表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
3章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

163/233

サイドストーリー「黒曜に眠る残響への継承」

 


 コンラートの屋敷に着いた翌日の朝。

 屋敷にルシウスを残して、エーレたち3人は呪いの森に蔓延る魔物を一斉浄化していた。



 エーレは朝にリーベに一つ指示をしていた。トラヴィスへ伝達(風魔法)を送れ、と。


 知っている生命力とはいえ、この広い大陸の中でどこにいるかもわからない男へと伝達を送る。

 それが至極困難な業であることを知っていながらも、風の本質を持つリーベが彼らの中では一番繋げられる可能性が高かったからである。




 どうにかトラヴィスへの伝達を成功したリーベに、ひと睨みされたエーレだったが、とりあえずはトラヴィスが森の入り口へ部下をよこすまであと三日ほどある。

 その時間を利用して、コンラートがこの先も住んでいくだろう森の中の魔物を排除しておこうという話になったのだった。



 広い森である。各自散らばって浄化して回るのに、時間がかかった。

 霊奏でも使えばよかったのだろうが、最近はそれぞれ剣も魔法もあまり使っていない。

 腕がなまった気がすると言い出したシュトルツに応えて、ギリギリまで霊奏を使わずに魔物を浄化して回る。



 そういうことになって三日目の夕刻。


 かなり浄化し終えたはず。

 そう思いながら、エーレは南へ進みながら森の中を見回っていた。



 この鬱蒼とした森には不思議なことが多すぎる。

 彼の頭に伝承がちらりとよぎったものの、伝承とは基本的に後付けであり、本当にあったとしても本来の形を保っていないものばかりだ。


 ふと木々の先に突然、反り立つ岩肌が見えてきた。行き止まりだった。

 エーレは一度、先が見えないほどの崖を見上げ、嘆息を吐き出し、踵を返し来た道を戻ろうとした。


 ――コツン。


「……?」


 聞こえてきたのは上からでも辺りからでもない。足元。

 彼は今しがた、背を向けた方へと半身を逸らし、もう一度岩肌を仰いだ。



 小さな違和感。何かはわからない。

 足元を見るが、そこは木々の根が見えないところに張り巡らされているだろう、固い土の地面。

 たくさんの枝と葉が落ちているが、それ以外何もない。



 辺りを見渡すが、やはり何か変わった様子もない。

 釈然としないまま戻ろうと背を向けた時、視界に端に陽が過った。

 踏み出しかけた足をとどめて、大きく息を吐き出す。



 これほど高い崖がすぐ近くにある。その上、あちらは西南だ。

 陽が差すわけがない。それに足元から聞こえてきた、まるで石畳を叩いたような音。



 エーレは今一度、反り立つ崖へと近づき、その岩肌に手を当てた。

 なんの変哲もない。ただの硬い岩の手触り。けれど、確実に違和感がある。

 彼はその岩肌に沿って、東へ歩いてみることにした。


 すると思った以上に早い段階で岩肌が途切れた。その先にはやたら目につく、小さな岩。

 コツン。再び足元で靴が小さな何かを叩く。


 岩へと近寄ってみると、そこには紛れ込むようにして、よく知っているものが一面を彩っていた。



「黒曜石か」



 違和感の正体を突き止めて、再び岩肌へと振り返る――ゆらり。視界が揺れたのを知って、エーレは小さく笑いをこぼした。



「隠蔽される側ってのは、こういう気分だったんだな」



 これは間違いなく隠蔽だ。

 しかも闇の本質を持つ自分を欺けるほどの術者による隠蔽。

 そんな者が実在しているなら、とっくに存在を把握していてもおかしくない。


 ふと、暗殺ギルドのマスターの存在が頭に過った。

 けれど、その男がこの森をどうかしたという情報は今回だけではなく、前回も前々回もない。

 次に頭に浮かんだのは伝承だった。闇の精霊を怒らせたという人物。



 真相がどうであるにせよ……

 エーレは伝達を仲間に送ることにした。



『シュトルツ、リーベ。合流しろ』



 さほど経たずして、シュトルツとリーベがほぼ同時にエーレの元へやってきた。



「どうしたの、エーレさん。もう大体終わったと思うけど」



 魔物と戦ったためか、随分すっきりと清々しい顔つきのシュトルツが明るい声を投げてきた。

 エーレは何を言うでもなく、足元の岩へと指をさす。



