崩された秘密、崩れゆく自我
目が覚めた時、エーレはそこがレギオン本部であることを認識するのに数十秒の時間を要した。
咄嗟に周りを見渡し、微かに自分の生命力が放つものがベッドのサイドテーブルの引き出しにあることを知って、すぐに取り出した。
――バルトに預けていて正解だった。
彼は手に取ったそれに一抹の安堵を感じた。
隠蔽をかけておいている白いノート。その隠蔽を解いて、漁るように中を見る。
ページを捲るたびに、エーレの表情が険しくなっていった。
四度目の回帰が始まって、四年と半年。
ルシウスを見つけてからは、まだ四か月ほどだというのに。中に書き記した半分以上が思い出せない。
今回は何日意識を失っていた? 部屋を見る限りここはレギオン本部に違いない。
どうして代償が発生した? どうして自分は助かった?
あらゆる思考がめぐる中、すんっと鼻腔を掠めたのは、忌々しいほどよく知る風の精霊の痕跡だった。
それだけでエーレは全てを理解した。
わかっているつもりだった。なのに、頭も心もぐちゃぐちゃに混ざっている。
すぐに仲間を招集した彼は、シュトルツの顔を見た時にはもう、自分を止められなかった。
どうして、また繰り返すかもしれない危険を冒して、ルシウスに霊奏を使わせたのか。
口にはしないようにしている’’命令’’までして、彼にルシウスを預けたはずなのに、どうしてそれを裏切るような真似をしたのか。
リーベが進み出てきてからは、湧き出てくる怒りのまま手をあげていた。
決して理不尽に人を傷つけまいとしてきたのに、それでも止めることが出来なかった。
そしてルシウスの言葉で、エーレは深く自覚してしまったのだ。
もう時間が残されていない。
仲間を部屋から追い出して、もう一度ノートのページを繰っても、やはり変わらない。
手の中でノートを畳んだ乾いた音に、彼は目を閉じた。
王国首都でシュトルツとリーベに告げたあの言葉が、いつ現実になってもおかしくない。
そうならなければいいと思いながらも、口にした覚悟――
あと何度の代償を乗り越えられるだろうか。
いつまで俺は俺でいられるだろうか。
失うたびに立ち止まれなくなり、ただただ目的に向かって突き進んできた。
足を止めた瞬間、今までの全てに押し潰されることを知っていたからだった。
これが恐怖なのかすら、もうわからない。
どうしてこの道を進みだしたのかの輪郭も、もう――
焦点を内面に再び沈めようとした時、扉を叩こうとしている気配があることにエーレは気が付いた。
「――何の用だ。ゼレン」
それを入室の許可と捉えたらしいアヴィリオンのマスターは、扉を開けるとそのまま入ってきた。
相変わらず奇抜で目に引く装いの彼は、後ろ手でしっかり扉を閉めたあと、目だけで廊下の方を気にするようにして、
「よかったよ、死んでなかったんだね」と、口元に笑みを作った。
ノートをサイドテーブルに置いたエーレは、彼へ向き直る。
「君の仲間たちが弔い前夜みたいな雰囲気だったから、何かあったのかなと思って来てみたんだけれど」
「心配される筋合いはないと言ったはずだ」
「そんなこと、言ってたかな?」
冗談ではなく、本当に検討が付かないと言う風に視線を上に投げて歩み寄ってきた彼に、エーレは隣のベッドに視線を落とした。
失念していた。制約による調整の天秤が発動している。
「それより、寝てなくて大丈夫なの?」
「今からもう一度寝ようとしてたんだよ。さっさと失せろ」
言葉とは矛盾して近づいてくる男に、エーレは手を払ってベッドへと腰を下ろす。
「じゃあ、眠る前の子守歌ついでにいくつかだけいいかな?」
ベッドから数歩離れて、ぴたりと足を止めたゼレン。
怪訝に思ったエーレが視線をやると、彼は長方形の用紙を取り出してこちらへ見せてきた。
手配書。
よくよく見ると以前のものとは違う。
それを見たエーレは今回の制約が発生した理由を知る。
「ルシウスくんには嘘をつかれたから、エーレくんに聞くけど――」
前の異様な男が切りだしたのは、あまりにも唐突で、単刀直入なものだった。
事実を淡々と告げるように彼は言う。
「君たち、これ以前に手配されてたよね?」
エーレは、近くの男をジッと見つめた。その瞳にも生命力にも、僅かな揺らぎは見当たらない。
確信を持った質問であることが、すぐにわかった。
「どうしてそう思う?」
ゼレンは手配書を裏返して見つめると「いくつか引っかかっていることがあるんだよね」と、呟くように言った。
「僕はみんなからおかしいって言われるから、今回も僕がおかしいのかと思ってたけれど……
やっぱり何度考えても辻褄が合わないんだ」
「お前がおかしいのは間違っていないだろう」
「酷いなぁ」 ゼレンは楽しそうに小さく笑った。
「そうだね。それは否定しないけれど、理由は二つ、いや三つかな?」
沈黙したエーレにゼレンは一度、確認するような間をおいて続けた。
「君たちは途中で、レギオンマスターさんに急用で呼ばれて本部に行ったわけだけれど、バルトさんは早々名指しで人を呼ばないし、例え急用だとしても用件を告げて招集する人だということ。
僕の記憶にはそれがない」
彼は再び、確認するような色の読み取れない瞳で、こちらを見る間を数瞬挟んだ。
もう一つは。
「僕が本部にいたこと。依頼の完了報告のためには確かに本部の方が近いけれど、普段の僕なら首都に戻るはずだ。だって本部に居つく人たちとアヴィリオンはあまり仲がよくないからね。
じゃあ、どうして僕は本部にきたんだろう?」
どうしてだと思う? ゼレンがこちらへ投げかけてきた。
