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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
3章

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【過去編】 誉れ ーEhre-

エーレの過去編です。補足として人物置かせてください。


本編での主要、重要人物で構成されています。


シオン→かつてのエーレ。王国第一王子。

ヴィンセント→かつてのシュトルツ、シオンの従者であり、王家の剣と呼ばれる伯爵家嫡男。

アルベルト→かつてのリーベ。王家と姻戚関係を持つ公爵家嫡男。

アイリス→シオンの妹。



 




 ――この選択に全く後悔がないか。



 そう問われたとして、迷うことなく頷けるかと言われるとわからない。

 ただあの時の俺はそうしたし、もう一度その時に戻っても、きっと同じ選択をするだろう。


 そう、何度あの時を繰り返しても俺はこの道を選ぶ。






 悠久神クロノスの恩寵を受けし、エーベルシュタイン王国。王家、第一王子。その存在を知るものは少なかった。


 葬られるべき闇でありながら、国王と王妃は俺を殺さずに隔離だけした。

 気が付いた時には俺は‘’名‘’を持たないものとして、隠された屋敷で過ごしていた。



 第一王子にふさわしくないシオンという名を呼ぶ声はない。

 感情が揺れるたび、生まれ持った闇の本質――自らの生命力に理性ごと身を食われそうになっていた幼少期だった。


 もうあまり覚えていない。幼かった子供がどうやって暴走せずにいられたのか。


 闇の精霊が人間を好くあまりに、領分を超えて必要以上の力を与えようとする。そんなこと当時の俺は知らなかったというのに。



 今なら自由に扱えるこの力を手懐けるのには、随分な月日が要した。

 生命力を暴走させてしまいそうになる度に、恐怖と孤独に泣いていた記憶がある。


 知識ではなく感覚で。どうすればこの恐怖から逃れられるのか。ただただそれだけに時間を費やしてきた。

 そうしているうちに、俺は自分の立ち位置を理解するようになっていった。



 この力を完全に扱えるようになれば、もしかしたら――

 そんな風に思った時もあったかもしれない。



 自らの力の制御のために、俺は幼いころからあらゆる本を読み漁っていた。


 世間の闇の本質持ちが辿る末路を知ったとき、ここで俺が息をしている自体が親――国王と王妃からの愛情であると認識した。



 忌避され呪いとされる本質を持った男児。そんなものが王家の血筋として生を受けた。

 民が知ればどう思うだろうか。最悪、暴動や内乱が起きるかもしれない。

 そんなリスクがあるというのに、何故俺はここで生きているのか。


 俺の名前を決めたのが母であるということ。セカンドネームには母の密かな願いが込められてあったこともしばらく後に知った。

 それだけで十分だった。



 持て余した時間の中で、役に立つことはないだろう知識を漁り、意味のないことばかりを考え、それ以外は何も求めずに過ごす独りの長い月日は過ぎていった。




 それはあまりにも唐突だった。

 太陽のような赤い髪の少年が俺のもとへやってきたのは。


 彼は、第一王子として認知されたことのない俺の従者の命を受けたとして訪ねてきたという。

 国王が何を考えているかなんて知らない。



 当時の俺はそれを到底受け入れきれず、王家の剣――グライフェン伯爵家嫡男、ヴィンセントへすぐに解任を言い渡した。


 彼の名誉ある道の邪魔になりたくない。

 王家には唯一の王位継承権を持つ――弟のアクシオンがいる。

 弟の顔すら見たことがなかったが、それでも彼には弟の隣が相応しい。


 そう思って、俺から言える言葉を告げたはずだった。


 『君の主は君自身が選べ』




 なのに、再びヴィンセントは屋敷を訪ねた。



「もう来ない方がいい」



 やんわりと突き放した。



「それは命令ですか?」



 俺は首を振るしかなかった。

 命令はしない。したくない。する資格もない。


 二人の間に会話は少なかった。

 彼は数言俺に質問を投げかけ、俺は少しだけ自分のことを話す。

 誰かに自分のことを話したのは初めてのことだった。


