそうになったルシウスの前で、
「え、そうそう」と、彼女は思い出したように続けた。
「間違ってもミレイユなんて名前出さないでよね?」
今日の私は‘’スゥ‘’だから。
そう付け足された言葉にルシウスは首を傾げる。
隣でその名前を聞いていたエーレは何か思うところがあったのか、一度鼻で笑うだけだった。




