枷に沈む君の目覚めまで
――やっと私を呼んでくれた。君が私を望んでくれた。なんでも叶えてあげる。
私が守ってあげる。君の敵を全員切り裂いてあげる。だからもう、泣かないで――
ルシウスはハッと目が覚めた。
今のは……あの時、最後に届いた‘彼女’の声だった。
ぼんやりする視界の中で時計が映る。深夜。あれから十日が過ぎていた。
位置を指定してもいないのに、風の精霊が運んでくれたのはレギオン本部の――何故かバルトの執務室だった。
おそらく‘彼女’は、ここが一番安全だと判断したのかもしれない。
突然やってきたルシウスたちにバルトは驚愕さえしたものの、満身創痍の彼らを見て、たまたまレギオン本部に留まっていたらしいアヴィリオンのうち、ラディアとアリシアを呼んですぐに治療してくれた。
怪我は治癒しても体内の生命力は回復しない。
もうすでに底をついていた生命力を、最後の霊奏で無理やり引き出したリーベは、その場で気を失ってしまい、バルトが部屋まで運んでくれた。
一方まだ動けたシュトルツがエーレを運び、服だけ着替えさせていた。
バルトは何も詳しいことを聞いてくることはなく、普段貸し出していないという四階の広い一室を貸し出してくれた。
そして――
目の前のベッドにいるエーレはあれから一度も目を覚ましていない。
ここに運んでから一度も。
息はしている。神の権能で生命活動をしているという彼の肉体は少々栄養を取らなくても死にはしないらしいが、それでも……
ルシウスは十日間のほとんどを、彼の眠るベッドの隣の椅子で過ごしていた。
何度かは他のことをしようともした。でもエーレが心配で何にも集中出来なかったのだ。
だからもう、開き直ってここに張り付くことにした。
もうこのまま二度と目を覚まさないのではないか。そんな不満が頭に過る。
湾港都市の時は五日だったのに……
どうして加護枷が発動したのか。その原因はすでにわかっていた。
手配書が更新されていたのだ。
前回の手配書から名前が追加されていただけの手配書。
なのに、制約は手配書の効力が一度失われたと解釈したらしい。
以前の手配書は他の犯罪グループだったという事実の改変が起こっていて、天秤の調整の影響を受け、全てを忘れたバルトに対して、シュトルツとリーベが一から説明をする羽目にもなっていた。
「理不尽だ……」
不安が怒りを呼んで、湧き上がってくる気持ちを抑えられない。
彼らが何をしたっていうんだ。
どうしてこんなに苦しまなきゃいけないんだ。
彼らはただ、大切なものを取り戻そうとしているだけなのに。
エーレへと勝手に伸びていく手をぐっと握って、胸へ引き寄せた。
長くて多いまつ毛を瞼の上に乗せて、規則的に呼吸をする彼の表情に、いつもの険しさはなかった。
それだけだと単に眠っているように見えるのに。
ルシウスが重い溜息を吐き出したと同時に、部屋にノックが転がった。
倦怠感で体の重さに彼は、椅子から離れることはなく「はい」とだけ答える。
開かれた先から顔だけ覗かせたのは、特徴的な異国風の外衣を纏った男性。
「どう? エーレくん」
聖国から戻ってきていたゼレンだった。
ルシウスは首を緩やかに振って、前のエーレへと視線を落とす。
「ルシウスくん、僕に付き合ってくれないかな?」
怪訝な表情を隠さなかったルシウスに、ゼレンは演技じみた感じで小首を傾げた。
「少し聞きたいことがあってさ」
その口元にはいつものぼんやりとした笑みを浮かべられていた。
招かれたのはレギオン本部に留まるときに、ゼレンが借りるという部屋だった。
彼はルシウスをソファーに勧め、どこかから買ってきていたらしい缶に入った飲み物を渡すと、向かい腰かけたまま口を開くことはなく、こちらを観察するように見つめてきていた。
渡された飲み物に手をつける気にならなかったルシウスは、それを前のローテーブルにおいて彼の言葉を待つ。
前のおかしな男が口を開く気配はない。
痺れを切らして、「聞きたいことってなんですか?」とぶっきら棒に尋ねた。
そうしてやっと前の男は口を開いた。