 何度突き放すような言葉を口にしても、彼は懲りずに俺のもとを訪ねてきた。



 そうして数か月がたったある日、彼が言った。



「俺と友達になりませんか?」



 その一言が、俺の人生を大きく変えることになるということをその時の俺はまだ知る由もなかった。





 ヴィンセントはあらゆるものを屋敷に持ち込んだ。

 初めて見る甘いお菓子や盤上のゲーム、画材や楽器。


 本しか読んでこなかった俺にとって、それは世界に色をくれることになった。

 全てが全て楽しかった。


 それにも慣れてきたある日に、彼は一人の男性を連れてやってきた。

 俺が剣を握るようになったのは、ヴィンセントの剣の師匠――コンラート・アルデンの指導が最初だった。



 いつの間にか俺は、何も求めず何にも感情を動かさないことを、少しずつやめるようになっていた。

 ゲームではヴィンセントに勝つのが当たり前になっていたし、剣術もいつか彼に並びたいと思うようになった。


 両手剣が自分に合わないと判断して、片手剣の本を読み漁り、コンラートと共に研究を重ねた。

 食事も前よりきちんと摂るようになり、もっとしっかり剣を振るえるように体を鍛えた。



 色を得た世界で、一年という月日はあっという間に過ぎ去っていった。


 その頃には剣術でヴィンセントと並ぶどころか、一本取れるようにすらなった。

 知識を知識としてだけ蓄えるのではない。実際に試行錯誤を繰り返し、努力するということの楽しさを知った瞬間だった。



 それより更に上を行く楽しさがあるなんて思ってもみなかった。



 機を見計らっていたように、アイリスが屋敷にやってきたのだ。


 あまりにも幼い少女。辛うじて存在は知っていた妹。輝かしい銀の髪と金の瞳。

 本当に同じ血を引いているのか疑ってしまうほどに、真逆の容姿をした少女は、春の陽だまりのような存在になった。



「お兄様!」



 妹が拙い口調で呼んでくる度に、凍った心が解かれていく感覚だった。


 孤独を孤独ともせず、それが当たり前で、変わることのないと思っていた暗い部屋に差し込んだーーあまりにも柔らかな陽。それは眩しくなんかなく、ただただ温かかった。



 さらに一年後。彼女を追ってもう一人の少年がやってきた。


 アイリスが時折、話に出していた彼女の婚約者。

 王家と深い姻戚関係を持つ、ヴェルマン公爵家嫡男。アルベルト。

 最初こそヴィンセントがいい顔をしなかったものの、気が付けば独りだった場所に、四人の日常が溶け込んでいた。



 燃える炎のようによく騒ぐヴィンセント、光があちらこちら差し込むように笑うアイリス、揺るがぬ大地のように、それらを温かくじっと見守るアルベルト。



 いつものようにふざけて揶揄ってくるヴィンセントに、呆れることも面倒になったとき、俺は声を上げて笑っていた。そんな自分の笑い声を聞いて、心底驚いた。

 俺はこんな風に笑うことが出来たのか、と。


 そんな俺を見て、嬉しそうに笑うアイリス。その時にはもう、心を覆っていた硬い何かは完全に溶けていた。



 何も望まず、持つこともなく、独りで生きては死んでいくとばかり思っていた俺にとって、その時間はかけがえのない、何に変えても守りたいものになっていた。


 王家の闇として、影として、この陽だまりを支えていこう。

 誰に知られることがなくても、彼らがここにいる。


 俺が抱えられるものはあまりに少ないけど、それでもこれだけは守り通していきたい。

 そのためにこの力を授かったのだ。そう思えるようになっていた。



 あらゆる知識を得て、賢く、強くなったつもりでいても、まだ何も守れない子供であったことを俺は、数年後に知ることになる。




 陽が唐突に差したように、闇も唐突に降りてきた。



 ある日、ぱたりと従者が顔を見せなくなった。ヴィンセントの廃嫡。

 あまりにも唐突のことで、何も知らされていなかった俺はすぐに国王に謁見を申し出たが、却下され、時を同じくしてアイリスが訪ねてくることはなくなった。


 しばらくしてやってきたアルベルトに事情は聞いたものの、何も飲み込めなかった俺は再び、屋敷に籠るようになった。



 全てを全て受け入れられなかった。一度はヴィンセントを探しに行こうともした。

 けれど何故か、今まで全く干渉してこなかった国王が、それを許さなかった。



 知らないところで何かが動き出している。そしてそれを止めることは出来ない。