「これは……黒曜石か?」 近くにいたリーベが先に答えた。


「どうやら今まで見落としてたらしくてな。隠蔽がかかってる」


「え? 隠蔽?」



 エーレの言葉を聞いたシュトルツが首を忙しく回して、辺りを見た。



「え、待って。エーレさんにも効いてんの?」



 その段になって、ハッとした表情で尋ねてきたシュトルツに、エーレは足元の岩へとしゃがみ込む。



「だからお前らを呼んだに決まってんだろ。とりあえず砕いて解除しようと思ってな」


「別に放置しとけばよくない?」



 今まさに黒曜石へと手をあてたエーレの背へとシュトルツの軽い声が飛んだが、エーレは耳を貸すことなく黒曜石へと生命力を流し込んで、それを割った。


 すぐに振り返った彼の視界の先がぐらり、と揺らぐ。

 同じように目の前でシュトルツがエーレと同じ方向を見たが、小さく首を傾げただけだった。



「なんも変わらないねぇ」


「いや」 エーレは目を細めて、崖側を注視する。まるで陽炎のように、崖が小さく揺れている。


「エーレは何か見えているようだな」 隣に立ったリーベが、確信を持った声色で告げた。


「随分と厳重に隠されてるみたいだな。あと何個か周りにありそうだ」



 それだけ答えて、歩を進めたエーレがシュトルツの隣を過ぎた時――



「どうするの? エーレさん」とすぐ背からシュトルツの声がした。


「コンラートがこの先も生きていく森だ。不安要素は排除しておくに決まってんだろ」



 あの老爺がこの先、何を思って、この森で生きて死んでいくかなんて知らない。

 それでも、手の中に残った数少ない大切なものが生きていこうとしている場所だ。

 そこは可能な限り、穏やかでなければいけない。



 後ろから続いた二つの足音に、小さな失笑。



「エーレさんは優しいねぇ」 そしてシュトルツの嬉しそうな声。


「馬鹿言え、ただの自己満に決まってんだろ」



 エーレは、仲間の言葉を受け入れることは出来なかった。

 もう大切なものを失いたくない、と思う自分優位の考えだ。


 前回も前々回も、この森に何か起きたという話は聞いていない。

 それでも今回、何があるかなんてわかったものではない。

 少しでも自分の不安を排除しておく。ただそれだけだった。




 ◇◇◇




 崖の周りに計四つ。それぞれ岩の一面に隠れるようにして黒曜石があった。


 その全てを砕いた時、それは目の前に現れた。

 エーレの隣で、シュトルツの軽やかな口笛が吹いた。



「この森に、これほど大きな遺跡が隠されていたなんて」



 少し遅れて、リーベの感嘆の混じった声がした。


 随分と古い遺跡。随分では足りないかもしれない。

 全体的に風化した灰色の石で組まれており、入り口には巨大な円柱が二本、静かに並んでいる。

 その先は深く続いているようだが、闇に覆われて、奥の様子は全く見えなかった。

 しかし、ここまで僅かに漂ってくるこの気配――



「伝承はあながち、嘘でもなさそうだな」



 エーレは自然と口から洩れた言葉を置いて、遺跡に入ることした。







 思った以上に中は暗く、シュトルツの光の魔法で足元を確保して随分進んだ先。

 まるで誰かを待っていたように、更に深い闇を漂わせた地下に続く階段を見つけた。



「これ……なんか、すんごい嫌な雰囲気なんだけど。大丈夫?」



 階段を覗き見たシュトルツが慄くように、二人へと首だけ振り向く。



「怖いなら屋敷に戻って、コンラートにでも泣きついとけ」



 くだらない演技をしてみせた彼に、エーレはそれだけ吐き捨てて、迷いなく足を踏み入れた途端。

 固い音を立てて、階段の先が崩れ、彼は眉を寄せた。



「おい、先行って足元照らせ」



 いつ崩れるかわからない階段を、明かりなしで進む気にはなれなかった。



「えー、俺。怖いから帰っていい~?」



 先ほどの仕返しのように、後ろで楽しそうな声をあげた馬鹿に小さな苛立ちを覚えて、ゆっくりと首を回した時。



「シュトルツ、時間も無駄だから早くしてくれ」



 後ろでリーベが急かすような声と共に、シュトルツを前に押し出す。

 表情は変わらないものの、リーベはこの遺跡の不思議を解明したくて仕方ないように見えた。



「はいはいー、ランタン係シュトルツさんでーす」



 嘆息と共に足を踏み入れた彼が光を灯し、先へ進む。

