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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
3章

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173/233

雨ーー天秤が傾くとき

 



 細い糸のような雨が、静かに降る。



 ルシウスは、ほんの数歩分離れたところから、雨で少しずつ濡れていくエーレの背を見ていた。


 彼と向かい合っているのはゼファだった。

 彼女はいつものフードは被っていない。その特徴的な尖った耳が雨に打たれて、ぴくりと跳ねた。



 エーレの少し後ろのシュトルツも、ルシウスの隣のリーベも――その場の全員が口を閉ざし、雨の小さな音だけがその場に漂っていた。


 数十秒の沈黙。数分にも数十分にも思える重々しいそれに、ユリウスはリーベを見たあと、ゼファへと視線を移す。

 丁度その時、彼女の小さな口が開かれた。その場の全員が、咄嗟に身構えたような緊迫感がルシウスへと伝わってきた。



「リクサより提案」 紡がれた言葉はいつもと同じ、機械的なものだった。


「隠れ島のエルフ避難に伴う遺都イシュリア南部の防衛」



 僅かにエーレの背が揺れた。



「聖国と帝国の軍が向かってるっていうのは、その隠れ島か?

 俺たちは隠れ島の存在すらしらない」



 え、と言う言葉をルシウスはぐっと飲み込む。

 彼らはトラヴィスと会って来たのだ。そこで情報を受け取ったのだろう。


 応えないゼファへとエーレが「それに」と続ける。



「その提案とやらは俺たちにとってリスクが高すぎる。まずこちらの利を開示しろ」



 隠れ島? 軍? 防衛?


 再び降りたった小さな静寂は、両者の意図を図り合うような間に思えた。

 ただただ静かに雨が降る中で、その間を縫うような僅かな緊張感。



「霊奏遮断の方法を開示。加えて、手法にエルフが関係」


「は?」



 短くすぎる応答がそこで終わろうとした時、シュトルツが一歩前へ踏み出そうとしたように見えた。

 しかしそれを制するように、エーレがちらりと振り返る。



「残念だが、今回ばかりはその提案には乗れない。霊奏遮断の方法、それにエルフが関与していることは理解した。

 だが、リスクと利が釣り合ってない」



 前で行われるやりとりの半分も理解できないルシウスは、ただただ成り行きを見守るしかなかった。

 シュトルツもリーベも何も言わない。そしてエーレが、無暗にリクサの提案を拒絶するとも思えない。


 拒否を口にしたエーレに、ゼファは雨で濡れるエメラルド色の瞳をスッと細める。

 そして――彼女が取ったのは予想外の行動だった。



 ほんの少し、ほんの少しではあったものの、彼女がエーレに頭を垂れたのだ。

 ルシウスはあまりの驚愕に、吸い込まれるようにゼファを見つめた。


 そこにエーレの乾いた嘲笑が挟まれる。



「同胞がそんなに大切か」



 ルシウスの脳裏に、聖国から逃げ出してきたエルフの少女が想起された。

 たしか、あの時もゼファはこうだった。


 その言葉に彼女は目だけで鋭くエーレを睨んだあと、頭を上げた。



「私はエルフの長だ。責務がある。何に変えても同胞を守るという責務が」


「それがどうした。それで俺たちに犠牲になれってか?

 俺たちにも守るものがある。

 状況から見るに、聖国と帝国がエルフを狙ってるのは目に見えてる。

 防衛を要請するなら見合わない対価分、それ相応の誠意を見せろ」



 ゼファは何かをぐっと飲み込んだかのように、色を宿さない表情が少しだけ揺らいだ。

 エーレがゆらり、と首を傾げたあと、再び小さく鼻で笑った声。



「リクサに伝えろ。その錆びた天秤を少しは傾かせてみろ。なら提案に乗ってやるってな」



 エルフの隠れ島。聖国と帝国がそこへ向かっている?