 そんな予感を感じてから、さほど月日が経たずして王弟の謀反が起き、間を置くことなく国王は初めて俺に謁見を命じた。


 参戦の要求だと思った。国王に対しての忠誠なんてないのが本音だった。

 それでもアイリスを守れるなら従おう、そう思っていたのにーー告げられたのは正反対の言葉だった。



「お前はここを出なさい」



 体の底から突き抜けた衝撃は、俺の頭を痺れさせた。

 とうとう見捨てられるのか、俺には城を守る役割も、その利用価値すらないのか。


 それでも頷くことは出来なかった。



「私もともに戦います」



 国王に、親になんと思われいても、俺はアイリスを守りたい。アイリスの居場所を守りたい。


 すぐさま返された「ならぬ」その一言は足元から響くように重かった。

 絶望に視界が揺らいだ時、前からかけられた声に俺は耳を疑った。



「シオン」



 柔らかく温かい、自分の名前を呼ぶ声。父が初めて俺の名前を呼んだその声を、今でも思い出せる。



「予想とは違ったが、不測の事態に備えて、お前には庶子としての身分()は用意していた。

 城を出て、これからはただのシオンとして、自由に生きなさい」



 思いもよらない言葉。それでも先に浮かんだのはアイリスの顔だった。

 逃げるのならアイリスの共にと口にしたが、二人は首を振るだけだった。

 代わりに国王が言った。



「ヴィンセントはロノアスの森にいる。そこへ向かいなさい」


「シオン、貴方にクロノスの加護がありますように」



 最後に俺の顔をはっきりと見た母の顔がどんなものだったのか、もう思い出せない。



 身支度を急かされ、いくらかの金貨を受け取った俺は、追い出されるようにして城から出された。

 初めて見る外の世界。

 姿を偽り、逃げ惑う人々の中に紛れて、南西に向かおうと首都を出て先で、城から昇る火と煙を見たとき、俺は初めて気づいた。



 孤独だと思っていた俺は、孤独なんかじゃなかった。

 王家の人間である必要はない。

 父も母もちゃんと、俺に存在――’’名’’を与えてくれていたのだと。


 王家の人間にふさわしくない、シオンという名に込められた願い。

 呼ぶものはあまりにも少なく、ただの記号にすぎなかったそれは、その時初めて、俺の名前になった。



 涙を噛み締め、街道を南下し、ロノアスの森を目指した。

 一人ではなにも出来ない。先に彼と合流するほかない。


 しかし、そこにたどり着くことは叶わなかった。

 まるで全てを知っていたかのように、思いもよらない人物が俺を待ち構えていたのだ。



 深い海のような紺碧の髪を揺らす――帝国皇帝。


 大勢の騎士を引きつれたその男を見た時、俺は理解してしまった。

 あまりにも容易く城が落ちた原因、謀反の背景の全てが、帝国の手中にあったということ。

 そして前の男が、今まさに何を言おうとしているのかも。



「王室は滅んだ。お前には価値がある。私の元へ来るがいい」



 伸ばされた手を払った先にあったのは――気が遠くなるような地獄だった。







 何一つ覚えていない。そう言えたらいいほどに、鮮明に記憶に残る約三年間の地獄。



 あの時ほど、闇の本質、自らを贔屓にしている闇の精霊に感謝をしたことはなかった。


 皇帝の魔法に支配されずに済んだのは、闇の精霊が俺を守っていたからだろう。


 いや、支配されてしまえば、あの地獄は長く続かなかったのかもしれない。

 俺が今こうして、ここしていることも――背に奴隷印が刻まれることもなかったのかもしれない。




 自らの手で俺を支配することを諦めた皇帝は、当時帝国軍の内部監察官をしていた男に俺の身を預けた。

 わざわざ奴隷管理の仕事に移ってまで、ひたすら俺を堕とそうとしてきた男の顔を、今でも忘れられない。


 世界の終わりを映し出したような灰色の瞳に残酷なまでの加虐の色を滲ませ、常に口元に笑みを浮かべていた、あの薄気味悪い男のことを。



 まだ十七だった俺が、どうして壊れきることなくあの地獄を生き抜けたのかはわからない。

 今の俺ならきっと心は粉々に砕け、壊れてしまうだろう、死よりも深く重い現実だった。



 尊厳の全てを奪われ、やってくる苦痛を受け入れる他に術はない。ゲームと称して与えられるあらゆる矛盾した痛みと苦しみ、葛藤。



 時間さえもう意味をなさなくなったある日、奇跡的に見つけた小さな希望すら奪われたあの瞬間――

 