 狭い階段と暗闇のせいか、思った以上に長く感じた階段は、やはり何度も足元が崩れて、その度にシュトルツが小さな悲鳴をあげていた。








 たどり着いた先は――壁一面が黒曜石に彩られた広大な広間だった。



 シュトルツとリーベ、両者の光魔法を駆使して広間全体を照らし出す。

 人工的な長方形の壁だ。なのに、まるで後から黒曜石が生えてきたように見える空間だった。


 その中央には、三メートルはあるのではないかというほどの黒曜石の原石。

 エーレは自らも魔法で光を顕現させて、目の前の大きな黒曜石の細部を照らし出した。


 この中から微弱な波動を感じる。

 原石から漏れ出たそれが、辺り一面に細い糸のように張り巡らされている感覚。その波動は壁にある黒曜石へと広がっていた。



「どうなってる感じ?」



 辺りを見渡していたシュトルツの声が、少し遠くからした。

 その声に誘われるように、反対側にいたリーベがこちらへと歩み寄って、目の前の黒曜石を更に照らし出した。



「中に何か見えないか?」



 黒曜石から数歩離れていた彼の言葉に、エーレも同じように数歩引いて眺めてみる。

 床から反り立つ巨大な原石。その根元の部分に何か見えたような気がした。もしかして――



「この空間全部が何かしらを隠してるのはたしかだ。

 もったいない気もするが、これも砕くしかなさそうだな」



 この根元にあるものが隠蔽の大元だろう。おそらくは遺跡を隠していたものを同じ黒曜石。

 とりあえずは、それを囲んだ原石を砕いて様子を見る。


 そう判断を下したエーレが、目の前の巨大な原石に手を当てた瞬間だった――



 地下神殿全体が震えるように大きく振動して、天井から砂埃に混じって黒曜石の欠片が降ってきた。

 まるで、それ以上踏み入れるな――と警告しているように。


 それを感じ取ったエーレが手を離した瞬間、ぴたりと振動が止んだ。



「なんかやっぱりやばそうだね」



 危険を感じ取って、こちらへ歩み寄ってきたシュトルツが前の原石を眺める。



「どう思う?」



 エーレは誰ともなく尋ねた。



「どうって。まぁ、この森のおかしなことの原因は、ここなんだろうなぁくらいしか?」


「私もシュトルツに同意だ。この森がおかしいとは前々から思ってはいたが」



 シュトルツに続き、リーベが賛同を唱えた。彼は「ただ」と続ける。



「おかしいとは言っても、それが悪い意味でないというのが少々不可解ではあるが。

 先ほど浄化しまわったときに確認したが、野生動物の生態系が崩れている様子がなかった。

 森の周辺で群れの嵐(ホルデンシュトゥルム)が起きたという報告もない。レギオンが依頼を受けた形跡もなかった。

 ということは、この森は何かしらの影響によって、これ以上魔物が増えないようになっている、という推察で間違っていないだろう?」



 確認するようにあげられたこの森の不思議な点。

 エーレもすべて同じ意見だった。



 これほど魔物が跋扈(ばっこ)しているにも関わらず、森の外に溢れることがない。まるで意図的に数を調整されているように。


 伝承と似て非なる事実。この森はもしかしたら、人間を寄せ付けないのではなく、魔物を外に出さない結界としての役割を持っているのかもしれない。

 それがエーレのたどり着いた結論だった。



 そして、その役割の核になっているのが――目の前の黒曜石、そこに込められた強大すぎる闇の生命力。

 どれほど昔に、この黒曜石に生命力を込めたのかも定かではない。


 普通の人はどれだけ大きな鉱石に生命力を込めても、年単位で維持することは出来ない。

 人が一度に生成し、放出できる生命力は限られているからだ。


 これは、おそらく――



「命を懸けた誰かが、隠蔽で何かを守っているのかもしれんな」



 眼前の巨大な黒曜石の原石と、壁一面にある原石がどう作られたのかはわからない。

 けれどそれが、ここに込められた生命力を逃すことなく循環させている。


 そこまでしてなにを――森を守ったのか、森の外にある何かを守ったのかはわからないが、隠蔽の先にいるのは考えなくてもわかる。



 どうしたものか。

 エーレは広間全体を見渡して、考えを巡らせた。


 このままそっとしておくべきなのか。どんなに循環させているとはいえ、この隠蔽も確実に消耗していっているだろう。

 もしこの先、隠蔽とその守りが解けた場合は?



