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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
1章

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17/204

リーベという人間

 



 海を眺めながら干し肉を齧るリーベに、ユリウスも倣う。

 潮風が手の中の干し肉の塩味を更に引き立てるようだった。

 王城暮らしでは想像も出来なかった食べ物が、美味しいと感じる。


 それはこの生活に慣れてきたせいなのか、それとも初めて見る景色の感動のおかげなのか。

 どちらにせよ、ユリウスはそこに小さな喜びを感じることが出来た。



 二人が咀嚼する間の短い沈黙。その中の居心地の悪さも昨日より幾分、和らいだ。


 何か共有するというのは、人と人の距離を縮めるのだということを改めて実感しつつ、自分の上達が見られないことに対してはやはり、気まずさも感じていた。


 あっという間に、パンと干し肉を平らげてしまったユリウスへとリーベはさらにパンを渡してきた。



「リーベの分なんじゃ……」


「気にしなくていい。私たちは多少食べなくても、平気な体になってる」



 朝からほとんど食べていない彼の食料をもらうのは気が引けた。

 でも、その言葉が気遣いのものだと知って、有り難く受け取ることにした。

 ユリウスが、それもペロリと胃袋に収めてしまう頃、リーベから水筒を渡された。

 彼も案外、面倒見がいいところがあるのかもしれない。



「崖の上に行ってみるか。景色が変われば、気分も変わる」



 返した水筒を受け取った彼は、ユリウスの返事も待たずに北側の丘へと歩き出した。

 その後ろをすぐに追ってしばらく歩いた時、



「エーレなら、力の可視化も出来たんだろうが」



 誰に言うでもなく、リーベがひとりごちた。



「可視化ですか?」


「ああ。戦闘で使うような波動の強い力は基本、可視化されるが、それ以外の力は、目には見えないだろう?」



 調和、改め共感時の力などは、同じ力の使い手にならある程度は感知することはできるが、目に見えない。

 だから必ずしも、魔法の使用に気づけるわけではない。


 一方で、攻撃に用いられるような具現化の魔法や、膨大な波動を発するような魔法は、それが可視化される。

 炎の力の場合、炎が発生するし、魔物を浄化する際だって、光の力で光の粒子が舞う。



「闇の力は、それを可視化させることができる」



 続けられた彼の言葉。思考を巡らせていたユリウスは、数瞬飲み込めず、「へ!?」と追い付いた理解と共に 素っ頓狂な声をあげてしまう。

 同時に、進めていた足が地面に引っかかって、転びそうになった。



「今、闇の力って言いました?」


「言ったが」



 それがどうした、とでも言っているような口調だった。



 闇の力、その本質――この世界で忌避される力だった。



 闇は、他属性すべての力を吸収し、無効化できる。

 それだけ聞くと、優れた力のようにも思える。

 しかし問題はそれを制御し、使いこなせる者がほとんど――いや、存在しないということだった。



 ユリウスの知る闇の本質は’’孤独’’であり、呪いの子として生まれた者は殺されるか、捨てられることが多い。

 闇の力は強大すぎて、本人を呑みこむ。

 最初はどうにかその力と自我を競合させていた者でも、最終的には自我を呑まれて、力を暴走させる。

 実際にそういう事例が、過去にも多数存在した。



 ユリウスは思わず言葉を失ってしまった。

 彼の心境を察したのか、リーベは「ああ」と思い出したように声を上げた。



「そういえば、(あれ)は畏怖の対象だったな。

 心配しなくていい。貴方に渡した魔鉱石の隠蔽も、闇の力だ」


「何を心配しなくていいのか全然わからないんですが……」



 動揺が抑えきれず、本音が漏れてしまう。

 隠蔽なんて魔法を聞いたことがないからおかしいと思っていたが、闇に属する力だとは思ってもみなかった。


 困惑を示したユリウスを見て、リーベの呆れの混じったような嘆息を吐き出した。



「たしかに、闇の力は’’絶望’’という一面もある。

 しかし、水と同じだ。

 それ自体に良いも悪いもない。使うもの次第だ」



 先ほどリーベが使った水の魔法の感覚が、頭によぎった。


 たしかにユリウスの感情を支配しようとした力であったけれど、それに幸福感を感じていたのは事実だ。

 使いようによっては、人を支配できる。

 呪いのような力かもしれないけれど、逆を言えば、祝福としての使い方だってあるのかもしれない。



「闇にも、もう一つの側面があるんですか?」


「闇の本質は’’理解と絶望’’――闇は、すべてを()ることから始まる。

 その本質さえ理解してしまえば、御することは可能だ」



 ――闇の本質が理解……?