 もう何をやっても無駄なのだと思い知った。


 それはあの屋敷でひとりで過ごした日々を想起させ、それよりも更なる絶望に俺を突き落とした。




 痛みも辱めも何もかもが日常の中で、頭と心は完全に解離し、それでも皇帝に下る選択を俺自身が許さなかった。

 体や思考がどれほど冒されても、心だけは決して明け渡さない。


 増える傷の数を数えて、俺はどうにかその意志を――自我を保ち続けてきたはずだ。



 いつかやってくるだろう死を待ち望みながらも、奴隷印に刻まれた契約「命の鎖」の束縛力により、死ぬことさえ許されない。



 そんな地獄にも終わりはあったらしい。



 あれほど俺を壊そうと執着していた男が、ある日、わけのわからない言葉を残して姿を消した。


 その後、加減の知らない奴隷管理人の歪み切った苦痛の中で、俺はようやく死を手に入れようとした、その時だった――



 あれだけ死を望んでいたのに、湧き出してきたのは生への強い執着だった。

 自分自身が生きたいというおもいではない。

 この地獄にアイリスを一人で残していけないという激しい未練だった。



 理不尽に全てを奪っていった皇帝。その男に何一つの傷も残せないまま死ねない、死にたくない。

 その手中にアイリスを残したまま、アイリスに二度と会えないまま――





 意識が途切れる寸前に、誰かの声がしたのを覚えている。


 死んだと思っていたのに、目が覚めるとそこには見知らぬ天井。

 そして隣には、ずっと顔を見たかった従者の男。


 胸に刻まれたクロノスの加護紋を見た時、まるで最初から知っていたかのように、自分に何が起こったのかを理解できた。



 ’’悠久神クロノスが、俺を生かしたのだ’’



 その瞬間、言い知れない感情が沸々を湧き上がってきた。

 知らない感情。手懐けることなんて到底無理な、そんなおどろおどろしい真っ黒な感情。



 絶対に許さない。許してやるものか。



 鮮明すぎるほどに目に焼き付いている紺碧の髪を持つあの男を――それに連なるものたちも、それを許した俺自身も。


 その感情のまま、ヴィンセントに主としての最初で最後の命令を下した。

 目的を果たすために地獄の中で。



「俺と共にこの業を背負え」



 これから進んでいくだろう道に救いはない。

 なのに、一番に信頼を置いている彼を道連れにするなんて、あまりにも酷なことだ。


 主をして、何一つ彼に返すことが出来ない俺が、それでも彼に隣にいてほしいと望んだ。

 主と従者。それはあってないような形だけのものだった。だというのに――


 ヴィンセント自身が俺からの命令を望んだ。俺に帰依し、共に行く道を選んだ。



 クロノスの権能、‘’環命‘’。

 六度まで権能を授かった時に遡る――つまり回帰することができる神の力。

 命と引き換えに得ることができるそれを、俺は他者に共有することが出来る。



 彼の胸に剣を突き立てたあの感覚を忘れることはない。





 そうして四度。気の遠くなるほどの時間を過ごしてきた。


 権能を授かった時点に回帰する。

 俺が彼の胸に剣を突き立ててやっと、シュトルツ――かつてのヴィンセント――は権能を授かった地点に回帰するという仕組み。


 今まで四度、回帰ごとに俺は彼の命を奪っている。

 そして毎回、まだ何も知らないヴィンセントは同じようにそれを望む。


 一年後にリクサに言われるがまま向かった先で合流したリーベ――かつてのアルベルト――も何度繰り返しても自らの死と、この地獄を生きることを選んだ。




 失ったものなんてものは、もう数えられない。


 回帰を繰り返すたび――秩序神テミスに与えられた加護枷、その制約に反するたびに支払う代償。

 失したものすらもう思い出せない。忘れたことすら忘れている軌跡。



 リクサが俺に名付けたエーレという名前。

 そこに何が込められているのかなんて知ったことでもない、はずなのに。


 この名の意味を問うたびに、胸と背に刻まれた二つの鎖が激しく痛む。



 ‘’Ehre(エーレ)‘’

 栄光なんていらない。ほしくもない。



 もっと他にやりようがなかったのか? 後悔はないのか?

 過去の自分(シオン)が問うてくるたびに俺は首を振る。


 他の選択肢なんてなかった。潔く諦めて死んでしまえるほど、全てに絶望していなかった。

 僅かに残った未練と執着が、俺にこの道を選ばせた。



 何が後悔で、何かそうでないかなんて、今更考えることすら馬鹿馬鹿しい。



 引き返す道はない。振り返ることも、足を止めることも許されない。

 どんなに醜く惨めに這いつくばろうとも、しがみついてでも進む。


 俺が俺でなくなるその時まで。最後まで前へ進むことをやめるつもりはない。



 たとえこの暗闇の中に出口が見えなくても。

 自分を壊して進むことでしか成し遂げられないものがあるとするのなら。


 それが、この暗い部屋の壁を壊すことに繋がるのなら――



 俺はすすんで犠牲になろう。この犠牲がいつか‘’誉れ‘’になることを願って。


 大切なものの未来を照らせるのなら、俺は何度でも‘’名‘’をなくそう。







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