 光の魔法を受けて、紫のような輝きを辺り一面に見せる空間。

 闇の気配がこれほど色濃く表れている場所も珍しい。


 改めてそう感じたエーレは、ふっと肩の力を抜いた。



「お前たちの意見は?」



 左右にいる仲間に尋ねた。

 こちらの視線を受けたリーベは、すぐにシュトルツを見た。

 エーレがその視線を追ってシュトルツを見ると、彼は小さく肩を竦めて僅かに首を傾げる。



「エーレさんの御心のままに? 実はもう決まってるんでしょ?」



 そう笑って見せた彼に、エーレは目を瞬かせた。そして目の前の鉱石を見て「そうだな」と応える。



 闇の本質持ちが命をかけて守りたかったもの。その背景を知る由はなくても、ここにたどり着いた偶然。

 同じ闇の本質持ちとして、その意志を継ぐのも悪くない気がした。



 黒曜石が隠しているのは、伝承通り、闇の精霊に違いない。

 見えなくても、隠蔽で隠されていても、エーレにはそれがわかった。


 闇の精霊はプライドが高い。いきなり霊奏で話しかけるのはリスクがありすぎる。

 仕方ない。エーレは、ぽつりと呟いて瞑目した。



 闇の本質を生まれ持つ人間は珍しい。

 だからこそ、加護と同じように、特定の闇の精霊がその人間を贔屓にしていることがほとんどだった。


 エーレは自分を贔屓にしている闇の精霊の存在を知っている。幼少期、力を制御するために何度も何度も同調を繰り返してきたからだ。

 その度に、力に飲まれそうになっていたエーレを嘲笑ってきた闇の精霊。



 素直ではなく不器用で、プライドの高い性格。

 それが闇の精霊なりの励まし方だったのかもしれない、と今では思うことも出来るが、やはり好きになれない。

 霊奏と使わずとも、あいつとならある程度、同調による意思疎通は可能だ。

 目の前に隠されているだろう、闇の精霊とコンタクトを取ってもらう。



 一度、小さく息を吐きだして、エーレは生命力を丁寧に練り上げた。

 自分を通して、この状況もエーレの気持ちをすぐに伝わるだろう。わざわざ伝える必要もない。


 問題は、素直にこの空間を支配する精霊を繋いでくれるかだったが……



 闇の精霊に同調した途端――エーレは胸を掠めた感情に驚いて、目を開いた。



 伝わってきたのは、哀れみ、悲しみ、同情。そして強い共感。

 自分のそばにいる精霊が、隠された精霊に手を指し伸ばしたようなイメージが頭を過る。



 自然と手は前の巨大な鉱石に伸びていた。

 触れても今度は何も起きなかった。エーレは前で聳え立つ黒曜石をじっと見つめた。



 この鉱石を壊すわけにはいかない。

 今ならそれがわかる。これはこの空間にいる闇の精霊にとって、大切なものだ。

 失いたくはない、数少ないものなのだ。



 先ほどよりももっと繊細に、丁寧に、自らの生命力を鉱石に流し込むことにした。


 壊すことはあってはならない。ただ自らの生命力で隠蔽を上書きして、一時的に解除する。

 これほど巨大な鉱石に生命力を流すのは初めてだった。


 どれほど込めても、根元にある黒曜石までなかなか到達しない。

 ようやく届こうとしたとき、大きな反動が手から全身に伝わってきて、エーレは思わず顔を顰めた。

 反射的に離しかけた手を、ぐっとその場に留めて、息を吸い込む。



 根元にある黒曜石には、生命力だけではない、その者の意志が宿っているようにさえ感じる。

 命を懸けて守ろうと生命力を込めた結果、その者の強い意志が同時に宿ったのだろう。



 闇の生命力だけでは足りない。この意志を懐柔するためには――


 ルシウスの顔が頭に過った。

 水の生命力。強い感情と思考を共有するならこれしかない。自分の気持ちを送り、警戒を解いてもらう。

 得意ではない。そうも言ってられなかった。



