氷魔法の本質
仄暗くなった街に規則的に並んだ街灯。その人口の光の下、二人はレギオンへと戻っている最中だった。
陽は沈もうとしているのに、街の賑わいは衰えていない。
昼とは違った様子だった。夜になると酒を酌み交わす人たちで、溢れかえるらしい。
この街は眠らないのかもしれない。
大通りからレギオンへ戻る道すがら、リーベは保存の効く食料を購入していた。
そんな彼がレギオンの門を潜ろうとした時、ユリウスはふと、路地裏に続く小道に、見覚えのある影を見つけた。
ユリウスは前の背へと呼びかけながら、控えめに彼のコートを引っ張って、そちらを示した。
リーベはその視線の先を辿った後、何も言わずに干し肉を数枚取り出し、渡してくれた。
朝と同じざわつきが、ユリウスの胸に蘇る。
小道へ入るとそこにはやはり、今朝と同じ野良犬がいた。
朝とは違い、僅かな警戒を見せた犬の足元へと、そっと干し肉を置いて距離を取った。
すると野良犬を差し置いて、どこからか飛び出してきた二匹の子犬が、干し肉に食らいつき始めた。
子犬の存在に驚いたものの、一心不乱に食べるその姿に、ユリウスはほんの少しの安堵を感じることが出来た。
――あれは偽善だ――
突然、リーベの言葉が頭に反響した。
口ではそう言いながら、それでも目の前で飢えているものに、食べ物を差し出していた彼。
一時の施しという独善。
今、ユリウスがしたことだって、自らの胸のざわつきを紛らわせるため――自分本位のものに違いなかった。
小さな憂鬱が心の隅を巣食うのを感じて、ユリウスは足元から視線を剥がして、戻ることにした。
待っていてくれたリーベは、やはり何を言うわけではなく、レギオン支部の扉を潜る。
丁度夕食時だ。料理と飲み物の匂いが僅かな熱気と共に、むわりと鼻腔に押し寄せてきた。
ホールは相変わらずの喧騒で満ちている。
「明後日の朝まで、食事は各自のタイミングでいい。
ただ貴方は、私かシュトルツと一緒の方がいいかもしれないが」
たしかに一人行動をして、面識のない人に絡まれると、逃げだせる気はしない。
リーベと一緒に食事をすると言おうとした時、右前方から声がかかった。
「思ったより早かったねぇ」
カウンターに座りこちらへ手を振っていたのは、シュトルツだった。両側に女性を連れている。
間を置かず聞こえてきたのは、隣からの嘆息。
彼は、そちらへ行くのかと思いきや、さっと踵を返して逆方向にあるテーブル席へと向かった。
「いいんですか?」
「隣に女性を侍らせているやつの近くになんて、行きたくない」
彼の声色には若干の呆れと、冷ややかさが滲んでいる。
シュトルツの女性好きは、レギオンに来てから薄々感づいていたが一方で、リーベはあまり得意ではないのかもしれない。
彼は近くにいたメリアさんを呼んで、いくつかの注文をした。
運ばれてきた飲み物は、口に含むとほんのり香る甘さと酸味が口に広がって、とても飲みやすかった。
1刻歩いて、乾いていた喉を潤すには贅沢すぎる味だ。
「お酒ですか?」
昨日も彼は、同じものを飲んでいた。
「ああ。シュトルツほどではないが、私も少しは酒を飲む。エーレは嫌うがな」
ユリウスは昨日、浴びるほどエールを飲んでいたシュトルツを思い出した。
なのに、全く酔った風でもなかったのは不思議でしかない。
自然とシュトルツの方を見ると、目が合ってしまう。
すぐに視線を逸らしたが、彼は数秒後、意気揚々という風にこちらへとやってきた。
「こっちくればよかったのに」 ユリウスの隣に勢いよく腰かけたシュトルツ。
「いいのか? 彼女たちを放っておいて」 リーベが僅かに眉を寄せて尋ねた。
「いいのいいの。あの子たちは男待ちみたいだし」
「あのエーレさんは?」
「さぁ。もう少しで帰ってくるんじゃないかな」
なんとなく聞いてみると、シュトルツは少し首を傾げただけだった。
「船はとれたのか?」
「まぁどうにか。ダリア嬢に頼もうとしてたんだけど、そういえば魔物の調査に行くっていってたじゃん?
だから、メリア嬢にどうにか都合つけてもらった」
二人のやりとりを聞きながら、少なくなった飲み物を、ちびちび飲んでいた。
「で? どうだった?」
思い出したようにシュトルツが、こちらを見てきた。
で? と言われても……
返答に困ってしまったユリウスの代わりに、リーベが答えてくれた。
「瞑想を使って、ある程度調整はできたはずだ。
まだ瞑想の段階だから明日、本格的な練習をしてみようと思う」
それを聞いたシュトルツは、心から安堵したように大きく肩を下げた。
「リーベでよかったねぇ。俺だったら、まーたエーレさんをキレさせる羽目になったかもしれないし」
「え? そんなことがあったんですか?」
「まーいろいろと、ね」
その話を少し詳しく聞きたい気もしたが、それ以上話すつもりはないらしかった。
前のリーベは、何故かそんな彼に冷ややかな視線を送っていた。
「で、どうやって訓練したの?」
シュトルツは気まずそうな感じで、視線と共に話を逸らした。
「’’断絶’’して、線引きを作っただけだ」
「あー、その手があったねぇ」
リーベの簡潔な説明に、シュトルツは手を打って感心して見せた。
「断絶?」
聞きなれない言葉に、ユリウスは首を傾げる。
「本質の話、してないの??」
ユリウスの反応に、シュトルツは訝しむような声をあげ、リーベが素っ気なく端的に答えた。
「水と闇に関してしかしていない」
「断絶ってのは、氷の本質の一つ。
リーベは君の同調中に、氷魔法で線引きをしたってことだよ。
まぁ、本質の話はまた、リーベ先生から教えてもらって?」
一言多いシュトルツへとリーベは目を細めて、小さく睨んでいた。
ユリウスはそれを見ながらも、今日の不可解な現象を思い返して、妙な納得感を感じた。
昼間に感じた壁のようなものの正体は、リーベが力を行使して、干渉してきたものだったのか。
魔法をうまく使えば、人の訓練を手助けすることだってできるということだ。
彼が腑に落ちたタイミングを見計らったように、メリアが料理を運んできた。
二人分しか頼んでいないはずなのに、大量の料理がテーブルに並ぶ。
酷い既視感を感じたユリウスの口端が、自然と引き攣った。
その隣ではシュトルツが目を輝かせて、すでにフォークを持っていた。




