指名依頼 : ヴァルハイド辺境伯
エルフの隠れ島防衛とそれに続く騒動の後、部屋にしばらく籠っていたエーレはいつの間にか顔を見せるようになっていたし、彼はシュトルツやリーベとも何事もなかったように話していた。
彼らの中で、何か話し合いがあったのかどうかは定かではない。
ルシウスと顔を合わせても、エーレは普段通りだった。
謝罪の言葉も何もなかったが、ルシウス自身もそれを求めていたわけではなかった。
それよりも、シュトルツとリーベから明かされた彼の抱える代償のことが、頭に過っていた。
テミスの加護枷が発動した代償――自我同一性の喪失。
あれからもう少し詳しく聞いてみたが、自我同一性の基盤となっている一部から失われる。
ということしか、彼らもわからないらしい。
その真実を聞いたということを、ルシウスはエーレには言わなかった。
彼が隠しておきたいことであることはわかっていたし、それを言えば、教えた仲間を責めるかもしれない。
エーレの意思を尊重したいというものあった。
だから知らないふりを通す選択をした。
カロンは実質活動休止という体になり、新クランラクナが結成された。
クランマスターは書面上ではルシウスになったが、実権は勿論エーレにある。
それでも――
騒動の時のエーレの余裕をなくした表情が、ルシウスの脳裏に蘇る。
シュトルツやリーベのように、自分もラクナのマスターとしてエーレを支え、共に戦っていきたい。
彼の抱える真実を知ったからこそ、以前より強くそう思うようになっていた。
◇◇◇
「ルシウスさん、おはようございます」
レギオンの受付へ行くと、職員が笑顔で対応してくれた。
ルシウスよりほんの少し年上に見えるくらいの女性だ。
どうしてかレギオンの職員は女性が多い。
それなのに面倒くさいクランの人たち相手に、対等かそれ以上にうまく言いくるめてしまうのだから、見るたびに感心していた。
彼は二枚の書類を提出する。
「確かに受け取りました。依頼人様の方から、後日ご連絡があると思います」
「あの、これって誰なんですか?」
ルシウスが指名依頼書を指さして職員に尋ねると、女性は逡巡するような間をおいて、そっとこちらへ顔を寄せてきた。
「こちらですが、書面記載は出来ない案件となっております。しかし、口頭でしたら許可を得ていますので……」
前置きをおいて囁くように告げられた名前にルシウスは、
「ヴァルハ……!」
咄嗟に身を引きながら、言いかけた名前を自分の口を防ぐことで留めた。
その名前はここ一か月、エーレたちと一緒に目を通してきた書類でよく見かけた名前だった。
身を引いた分を戻して、同じように声を落として尋ねる。
「ヴァルハイドって、あのヴァルハイド辺境伯の――王国の貴族の方ですよね?」
彼のあまりの驚きように、女性は小さく笑うと「そうですね」と佇まいを直した。
「カロンは指名依頼を全面的に受け付けてきませんでしたが、レギオンのランカーには、こういった依頼はたまにあることなんです」
カロン。その名が彼女の口から出て、ルシウスは思わずホールの方へ視線を流す。
ラクナは、カロンのメンバーによる新クランである。
その事実は情報統制により、レギオンに所属する人たちには勿論知らされていないものの、レギオン職員にはすでに通達済みであるのだ。
だといっても――
「ラクナは最近結成されたばかりで……」
そう、ラクナは結成されたからまだ一週間しか経っていない。
それなのに貴族からの指名依頼?
動揺するルシウスへと再び口を開きかけた女性が、ふと後ろへと視線を投げた。
そこには今しがた戻ってきたらしいリーベとシュトルツの姿があった。
シュトルツは飲み物片手に、振り返ったルシウスを見て小首を傾げる。
「どうかしたの? おこちゃま」
歩み寄ってきた二人へと、受付の女性が先ほどの用紙を差し出す。
シュトルツはそれを受け取ると「あ~」と声を上げ、用紙をリーベへと渡した。
リーベは一瞥するだけで、すぐにそれを受付の女性へと返していた。
いつもは無視する指名依頼を受けてきたエーレは勿論、この二人の反応を見るからに、何かしらをわかっているように見えた。
「結成されたばっかりのラクナへの指名依頼って、どういうことなんですか?」
尋ねたルシウスにリーベはちらり、と受付の方を見る。
視線を受けた女性は、にっこりと微笑んで頷くだけだった。
「これはラクナへの依頼ではなく、カロンへの依頼。そうだろう?」
首を傾げたルシウスに女性が説明してくれた。
カロンが活動休止になる直前に、今回の指名依頼は受け付けられたらしい。
そして彼らが首都へ向かったという伝達を受けて、一応意見を仰ごうと待っていたという。
なるほど、と口の中で呟いたとき、リーベが踵を返した。
「概要は了解した。ここでは話も出来ないだろう」
「そうだね、とりあえず涼みたいよねぇ」
さっさと歩き出したリーベに、シュトルツはシャツの胸元を伸ばしながらそれに続く。
ルシウスは嘆息を堪えて女性に会釈だけすると、二人のあとを追った。
「エーレさーん、入るねー」
各自割り当てられた部屋。申し訳程度にノックをしたシュトルツは、中からの返答を待たずに扉を開けた。
彼らの文化に在室確認というものはないのではないか、ルシウスは自分の常識を疑いたくなってきていた。
ソファーに足を組みながら気怠そうに紙束を眺めていたエーレは、一切の反応を見せることなく、恐ろしい速度で手に持つそれのページをめくっていた。
彼らは最近、レギオンに保管されているあらゆる書類に目を通し始めている。
おそらく、これからの行動をどうするかの判断指標にしているのだろう。
「エーレさん、今回はヴァルハイド卿の依頼受けたんだねぇ~」
シュトルツはそんな書類から目を逸らすようにして、奥のベッドへと向かうとすぐに体を投げた。
――今回は?