 闇と水を練り合わせた生命力で、もう一度試した。

 思った以上に生命力が持っていかれる感覚に、体の底から倦怠感を感じてきた頃、その感覚があった。


 小さな反発。押し返すような、躊躇うような……

 エーレは集中力を研ぎ澄ませて、それをそっと押し返すイメージで注ぎ込む。その時。



 巨大な鉱石の奥で、きらりと何かが光った。

 同時に何かが頭に流れ込んできた。膨大な量の記憶。


 それは一瞬で通り過ぎていき――残ったのはあまりにも痛い感情だけだった。


 嫌なほど理解できてしまうそれに、エーレはそっと鉱石を撫でた。



「もう随分と時間は経って、時代が流れた。あとは任せて、ゆっくり休め」



 十年や二十年なんかじゃない。数百年も昔の男の記憶だった。

 まだこの森が呪いの森と呼ばれる前、混沌の時代と呼ばれていた頃の記憶――



 あらゆるところに魔物が跋扈(ばっこ)する時代。

 男は闇の本質をうまく制御できないながらも、故郷を守っていた戦士だった。


 しかし結果として、自らの生命力の暴走を悟った男は、自分を守護する闇の精霊を命を懸けて、この地に隠蔽した。

 大切な人たちを傷つける前に、同時にこの森の先にある故郷を守るために。



 守護していた闇の精霊は、男と深く同調していたのだろう。

 男の意志を継ぎ、周囲のあらゆる穢れを吸い寄せ、この地にいる人々を守ってきた。



 その穢れを一身に背負っていたのか……



 おそらく当時は、もっと広範囲で穢れを請け負っていたに違いない。

 混沌の時代が過ぎ、魔物が減少した今、それでも森から魔物が溢れださないように守っていたのだ。


 遠い遠い昔の男の意志をこの時代まで継いで、この地に眠っていた闇の精霊。

 エーレはその男の忘れ形見なのだろう、黒曜石をそっと撫でた。




「Elne-Noir. Vel sona lir...Melas?」


 ――闇の精霊、俺の声が届いているか?――




 あまりに多くの穢れを引き受けてきただろう精霊が、自我を保っている保証はなかった。

 出来るだけ丁寧に、控えめに(うた)ってみると……



 地響きのような振動が、広間の空気を震わせた。

 伝わってきたものは――



「はっ」 心配した自分が馬鹿馬鹿しくなって、笑いが漏れ出た。



「なんて?」 隣に来ていたシュトルツが、天井を見上げて尋ねた。



「知らん。楽しそうに笑っただけだ」



 小さな苦痛のような感情も同時に伝わってきたけれど、口には出さなかった。



「随分と高位の精霊だったみたいだな」



 穢れに呑まれていないのなら、方法は二つ。


 本人が望むのなら、闇の精霊ごと浄化してしまうか。

 もしくは、抱えた穢れを全て吐き出させて、こちらで浄化するか。



 どうにしろ闇の精霊を解放してしまうのなら、この森は安全ではなくなる。

 だが――

 エーレは霊奏を用いて、それを闇の精霊に提案した。




 ――我が去ると、この地は脅かされる。我は最期までこの地に留まろうぞ――



 そんな回答が返ってきた。

 呆れと共にため息がこぼれ、エーレは首を振った。



 ――もういい。十分だ。それはお前たちが背負う領分ではない。

 ここから先は、俺たち人間が自分たちで守っていく。だからもう休んでくれ――




 そもそもの穢れは人間の負の感情が原因だ。

 それを精霊が肩代わりして、自我を失うリスクを負ってまで守るものではない。


 闇の精霊は人間に寄り添いすぎる面がある。

 だからこそ、闇の本質持ちは力を暴走させてしまう。

 そのことを自らのそばにいる闇の精霊に納得させるのに、どれだけ苦労したことか。



 エーレはもう一度、すぐ近くにいるだろう闇の精霊に同調して伝えた。


 闇と闇の波動が重なり合い、不協和音のような音が広間に広がる。