 想像だにしなかった答えに、ユリウスは混乱した。

 けれど、今はもっと他に知りたいことがあった。



「エーレさんは……闇の本質を理解して、扱えるってことですか?」



 そうでなければ、困る。

 恐る恐るではあるものの、そんな心境を隠すことなく声色に乗せたユリウスへ、不意に半身を逸らして振り返ったリーベは、可笑しなことでも聞いたかのように小さく笑った――ように見えた。


 陽を受けた絹糸のような銀髪が、心地良さそうに揺れ、その口元を隠していた。



「エーレを誰だと思ってるんだ。あいつが闇の力くらい、飼いならせないわけがない」



 ユリウスは頭を打たれたような衝撃に、ハッと目を見開いた。


 リーベという人間を誤解していたのかもしれない。

 全てに無関心のような淡々とした対応。

 ほとんど感情を表に出さない上に、大体において無感動な反応――



 そんな言動から、彼らの中で一番冷たい人間だと思っていた。

 けれど彼はこんな嬉しげに――それでいて、誇らしそうに仲間のことを話す。



 冷たく見えたのは、単に感情表現が苦手なだけなのかもしれない。


 リーベの意外な一面を垣間見て、ユリウスは何故か少しだけ嬉しくなった。

 同時にシュトルツが言ったように、自分の目でもっと彼のことを見て、知ってみたい気もした。









 先ほどよりも、更に海を遠くまで見渡せる崖の上へと着いた。


 間近で見える海も美しいが、高いところから見渡すとまた違う意味で絶景だった。

 ユリウスは、自分の感情が百面相している様子さえも心地よく感じていた。



 少し強めの風が頬と髪を撫でていく。

 前に立つリーベの髪が、光を纏うように揺らめいた――


 それを見たユリウスは、時間が切り取られたような感覚に陥った。


 気を抜くと、すぐに同調してしまいそうになるの自分を知って、ぐっと足を踏ん張り、それを堪えた時、リーベがこちらへと振り向いた。

 彼は伸ばした手をユリウスの肩へと置く。



「そのままでいい。呼吸に集中してみるんだ。

 少し力技だが、私が線引きしてみよう」



 何のことかわからなかったユリウスだが、言われた通りにやってみることにした。

 鼻から吸って口から吐く。自分の呼吸に集中する。

 その間にも、辺りの情報が止めどなく入ってくるのを感じる。


 繰り返していけばいくほど、動作も呼吸の音も機械的になり、意識から遠のいていく。

 わかっていてもどうにも出来ない。

 ユリウスにとって、その情報たちは、規則的な呼吸なんかよりも圧倒的に魅力的だった。



 全てに吸い込まれていく……だめだ。そう思った時――突如として、溶け込んでいこうとしている感覚の中に、亀裂が入るような衝撃を覚えた。


 突然立ちはだかった壁、その手前に引っ張られるような感覚。それまでの全てが遠のいていく。

 ほしいものがすぐ目の前にあるのに、そこに見えているのに、透明な壁の先にいくことが出来ない。



 ――すぐそこあるのに……! 



 激しい葛藤と焦燥が湧き上がった。

 それも数瞬の出来事で、立ちはだかった壁は溶けていくように、薄くなっていった。

 先ほどのように強烈ではっきりした障害物ではない――けれどそれは確実にユリウスを邪魔して、どうにもその先に踏み入ることは出来ない。

 そわそわとした焦りが胸の奥で泡立ち始めた時だった。



 ――なんだろう? これは……



 それは隙間を縫うように少しずつ少しずつ、ユリウスの肌に柔らかく触れてきた。

 切り離された情報が、再び流れ込んできたと気付くののに時間がかかった。

 何故なら、それは先ほどとは似ているようで、全く違う色を帯びていたからだ。



 その中でユリウスは変わることなく、風になって花を愛で、鳥になって海をたゆたい、海水の一滴になって海を泳いだ。



 なのになぜだろう――そこにはしっかりと自分の輪郭が存在していた。



 違う感覚の多幸感。

 今自分はここにいる。こうして立っている。

 ただそれだけのことに、圧倒的な幸福感を感じたのだ。


 はっきりとわかる。すべてのものの存在が自分に伝わってくる。




 ユリウスは一人の人間として、同時に自然の一部として、そこに存在していた。

 完全に自分というものを捨て、自然に同化してしまうような感覚とは、確実に違う。



 惜しい気持ちを抑えて、そこから遠のいてみることにした。

 景色も感覚も情報も、意識したままに少しずつ遠のいていき、やがて体の感覚がはっきりと戻った。



 自分の意思で目を開く。

 そこにはリーベがいて、目が合うと彼は、ほんの少しだけ眉を下げた。


 雫を一滴落としたような余韻は胸に残り、小さな波紋を立てながら全身へと広がっていく。

 それは徐々に大きさを増していって、喜びという実感に変わった。



「よくやった」



 何か言いたげにしていたユリウスへと、リーベが告げた。



「全然違いました。なんかこう……なんて言えばいいのかわからないけど」


「もう一度やろう。今の感覚をしっかり覚えるんだ」



 二度三度繰り返し、ユリウスはその感覚を全身に染み渡らせていった。

 どうしても引っ張られてしまう感覚も徐々に薄れていき、四度目には自力で成功することが出来た。

 リーベも満足そうな表情を浮かべていた。



「今日はこのくらいにしておくか。慣れないことは無理しないに限る。

 この次は、明日にしよう」



 気が付けば、陽が海を赤く染め始めていた。

 陽が暮れる前までに、帰らなければいけない。


 夕日に染まる海のまた違った表情を目にしたユリウスは、ずっと眺めていたい気分になったが、惜しい気持ちを堪えて、踵を返すことにした。







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