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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
3章

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162/233

サイドストーリー「騎士として在るということ」

屋敷にやってきたその日の夜の話です。

シュトルツ視点。

 



「こうして、坊ちゃんと酒を酌み交わせる日が来ようとは……

 長く生きてみるものですなぁ」




 屋敷にやってきたその日の夜。

 照明がわずかに落とされた仄暗いコンラートの私室。

 シュトルツは老爺と丸テーブルに向かい合い、度数の高い酒が入ったグラスを傾けていた。



 屋敷の主であるというのに、彼の私室は相も変わらず質素なものだった。


 シュトルツの正面――コンラートの背には、使われているのかも怪しい執務机。

 右壁側には、随分と開けられていないのだろう、ガラス扉の本棚。中には大量の本が敷き詰められている。

 部屋の奥にベッドとキャビネット。そして今二人が座っている丸テーブルと椅子があるだけで、ソファーすらない。



 目だけで改めて部屋を見渡していたシュトルツは、前の老爺の言葉を思い出して「まぁ」と、とりあえず繋ぐことにした。



「あの時の俺は、酒を飲む余裕なんてなかったもんねぇ」



 遠い過去が思い出される。

 権能を授かる前、遠くて遠い幻のようなあの頃。



 父――ディートリヒに突然、学院に通えと言われてから、あらゆることが動き始めたような気がする。


 エーレ――シオンの隣に張り付いていたシュトルツ――ヴィンセントを案じての言葉だったのだろうが、学院に入った三か月後、ヴィンセントは唐突に父から廃嫡されることになった。