 しばらくして、ずんっと沈むように広間が揺れた。


 答えが出たらしい。エーレはそれを感じ取って、巨大の黒曜石の先を一度見据えると、さっと踵を返した。



「上に出るぞ。すぐに手に負えないほどの穢れが出てくるから、備えとけ」


「え、ちょ、え……?」



 状況を飲み込めていないらしいシュトルツが追ってくる声。



「そういうことか。精霊が穢れを引き受けていたのか」



 状況から導き出した推測だろう――答えを言い当てたリーベに、「げっ」とシュトルツの声が続いた。



「シュトルツは浄化の準備。リーベは穢れが外に漏れださないように結界を。

 俺が闇の力で穢れをおびき寄せたら、一気にやれ。

 シュトルツで足りないようなら、リーベと俺が上に力を乗せる。いいな?」


「了解した。霊奏の方が安全じゃないのか?」



 降りるときは長かった階段の先が見えてきた。エーレの指示にリーベが尋ねる。

 三人が全員地上へ出た時、後ろから嫌な気配がやってくるのを感じた。



「ちょ、早く出て!」



 最後尾にいたシュトルツが、慌てたような声と共に駆けだした。

 釣られて二人も走り出す。一番乗りで外へ出たシュトルツが、勢いよく振り返って笑った。



「いいじゃん、たまには俺らも‘’人間‘’らしく、思いっきり魔法を使えばさ!」



 周りに光を顕現させていたシュトルツはその光を溜め込むように、手元に集め出した。

 二人が外に出ると同時に、背後からはゾッとするほど嫌な気配が押し寄せてくる感覚。



 リーベが更に外へと駆け出すのが見えて、エーレもそれに続く。

 すぐ近くで退路を塞ぐようにある木々の群れ。

 そのぎりぎりまで引いたリーベが結界を張った波動を知って、エーレは体内に残ったありったけの生命力を放出させた。



 穢れは闇の波動を好む。

 その波動が森一面に広がったとき、真っ黒な(もや)が大きな塊を成して、ものすごい勢いで眼前へと迫ってきた。


 エーレは思わず、右手で目を庇い、態勢を崩さないように踏ん張った。



 視界が消える。穢れに囲まれた経験は初めてではなかったが、何度やってもこれは慣れない。

 堕ちた精霊のあらゆる負の感情が、否応なく流れ込んでくる感覚に、ぐっと歯を食いしばったとき――



 身震いするような膨大な生命力の波動と共に、闇を払う圧倒的な光が辺りに満ちた。

 エーレの視界が、徐々に晴れていく。


 周りを囲んでいた穢れが分離していくように薄くなっていき、(もや)(かすみ)のように漂い始める。



「このくらいの穢れなら、あとは風を乗せれば浄化されるだろう」



 後方からの冷静なリーベの声色と同時に、温かな風が夜空へと舞い上がっていく。

 それは光を誘い、散り散りになっていた穢れを共に乗せて、森全体へと飛び去っていく。



 一度は空へと昇った光の粒子たちが、金色の雪のように舞い降りてきた。

 それはエーレの心へと入り込んだ穢れのような感情を、綺麗に溶かしていくようだった。



 ――綺麗だな。



 今まで散々見てきた景色。けれど今回はどうしてか、心に残るものがあった。

 手のひらで受けた光が溶けてなくなっていく様子に、見惚れそうになっていた時。



 金色の舞う夜空へと、何かが緩やかに上っていくのを感じた。



 エーレはその気配を追って天を仰ぎ、一度瞑目した。


 人の想いに寄り添い、長い間この地を守ってきた精霊への敬意を表して――



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
成長/革命/復讐/残酷/皇族/王族/主従/加護/権能/回帰/ダーク/異世界ファンタジー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