エーレは並べられた疑問に、思わず苦笑を飛ばす。
「つまりあれか? お前は自分の記憶に整合性が取れていないというのか?」
「そう、そういうことだね」
彼は即答した。
周りの人間の認識も、自分の記憶すら疑ってかかっていく――自己認識の矛盾を決して許さない極端に論理的な思考。
この特異な男には、神の制約すら論破されてしまうという事実に、エーレは嘲笑にも似た笑いが漏れた。
「おかしなこと言ったかな?」
「いや――お前のその認識は合ってる」
するとゼレンは珍しく頬を緩ませた。まるでテストに正解した子供のように。
「そっか、それはよかったよ」
「で? それだけじゃあないだろ?」
この男が理由としてあげたのは三つ。まだ二つだった。
「ああ」 再び手配書を見たゼレンは一瞬、眉を寄せて頷いた。
「この手配書の前にもう一枚あったということは、これは更新された新しい手配書ということになると思うんだけれどね? そうなるとやっぱり――」
ゼレンは唸るようにして手配書を見つめ、自分の至った結論を噛み締めるように一つ頷く。
「ここに足された新しい情報は、僕が流したことになるのかな?」
前の男が言っていることがわからず、エーレは彼をジッと見つめる。
その間にも、
「君たちの知りうる情報の中を全て流しててもおかしくないんだけれど。そこは公表されなかったのかもしれないね」
当然のことを当然のように、何の悪意も感じさせないように淡々と言葉を並べた彼。
エーレは深い諦念を覚えて、ため息をついた。
「そう仮定したとして、どうしてお前はそんなことをしたと思う?」
するとゼレンは数度目を瞬かせて、エーレの疑問に疑問を抱いたような反応を示した。
「どうして? そうだね。僕は君とも’’家族’’になれればいいと思ってたんだ。
そんな君が、帝国に手配されたのが心配だったのかもしれない。
情報を流して君たちの行動を制限すれば、僕の手の届くところにいてくれる可能性は上がるし、そうすれば僕が対処できる」
エーレは頭を抱えたくなった。
この男のいう家族がどういうものなのかを、エーレは少しは知っていた。
しかし、それに自分を加えたいと思っていることが不思議でたまらなかった。
ゼレンは今回の回帰で、特に自分に執着を見せているのは薄々感づいてはいたが。
「俺はお前のその家族とやらになるほど、接点はないだろう?」
今度はゼレンは肯定のような反応を示した。
「それが僕も不思議なんだ。君をレギオンで初めて見た時、初めてのような気がしなかった。
なんだろうね、いくら考えても僕にもわからないけれど、随分昔に何度も君を見たことがあるような気がするんだ。
僕は理論で説明できないことは嫌いだけれど。そうだね、そう。
前世というものが本当にあるなら、君とは前世で会っているという確信がある思ったくらいには衝撃だったんだ」
理論に反することを嫌うはずの男が、嬉しそうに語った答えになっていない答え。
しかしエーレはその理論上に当てはまる答えを一つ知っていた。
「お前、精霊の加護は授かっていなかったよな?」
「それ、ルシウスくんにも聞かれたんだけど、何かあるの?
残念ながら僕には特別なもの何もないよ」
精霊の加護もなくして、制約の影響を打ち破り、他の世界軸の自分記憶を微かに覗いている前の特異すぎる男に、エーレは言葉をなくした。
もう何をいっても意味がないということを知る。
沈黙してしまったエーレに、ゼレンは一歩だけ歩み寄ってきて、そっと顔色を窺うように小さく腰を屈めた。
「もしかして僕、また間違った?」
悪意がない。この男も不憫なものなのかもしれない。
エーレは怒るにも怒れずにため息だけを吐きだした。
「この際、はっきり言っておく。
俺はお前の家族になるつもりはないし、お前からの庇護も望んでいない。だから俺になにかしようとしなくていい」
するとゼレンは不満そうに眉を寄せて、先ほど踏み出した一歩を戻すと、
「けれど君」と上体を起こし、スッと目だけで見下ろしてきた。
その瞳は氷のような冷たさを宿していた。
「――精霊との同調率が下がっていってるよね?」
感情の宿る術を知らず、事実を事実として冷酷に突きつける視線と言葉。
エーレはそれを受けて僅かに目を見開いた。
同時に彼は、ゼレン率いるアヴィリオンとミレイユと別れた時の彼の耳打ちを思い出した。
「カイくんとの決闘を見た時は抑えてるのかと思ったけれど、ガランとの戦いを見て確信に変わった。
三年と少し前だったかな? あのころと比べて同調率が極端に下がってる」
ベッドの下をうろうろと歩き出したゼレンは、自分の論理を頭の中で巡らせるように言葉を並べ出す。
「人は生まれ持った同調率から、基本的には上りも下がりもしない。親和率じゃないからね。
なら、同調率が下がる原因とはなんだろう?
――生命力循環障害? あれは、たしかに似たような現象を起こすけれど、発症してしまうと君のように魔法は使えなくなる。
体内の生命力の循環そのものが不全を起こすんだからね。
あと一つ考えらえる原因があるとするなら……」
ピタリ、とゼレンが足を止めてこちらを見た。
この男はすでに結論にたどり着いている。それを知ってもエーレは口を挟むことはせず、止めもしなかった。
「エーレくん、君。
’’自我の同一性’’を失っていってるの?」
確信を持って見つめてくるその視線を、エーレはしばらく何も言わずに受け止めていた。
ついに深く瞑目すると――
「そうだ」
短い息と共に吐きだした、それだけの言葉が妙に部屋に鳴り響いた気がした。