 学院内で王族への侮辱行為及び発言という身に覚えのない罪を着せられて。



 シオンが抗議してくれたのかどうかもわからない。

 廃嫡を宣言されたと同時に、すぐに家を追い出される羽目になったのだから。

 コンラートはそれを知っていたかのように、首都を出たところでヴィンセントを待っていた。



 彼が一年前にすでに引退し、隠居したと知らされていたヴィンセントは驚いたものの、その時はそれ以上何も考える余裕はなかった。

 冤罪の上、弁解の機会も与えられずに、生涯付き従うと忠誠を誓った唯一の主から引き離されたのだから。

 しかしまだ若かった彼に出来ることはなかった。



 ロノアスの森へやってきた彼は、荒れ狂ったように森の中の獣や魔物へと剣を振るい、森を彷徨ってしばらく屋敷に帰れないことも多々あった。

 その度にコンラートが迎えにきてくれたことを、今も覚えていた。



 しばらくして―――彼は剣を置いた。



 守るべき主がいない今、剣を取る理由がなかったからだ。


 鍛錬はもちろん、まともに食事もせず部屋に引きこもり、何もしない日々が続いた。

 コンラートもそんな彼に対して、何も言わなかった。



 そして月日は過ぎ、一年後。コンラートから聞かされたのだ。

 陛下が王弟に討たれ、王室が滅んだこと。

 王家の剣として生きてきた父親も死んだことを。

 けれど、聞きたかったことはそれではなかった。主は、シオンは生きているのか。


 唯一、王位継承権を持っていたアクシオン殿下の死は免れなかったものの、シオンとその妹アイリスが死んだという情報は入ってきていない。


 それを聞いて、ヴィンセントは再び剣を取った。








 あの時の剣の重さを、昨日のことのように覚えている――



 グラスにはいった黄色の液体を揺らしながら、シュトルツは眉を潜めた。

 前回も前々回もこの屋敷にはやってきた。


 その度にエーレはシュトルツに事情説明を任せたため、彼はコンラートとこうして向かい合いあった。

 けれど、何度繰り返しても慣れない。

 グライフェン家の執事長、そして剣の師匠であったこの老爺と話すと、あのころが蘇ってくる。



「随分、逞しくなられましたね。あのころとは大違いですな」



 目を細めて、温かいまなざしを向けてきたコンラートにシュトルツは苦笑した。



「そらぁ、あのころに比べたらねぇ。背も伸びたし」



 あの頃は、コンラートよりも随分低かった。

 シオンを探す三年には少し足りない期間に、一気に伸びたのだ。



 コトリ、と音を立てて老爺がグラスを置いた。

 シュトルツはそれに視線を下げながら、手の中のグラスを口元へ寄せる。



「爺やにどこまで教えてくれますかな?」



 重みと柔らかさを残したままの、どこか硬い声色。



「んー」



 口に含んだ酒を飲み下して、グラスを目の前に引き上げてみた。

 黄色の液体が揺れて、コンラートのアーモンド型の瞳をぼんやりと映し出す。



「あんまり詳しく言えないんだ。あのあと俺はエーレを見つけ出して、リーベと合流して……

 俺たちは今、レギオンに席を置いている。

 わけあってルシウスを保護して、とある目的のために動いてる。それだけしか言えない」



 グラスから目を離さずに告げると、先からは「左様でございましたか」と静かな声だけが聞こえた。

 シュトルツはそっとグラスをテーブルにおいて、前の好々爺を見る。



「坊ちゃんはそれ以上話さないと仰るなら、この爺やは何も聞きますまい。

 こうして、お三方揃ってご壮健であるという事実だけで、嬉しく存じます」



 そこには偽りはないように見えた。

 騎士を退いても、その心の内に灯る騎士としての在り方は健在なのだろう。



「そう言ってくれて助かるよ」


「しかしまぁ」 コンラートが肩を竦めた。「昔とは比べ物にならないほど砕けた雰囲気になられて、爺やはびっくり仰天しましたよ」



 その言葉を表すように、コンラートが瞳をこれ以上ないくらいに開いてみせたのを見て、思わず失笑が零れた。



「相変わらず爺やは嘘が下手だよなぁ。まぁ、色々あったんだよ」



 そう、色々あった。全てを語れずとも、シュトルツたちの変わりようを見れば、前の好々爺もある程度は察することが出来るだろう。



「それは存じておりますとも。爺やは何も悪いとは申しておりません。

 お三方とも、人間らしくなられて安心でございます」



 そんな声に、シュトルツは瞬きを繰り返した。



「え? そう思うの?」



 人間らしい?

 人間から遠のいてばかりいっている俺たちが、人間らしい?