「アヴィリオンとカロン、あとミレイユさんで聖国へ向かっていたのって覚えてる?」
ルシウスはその言葉に眉を寄せたが、「はい」とだけ答える。
彼の記憶がどこでどう修正の影響を受けているのかわからない。
「君たちはレギオンマスターに急用があるといって呼ばれて、ブラッドバウンズのガランさんについて行ったよね」
「ええ、まぁそうでしたね」
そういうことになっているらしい。前回の指名手配はなかったことになっているのだから。
「そして僕たちは依頼をこなすために聖国に向かった。ミレイユさんと一緒に」
ゼレンはルシウスへと視線を留めたまま、一つ一つ確かめるように、言葉を重ねていく。
彼は何が聞きたいのか? そう思って口を開きかけたとき「じゃあさ――」とゼレンが続けた。
「僕はどうしてレギオン本部にいるんだろう?」
「――はい?」
思ってもみなかった問いかけにルシウスは言葉を失った。
ただでさえ余裕がないというのに、そんなわけのわからない質問に時間を割かれるのが耐えられなかった彼は咄嗟に立ち上がる。
「そんなのわかりませんよ。アヴィリオンが何を思って行動しているかなんて僕は知りませんもん」
そのまま踵を返そうとしたルシウスをゼレンは呼び止めた。
「そうだよね、ごめんね? じゃあ、あと一つだけ」
「なんですか?」
不機嫌を隠さないままルシウスはゼレンを見下ろした。すると彼はポケットの中から一枚の用紙を取り出して、それを広げて見せてきた。
「僕はこの手配書に違和感を感じててさ。それが何かはわからないんだ。
単刀直入に聞くけど、君たちの手配書が出回ったのは今回が初めてだよね?」
慎重に言葉を紡ぐようなゼレンのそれに、ルシウスは僅かに目を見開く。
手配書に違和感? どういうことなのだろうか。
けれど、彼の記憶は話を聞く限り、しっかり書き換えられているに違いない。
「初めてですけど……僕たちも本部に戻って初めて知りましたし」
ゼレンは「そう」とだけ答えて食い下がってはこなかった。
「もういいですか? 僕、戻りたいんですけど」
「うん、ごめんね? ありがとう」
結局何が言いたかったのかわからない彼に背を向けて、部屋を出ようとしたとき、ルシウスは気にかかった質問をゼレンに投げてみた。
「ゼレンさんって精霊の加護とか持ってませんよね?」
すると彼は僅かにだけ首を傾げて、「加護は授かってないよ」とだけ答えた。
そうですか。ルシウスはそれだけ残して退室した。
◇◇◇
それから更に三日が経った。
ルシウスが不安と焦燥を募らせる一方で、シュトルツとリーベの様子はいつも通りだった。
それぞれ負った傷は治癒していたし、リーベの生命力も二日で全快した。
エーレが制約の代償で倒れることは今まで度々あったことだ。
時間はかかるけれど必ず目を覚ますし、ルシウスがそこまで心配することはない。
彼らは顔を合わせるたびにそう言って来たが、当のルシウスはそれに対して首を縦に振ることは出来なかった。
彼らにとっては今まで何度もあったことなのかもしれないけれど、心配なものは心配だった。
渦巻く不安を抱えながらも、さすがに自分まで体調を崩してはいけないと思ったルシウスは、食事と睡眠は無理やり摂るようにはしていた。
更に翌日、食堂で昼食を済ませた後のことだった。
四階へ上がった階段の踊り場で、ルシウスを待っていたらしいシュトルツが「エーレさんが目を覚ましたよ」と告げてきた。
その言葉を聞いた途端、走りだそうとしたルシウス――その腕をシュトルツを掴んだ。
数日前の戦場での出来事が想起された彼は、思わず仲間へ振り向いて睨みそうになった自分を落ち着ける。
そんなルシウスにシュトルツは、どこか痛みに耐えるような表情で眉を下げいていた。
「一つだけお願いがあるんだけど――」
「お願い?」
彼にしては真剣でどこか弱弱しい声色に、小さな不安が溢れだしてくる。
続けて告げられた言葉。
ルシウスはその全てを理解はできなかったが、それ以上語らなかった彼を見て、それを心に留めると部屋に急ぐことにした。