ルシウスはその言葉を聞いて、怪訝そうにエーレを見る。
「ああ、考えがあってな。報酬次第だが、現状の貴族も見ることも出来る」
「現状の貴族?」
話の内容が断片的すぎてついていけないルシウスが、咄嗟にリーベを見る。
丁度、テーブルの書類を一つ取り上げた彼は立ったままページをめくると、
「今月末に貴族の集まりがあるんだ」
とだけ言って、手元に視線を落とした。
某日首都で行われる催し。依頼書にはたしかにそう書いてあった。
「名目は貴族の交流会だった気がするねぇ」
奥側からそんな暢気な声が聞こえてくる。
ルシウスは一度息を吐きだして、再びエーレを視線に留めた。
「どうして、いつもは受けない指名依頼を受けたんですか?」
考えがある。今しがた彼はそう言った。
書類に目を落としたまま応答のないエーレに、再びルシウスが口を開こうとした時、「お前」と彼がこちらへ視線を向ける。
「中和は扱えるようになっただろうな?」
斜め上の回答どころか、問いを問いで返されたルシウスは一瞬眉を寄せるが、すぐに頷いた。
「水の親和率はかなり上がったと思います。
相手によると思いますし、やってみないとわかりませんけど、たぶん大丈夫です」
エルフの隠れ島防衛を経て、新しい感覚を身に付けた。
その上で、レギオン本部で待機していた一か月は、一日たりとも無駄にしていない。
在駐するブラッドバウンズのメンバーを主に、他のクランの人たちと訓練し、一か月のほとんどを費やしてきたのだ。
エーレは手に持つ書類をテーブルに戻すと立ち上がった。
「ならいい。受けるかどうかは報酬次第だが、受けることになったら、お前は貴族をよく観察しとけ」
それだけ言って彼はルシウスの隣をさっさと通り過ぎていく。
――貴族の交流会で貴族を観察?
エーレを追うよりも早く、疑問に思考が奪われたルシウスは数秒沈黙する。
背で扉が閉まる音を聞いた途端、ハッと我に返って振り返るが――すでにエーレの姿はなかった。
「結局、何も教えてくれてないじゃないですか!」
そんな叫びにも似た訴えが部屋の中へ響いた。
間を置かずシュトルツの楽しそうな笑い声が、ルシウスの背からした。
「笑いごとじゃありませんよ!」
大体においてエーレは説明が足りない。しかし必要なことは必ず話すし、そうでないことも聞けば答えてくれる。
こういった風に答えをはぐらかすときの大体は、確信がない時。
そのことをルシウスは知っていた。だが――
「貴族を観察ってどういうことですか」
漠然と曖昧な指示だけされてもわけがわからない。
前で書類を持ったままのリーベがそこに視線を落としたまま、空いたソファーへと移動していくまでの沈黙。
「中和の対象が貴族の中にいる。そういうことだ」
答えたのはリーベだった。
「え?」
そういえば、エーレはずっと言っていた。
これから中和が必要になってくると、切り札だとも。
まさか王国の貴族にまで、皇帝の支配魔法が蔓延っているというのか?
「私たちにもどういった方法で、どこまで皇帝の支配魔法の影響が及んでいるのかはわかっていない。
しかし、国を操作できるほどの強力な支配が確実にどこかにある。
それを見極めるため、今回エーレはこの依頼を受けたのだろう」
「エーレさんも事前には言うつもりだったんだろうけどねぇ。
まぁ、それよりも他にまずやらなきゃいけないことが多すぎるし」
淡々と説明したリーベに、シュトルツが呆気らかんとした風に続けた。
「それに丁度いいタイミングでこの指名依頼がきたから、受けたってことですか?」
するとベッドから起き上がったシュトルツが、近くにあった一冊の本をおもむろに取り上げ、こちらへ歩み寄ってきた。
彼から差し出されたのは、革で出来た綺麗な装丁。
表紙には『空白の時間』の文字。
著者はアリレオ・シア。エーレが好きな作者だった。
その意味を探して彼を見ると、彼は悪戯げな笑みを浮かべた。
「アリレオ・シア。彼がヴァルハイド卿だよ」
ルシウスはその本へともう一度視線を落とした。
この本は面白くて、同じ本を二度読むことはほとんどないルシウスでも二度読んだ。
神も精霊も魔法も存在しない世界の話だった。
現実では想像もつかないような科学技術が発展した世界が舞台で。その中で繰り広げられるSFサスペンス系の小説。
手の中のそれに記された作者名とシュトルツが口にした辺境伯を、頭の中で一致させようとしてみる。
――アリレオ・シアがヴァルハイド卿?
あまりに突拍子もない事実に真相を疑いたくなるほどだった。
どこの国でも大体がそうであるように、王国のヴァルハイド辺境伯も軍事を受け持っている。
帝国にまで名が轟くほど、有名な家名だった。
辺境伯家の人間が、空想を物語として描いている?
遠くに離れていこうとする思考を知って、ルシウスは咄嗟にシュトルツを見上げた。
「もしかして、ファンだから依頼を受けたとか……?」
わずかな沈黙が漂い、ルシウスは今しがた口走った自分の言葉を訂正したい気分に駆られた。
「そうだったら単純でよかったんだけどねぇ」
そんな言葉を笑うことも責めることもしなかったシュトルツに、ルシウスは小さな感謝を覚えながらも、ただ乾いた笑いをあげるだけだった。




