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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
3章

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風の祈歌

 




 光の帯が雨を攫って行ったかのように、雨雲はどんどん遠のいていった。


 濡れた砂浜が陽を受けて、足元が輝きだしていく。

 ルシウスは前方で敵と戦う二人は、限界が近いのか徐々に押されてきていた。


 先からはどんどん新しい敵がやってきているのも見えた。




 血と悲鳴と雨に濡れた戦場の先に、大きな虹が架かり始めたころ、それを潜るようにエーレは姿を見せた。



「悪い、遅くなった」



 雨に濡れた服はシュトルツと同じように至る所が切り裂かれていて、そのうちいくつかは随分深い傷に見える。

 その顔にも隠しきれない疲弊が滲んでいた。



「シュトルツ! リーベ!」



 ルシウスは腹の底から声を張り上げ、仲間を呼ぶ。



 少しでも早くにここを離脱しないと――

 島を眺めるようにしながら、ルシウスの隣を通り過ぎていったエーレの逆側から、二人がこちらへ向かってきていた。



 あとは四人揃って離脱するだけだ。こうなることを予想していたのだろう、海に沿って東に進んだ先に待たせてある船で――



 と、ルシウスが考えた時だった。

 背から砂の上に、重たいものが落ちたような音がした。



 どうかしたんだろうか? そう思って振り返るとそこには……



「エーレ!」



 両膝を地につき、今にも蹲ってしまいそうに胸を抱えているエーレがいた。


 ――どうして……!


 咄嗟にかけよってその肩に触れようとしたルシウスは、ハッと思い出して手を引く。



 どうして!? 加護枷は解除されているはずだ。

 苦痛に苛まれている彼の口から呻き声が漏れたのを知ったルシウスは、我慢しきれずその肩に手を置く。

 それでも彼は拒絶しなかった。



「エーレ!」 その時、後ろからシュトルツの声がした。



 それに答えるように、エーレが僅かに顔をあげて、ルシウスの後方を見る。

 顔面蒼白で痛みに顔を歪ませたその額からは、大量の汗が砂浜へと落ちていった。



「シュトルツ! エーレが……!」



 どうすればいいのかわからず、エーレと後方の二人を何度も見るルシウス。


 二人の牽制がなくなった大軍はどんどん押し寄せてきている。囲まれるのは時間の問題だった。

 遅れて、敵を注視しながら下がるように、リーベが合流した。


 それを知ったシュトルツがエーレに駆け寄ろうとした時、すぐ側から信じられない言葉が聞こえた。



「……俺、を置いて……離脱しろ……」



 ルシウスが目を見開いた先で、シュトルツの足がぴたり、と止まった。

 一瞬、言葉をなくし沈黙したシュトルツに、エーレが最後の力を振り絞るように強く告げる。



「シュトルツ……! ’’命令’’だ」



 それを最後に、肩が触れていた体が地に伏せた。



「エーレ!」



 ルシウスは助けを求めるようにシュトルツに振り返る。

 彼は険しい表情をしながらこちらへ歩み寄ってくると、エーレを抱え上げるではなく、ルシウスの腕を掴んだ。



「離してください!」



 シュトルツがエーレの命令を実行しようとしているのを知って、咄嗟に腕を払う。だが振りほどけない。



「離して! エーレを置いてなんかいけない!」



 ――どうして!?

 いくらエーレの命令だからと言っても、前の彼があまりにも当然にそれを実行しようとしているのが信じられなかった。


 ルシウスはその感情を言葉にはできず、シュトルツを睨みつける。

 それでも、険しい表情のままの彼の意思は変わらないように見えた。


 それを知ったルシウスは、助けを求めるようにリーベの名を呼んだ。

 剣を敵側に向け、牽制するようにしていた彼はこちらを見ると「ルシウス」と宥めるような声色を投げてきた。


 大きく吸い込んだ息を呑む。頭が真っ白になった。



「嫌だ! 僕はここから離れない! エーレを見殺しになんかできない!」



 大きく首を振って拒絶を示したルシウスは、絶対にシュトルツに体を抱えられないよう、エーレへと体を寄せて、腕の先の彼を鋭く睨んだ。


 視線を受けた表情が揺らぎ、腕を掴む力が弱まったのを知って、思い切り振り払う。

 振り払った勢いで揺らいだ視界には、すぐそこまで敵が押し寄せているのが見えた。


 どうしたら……

 仲間は頼れない。どうすればいい!?