 エルフを守るための防衛? こちらはゼファを入れて五人。そんなの無理に決まってる。



 混乱するルシウスの思考を遮るように、ゼファの小さく軽やかな霊奏が流れた。

 柔らかな風が、雨を包んでくるりと旋回し、舞い上がっていく。

 その風はルシウスの頬も撫でていった。


 柔らかく温かいはずの感触に、ぞわり、と背筋が凍る。

 胸に嫌な予感が湧き上がる。


 風が嵐を連れてくるような、避けられない災いの予感――



 舞い上がった風がどこかから舞い降りてくる感覚の後、ゼファがようやく口を開いた。



「リクサを介し、秩序神テミスより承諾を受領」



 その言葉にエーレの肩がぴくりと揺れた。



「‘’宣言‘’を」



 先ほど頭を下げた者とは思えないほどの淡々とした口調、冷めた眼差しで続けたゼファの言葉が雨音に消されない異様な響きを帯びた。


 前に立つエーレの肩が、吐き出された呼吸とともに沈んでいく。

 彼から紡がれた言葉がルシウスの耳にはっきりと、鮮明に反響する。



「秩序神テミスに告ぐ」



 それはどこか遠くから――自分とは違うところに立つような者の声にも聞こえた。



「シオン・ルクリツィア・アルバ・ディ・エーベルシュタインは、その加護枷の一部解除を要求することを、ここに‘’宣言‘’する」






 ◇◇◇





 雨の降りしきる中。エーレとゼファは提案について話した。



 帝国湾港都市レネウスの北東には、数百年前まで帝国の首都だった遺都イシュリアがある。

 その南――海の先には、エルフたちが隠れ住む島があるらしい。


 島は強力な結界で守っていて、人の目には映らない。

 しかし普段エルフたちが暮らしている異空間と繋げているわけでもない。


 たびたび、島の結界をゼファは張り直しにいっていて、今回もそろそろ張り直しの時期であった。

 だが、何故か帝国と聖国がその島の存在を知ってしまった。



 その異例な事態からルシウスを除く全員は、ミゲルが何かしら手引きをしたのではないかと推測した。


 帝国と聖国はエルフ確保のために、軍を動かし、南下していた。もうすでに近辺に待機しているため猶予はない。

 結界は弱まっているのは確かであるが、それでもエルフの張った結界だ。それをどう解くつもりかもわからない。


 軍が島を突破する前にゼファが大魔法を使って、島にいるエルフ全員を安全な場所に移動させる。

 その魔法が発動するまでの間、カロンは軍から島を防衛する。


 そういう提案だった。




 そしてエーレが‘’宣言‘’したのは、この提案に関する一連の全てにおいては、どんなに全力で戦っても制約は発動しないという加護枷の一部解除の要求。



 ――傾かない天秤が、傾いた。

 それはゼファのためか、それともその先に繋がる何かのためか。



 だとしても、聖国と帝国の連合軍相手にゼファを覗く四人だけで対峙し、防衛する。

 エーレの受けた提案はあまりに無謀なように思えた。







「ルシウスはコンラートの屋敷に引き返すか、どこか安全なところにいた方がいい」



 全ての説明を聞いて、先にそう言ったのはリーベだった。

 彼は隣でルシウスを真摯に見つめる。



「そうだねぇ、戦場になるだろうし。かなりの数がくると思うから」



 今から戦場に向かうとは思えない飄々とした態度のシュトルツが、リーベに賛同の意を示す。

 向かい合った彼にルシウスは、「でも……!」と続かない声を上げる。



「それでいい? エーレさん」



 ルシウスの前方でゼファと話を続けていたエーレへと、シュトルツが振り返る。

 声をかけられた彼はルシウスを見ると、逡巡するような小さな間を置いた。



「ああ、お前を庇って戦える余裕はない」



 突き放すように言われたそれに、ルシウスは身を引いて視線を落とした。


 雨に少しずつぬかるんでいく地面。そこに映ったのは彼の黒い靴。

 彼らが危地に向かうというのに……


 ぐっと拳を握って、エーレを見据えた。

 視線の先で続けて口を開きかけた彼を制し、ルシウスは強く言う。



「行きます」



 奥歯を噛み締める。手は自然と剣鍔へと伸びた。

 怖い。でも、僕は……



「連れて行ってください」



 僕なりの速度とはなんだろう? わからない。けれど、行かなきゃいけない。

 一人だけ安全な場所で彼らの帰りを待つだけは嫌だった。


 かち合った視線の先――その眉が寄せられたのは一瞬だった。

 ふっ、とエーレの口元が僅かに緩められる。



「勝手にしろ」



 その言葉にルシウスは目を見開き、「はい!」と大きく頷いた。



「いや、でもエーレさん。さすがに危ないで済まないと思うんだけど」 そわそわとして首を振るシュトルツ。


「私も反対だ」 厳しい声のリーベ。


「俺だって反対に決まってんだろ」 二人に即座にエーレが反駁する。



「でもまぁ」 息と共に吐き出されたそれはぼんやりと宙を彷徨った。

 続けられる言葉が拒絶ではいことが、ルシウスにはわかった。



「最悪、俺が霊奏でルシウスだけ離脱させる。

 リーベ、こいつの魔鉱石(結界)を込め直しておけ」



 ルシウスも参戦するというエーレの決定に、二人は複雑そうな表情をしたが、それ以上何も言わなかった。


 エーレへの感謝と同時にその二人を見たルシウスの胸に、不安が沸々と湧き上がってくる。

 自分が決めたこととは言え、怖いことに変わりはない。


 上手く想像できないけれど、自分はとんでもないところに足を踏み入れようとしているのだ。

 彼は首を振って、その不安を遠ざけた。



 少しでも彼らに追い付く。戦うことを避けては通れない。

 守られるのではなく、対等に守り合えるようになりたい。


 剣鍔に当てた手が僅かに震えた。

 鼻から息を吸い込んで、はーっと吐き出しながら剣鍔をぐっと握る。



「ありがとうございます。足は引っ張りません」



 強く強く確かめるように口にした。


 自分に言い聞かせる決意のように――



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