 コンラートは「ええ、ええ」と何度も頷く。



「随分と表情豊かになりましたね。特に殿下は。

 公子様も随分と丸くなられたご様子で。坊ちゃんは少し予想外でしたが」



 続けられた言葉は、実に楽しげな色を帯びていて、祖父が孫を想うような口調だった。



「たしかに。あんな狭い世界で立場とか爵位に縛られてた頃よりは……自由なのかもね」



 気付けば、グラスに視線を落としていた。

 橙色の室内灯に照らされた液体に、赤い髪が映り込む。


 皺の多い乾いた手が視界の上のグラスを持ち上げ、辿るように視線をあげると、コンラートは美味しそうに酒を飲んでいた。

 細めた瞳が、グラスの中に何かを探すように伏せられたまま、彼は言った。



「過ぎた話をしても仕方ありませんが――」



 グラスをテーブルに置くまでの短い沈黙。

 彼は口の端についたらしい酒を指で拭った後、深いものを宿した瞳でこちらを見てきた。



(わたくし)めが、坊ちゃんに申し上げずにいたことがあります」



 老爺の瞳の奥の覚悟。その全てを聞く必要はない。

 前回も前々回も彼は、シュトルツに向き合って真実を話してきたからだった。



 出来る限り禍根を残さぬように、誰も傷つかないように、グライフェン家の誇りを守るために。

 全てをその老いた胸に仕舞って、シュトルツの帰りを待っていたのだ。


 シュトルツは一度深く瞑目したあと、頷く。



「実はね。全部知ってるよ、爺や」 



 すると今度は演技ではない――皺を押しのけて、その瞳が大きく見開かれていった。



「聞かなくても全部わかってる。苦労をかけたね、ありがとう」



 ヴィンセントが廃嫡される前から計算して、八年。


 その八年が短いのか長いのかは、今のシュトルツにはもう図ることは出来ない。

 それでも一人で抱えているのは、さぞ辛かっただろう。



 どうしてこの老人が、この森に籠ったのかは知らない。

 ヴィンセントの身を隠せる場所として選んだのかもしれないし、もしかしたらその秘密を誰にも話さないための戒めだったのかもしれない。



 ――そう、コンラート・アルデンは真に騎士に相応しく、主のために全てを捧げた人だった。






 ヴィンセントの廃嫡は計画されたものだったのだ。


 その前からすでに彼の父親、ディートリヒは王家の内乱を予期していた。

 当時の国王陛下、シオンの父にも進言していたはずだ。

 しかしそれを止めることは出来ないと判断したのかもしれない。


 事実、もうそのころには現国王――当時の王弟と帝国の皇帝は繋がっていたのだと後になって知った。

 ヴィンセントを守るため、廃嫡を言い渡し、コンラートに預ける形にしたのだった。

 その準備のために、コンラートは廃嫡より一年前に引退と称して、この森に引きこもった。



 それだけではない。

 ヴィンセントの弟テオドールは、その時すでにアクシオン殿下の従者であった。

 その彼を廃嫡するわけにもいかない。

 だから父はあえて、アクシオン殿下の情報を王弟派に流すことをテオドールに指示した。



 そうしてテオドールだけでも謀反後に生き残れるように計り、それは見事成功した。

 現在テオドールはグライフェン家を担っている。



 陛下と父の間に、どんな話が交わされたのかは推測の域を超えない。

 父が陛下に無断でそのような判断をしたのか、それとも全ては陛下の意思だったのか――


 けれど、王家の剣として事実上、主を裏切った父は、最後の最後まで忠誠を捧げた主――陛下の側にいて、主を守り討たれたらしい。



 当時、父が何を考え、何を思っていたのかをコンラートは多くは語らなかった。

 今回同じことを聞いても、結果は変わらないはずだ。

 その全てを一人で抱え、墓までもっていくつもりなのだろう。



「ほんと……」 思わず、こぼれ出たため息。シュトルツは自分の手へと視線を落とした。


「グライフェン家の人たちは、頑固ものばっかりで困るよ」



 それが鷹の紋章を掲げるこの家門の在り方だ。知っていても、そう言わずにはいられなかった。



 盾を持たず、両手剣だけを手に取った。

 主を守り、時にはその道を切り開くためだけの剣、その流派。


 守るべきものに全てを捧げ、そのために命を賭すことこそがグライフェン家としての在り方。

 それは、この家門を支え連なるアルデン家も変わりはなかった。



 父はその誇りを守りながらも、それでも家族を守りなかったのだろう。

 そして母も、その父を守るために運命を共にしたのだろう。



「ねぇ、爺――」



 貴方はそれで本当によかったのか?