 どうすれば全員でここから離脱できる!?


 刻一刻と距離を詰めてくる敵。どうにかしようとはしない仲間。

 隣で倒れているエーレ。


 それらを視界に留めながら、湧き上がってくる焦燥と混乱の中、ルシウスの頭に一つしかない解決策が浮かんだ。



 霊奏。霊奏なら――

 失念していた選択を思いついたルシウスがその勢いでリーベを見る。しかし彼は力なく首を振るだけだった。



「私たちはもう生命力が残っていない。エーレを抱えてここから離脱するのは不可能だ。

 ルシウス、理解してくれ」



 視界が真っ暗になった。最後の希望さえ打ち砕かれ、愕然として何も言えない。

 同時に自らの無力を呪った。

 それでも否定したくて大きく首を振る。



 ――僕が諷うしかない! 届くかわからない。でも、やらないよりはマシだ!



「Elne-fean」

 ――風の精霊よ――



 何度も何度も練習を繰り返してきた古代言語を、口から必死に奏でた。

 その時、驚愕を露わにしたシュトルツが「おい!」と制止する声がルシウスにははっきりと聞こえたが、彼は断固として耳を貸す気はなかった。



「Eshar ves solm――」



 知っている単語をどうにか並べてみる、しかし風が応える様子はない。

 更なる焦りを感じた彼は、声を震わせながら何度も何度も繰り返した。



 ――頼む、届いて! 僕の声を聞いて……!



 震える声で祈りを込める。もう時間がない。

 湧き上がってくる感情に視界が揺らいだ時、一陣の風が舞い上がった。


 ハッと顔をあげたルシウス。

 しかしそれが精霊ではなく、ただの風であることを知って、声にならない声が漏れ出る。


 視界が涙でぼやけていく。


 その中で何度も何度も、届かない声を繰り返した。



 ――どうして……どうして……!



 溢れてくる涙を飲み込んで、ルシウスは目を閉じた。



 その時――

 潮風に攫われそうなほど微かで、柔らかい旋律が聞こえてきた。

 聞き覚えのある地声より高いハスキーは歌声。



 ハッとそちらを見ると、リーベは心底困ったように眉を下げた。



「もう一度……次は届くはずだ」



 その声色はあまりにも弱弱しく、彼のどんどん顔は青ざめていく。それを見て、彼が足りない生命力を絞り出して、繋げてくれたことを知る。



 すぐ近くから砂を蹴る音、鎧がぶつかりあう耳障りな音。時間がない。

 シュトルツはもう止めなかった。



 大きく息を吸い込んだ。届け、届け、届け……!



「Elne-fean.

 Eshar,ves solm,ves-ta toran――」

 ――風の精霊、お願い、僕たちを運んで――



 ルシウスの旋律はそこで止まった。

 どこへ? 単語が浮かばない――それでも……



「toran..toran..toran.……!」



 叫ぶように繋いだ。



 ――お願い、お願いだから応えて。僕たちを安全なところに離脱させて!



 体を強張らせて、ぐっと瞼を閉じながら祈った――同時だった。



 大気が揺らいだ。金切り声のような音が空に響き、大きな風が舞い上がった。

 ハッと目を開けたルシウスの視界で、風が砂浜の砂を舞いあげていく。


 顔をあげると、すぐそこでまやってきていた大勢の敵の悲鳴が耳を劈いた。

 いつしか周りには風の渦が結界のように張られていて、敵は見えない。


 どこかからか、嬉しそうな音が幾度も耳の中に直接鳴り響いてきた。



 知っている……知っている音だ。



「お願い! 僕たちを安全な場所に――!」



 風と音を追って、空を仰ぎ叫んだ。

 その余韻の中、辺りのぴたりと悲鳴が止んだ。


 大気の流れが変わった。辺りの風の全てが吸い込まれたようにこちらへ集まってくるのがわかった。

 それは敵を襲ったものと同じとは思えない――あまりにも柔らかな風だった。



 風が何かを囁いてきたのを知ったとき、ふわりとした浮遊感。体が浮き上がり地から離れていく。

 隣のエーレも、シュトルツもリーベも同じように風に包まれていた。



 大きな安堵が胸に湧き上がったのも束の間、彼らを守るように渦巻き始めた風の塊。



 風の渦に閉ざされていく視界の隙間で、最後にルシウスの目が捉えたのは――

 陽を受け、海のように輝く長い紺碧の髪だった。




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