 そう聞こうと前を見ると、彼は笑っていた。

 皺の多い顔に更に皺をよせ、今にも泣きそうな顔をして笑っていたのだ。



 もうこれは、俺たちの体の奥底に――心の芯にまで深く刻み込まれたもので、今更その是非を問うようなものではない。


 小さく笑い声をあげ始めた老爺を見て、改めてそう思った。

 それでも一つだけ、聞いておきたいと思った。



「師匠、今幸せ? 生きててよかった?」



 シュトルツの問いに、コンラートは涙ぐむ瞳を強く瞑った。

 瞳はすぐに力強く開かれて、こちらをはっきり見つめ返してくる。

 それが昔の精悍な顔つきと重なって見えた。


 彼が何を言おうとしているなんて、それだけで十分に伝わった。

 それでもシュトルツは、師の言葉へ耳を傾けた。



「これが(わたくし)の選んだ道でございます。これが私の騎士としての在り方を貫いた全てです。

 そこに一片の悔いもございません。爺やは今、心から幸せを噛み締めております」



 揺れることのない強い声色、真っすぐに貫いてくる瞳には、燃え尽きることのない強い意志が宿っていた。


 この分だとまだまだ生きそうだ。

 シュトルツは安堵を覚えて、微笑んだ。


 だからこそ、コンラートにはやはり何も言えない。

 全てを犠牲にしても遂げたい目的。だからこそ、この師を巻き込むわけにはいかない。


 頭を掠めた仲間の顔と随分老いてしまった師。

 その両方を瞳の中に映したシュトルツは、今一度、口を噤んだ。





 ◇◇◇





 そういえば、アイリスの話は出なかったな。

 コンラートの部屋を出て、ふと思った。


 あえて出さなかったのかもしれない。

 俺たちの目的が何なのか。爺やは、ある程度察していてもおかしくはない。



 最初にテーブルについた席の順番で、ルシウスの立ち位置も明確にしておいた。

 隠蔽でルシウスが誰なのかはわからなくても、大きく事を運ぼうとしていることくらい、あの老人なら経験則から導きだしかねない。



 思考を忙しく回しながらでも、自然とたどり着いたのは自分の部屋の前だった。


 たった一年。遠い昔に使っていたあの部屋は、綺麗に整えられてはいたが、家具も何もかも同じだった。

 この部屋に入るたびに、あの陰鬱とした生活が蘇る。



 到底生きているとは言えない。死んでいないだけ。

 全てを遮断して、どうにか生命活動が維持できる最低限の食事と水を摂り、あとは本当に何もしようとはしなかった。


 一日中部屋にこもり、風呂もたまにしか入らず。時折生きているか確認するようにやってきたコンラートを見ても何も話さなかった。


 ただただ、頭の中にはシオンがいて、もう二度と会えないのではないかという不安と絶望に、首を絞め続けられるような長い時間だった。




 手をかけたドアノブをそっと回す。

 やたら耳についた小さな開閉音。部屋を見るのが怖くて、落とした視線の先には、あの頃に比べて随分と大きくなった自分の足。


 そうか、もう俺はヴィンセントではない。

 そんな当たり前のことを思い出して、ゆっくり顔をあげた先で――思わず、微笑みが漏れた。



「何してるの? エーレさん?」



 あの頃とは似ているようで似ていない。いや全く違う。

 背も少し伸びて、体も少し逞しくなった。


 諦めることに慣れ、多くを求めず、穏やかだった主は今、高圧的に見える厳しい態度に、頑張って隠そうとしているらしい繊細な優しさを併せ持つ、不器用な仲間として隣にいる。



 これが俺の選んだ道に違いなかった。

 俺は唯一をこの手で取り戻して、最後まで――死ぬ瞬間まで傍にいるという誓いを立て直したのだ。



 その不機嫌そうな瞳がゆっくりとこちらに向けられるのを見て、さらに頬を緩まっていくのがわかった。



「え? もしかして夜這い!? ああ、もったいないことした! 部屋で待ってればよかった~」



 いつもと同じように軽口を叩く。そして俺の唯一は、いつだってそんな俺を許して応えてくれる。



「てめぇのその馬鹿さは死ななきゃ治らんのか。いっそのこと、俺が殺してやろうか?」



 ああ、シオンはこんなこと言わなかったのになぁ。


 なんてことを思いながら、俺は嬉しさを隠しきれない足取りで、椅子に座って待っていたエーレへと歩み寄った。


 そういえば、ヴィンセントもこんなこと言わなかったっけ?



「エーレさんに殺されるなら本望だねぇ」


「俺はもう二度とお前を殺すなんてごめんだ」



 そんな彼の言葉にふと、権能を授かった日のことが頭に過る。


 そうか、彼は一度ならず回帰ごとに俺を……

 それが権能の引継ぎ条件だとはいえ、失言だったな、と前にいる彼を見下ろすと、その髪がまだ少し濡れていることに気が付いた。


 久しぶりに風呂に浸かって、ゆっくりできたのかもしれない。



「全く……。コンラートに余計なこと言ってねぇか気になって待ってたんだよ」



 前の艶やかな髪にそっと、そっと、手を伸ばす。

 彼はまだ俺ですら触られるのに抵抗を見せる時もある。

 濡れた髪に一度触れて、確かめるように彼を見た。平気そうだ。



 髪を魔法で乾かす俺に、当然ように乾かされるエーレ。

 この部屋にはもう、あの陰鬱な空気はひとかけらも残っていないことに気づいた。



「何も心配することはないよ」


「ならいい」



 温かい空気が部屋の隅から隅まで漂っていく感覚がした。

 しばらくして乾ききった髪をさらりとすいてみる。



「少し伸びたね。また切らないと」


「勝手にしろ」



 不満そうにつぶやいた彼を見て、ゆるりと自然と首が傾いた。




 いつか……そう、いつか。



 この道が自分の選んだ道であると、全てだったと、胸を張って言えるときまで。

 父のように、師のように。

 騎士に相応しい人間であれたと言える日まで――



 俺は大きくなった自分の手のひらと、その中に残された大切を映して、そっと瞳の中に閉じ込めた。






ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

この話で少し触れています、権能の引き継ぎに関しては、エーレの過去編で出てきます。

これからも頑張っていきますので、よろしくお願いします!

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