必ずまた
「じゃあ爺や。世話になったね」
剣袋と荷物を背負ったシュトルツが先にコンラートへと挨拶を交わした。
「アルデン卿世話になった」続いて、僅かに瞑目したリーベが。
「迷惑をかけたな。屋敷の修繕の依頼をレギオンに出しておく」淡々と事務的にエーレが。
コンラートはそれぞれをゆっくり順に見渡し、微笑んで頷く。
「コンラートさん、お世話になりました。訓練を付けて頂いて本当にありがとうございました」
僕も頭を下げて礼を告げる。今回ばかりはそれを止める人はいなかった。
コンラートは更に深く頷くと、
「皆様と過ごすことが出来て、大変うれしゅうございました。夢のような二週間でございました」
皺を寄せて、表情を隠すことなく破顔した。
温かい陽の香りを風が運び、僕たちの間を軽やかに通り過ぎていった。
彼は一歩進みだし姿勢を正すと、拳を肩にあて、それを胸に引き寄せた。
屋敷に来た時とは違った礼だった。
コンラートはそれぞれをもう一度見渡しながら、凛とした口調、精悍な顔つきで告げる。
「エーレ様、シュトルツ様、リーベ様、そして、ルシウス様――」
その口から出た名前は彼らの本来の名前ではない――けれど、それは確かに愛情と誇りのこもった響き。
「大変ご立派になられました。もう、このコンラートが言うことは何もありますまい。
皆様の行く末にクロノスの加護があらんことを」
それを受け取ったシュトルツは嬉しそうに笑って「爺やも長生きしてね」と最初に踵を返した。
「どうかご自愛を」続いたリーベに、「感謝する」それだけ残したエーレも背を向ける。
あまりにも素っ気ない彼らの挨拶に、僕は思わず苦笑してしまった
。
「コンラートさん。いつかまたこの屋敷に彼らを連れてきます。
それまでどうかお元気でお過ごしください」
彼は一度僕の後方を見たあとに、僕を視界に留めて柔らかく微笑む。
「これから貴方様の行く道は険しいものとなりましょう。けれどどうかお心を強くお持ちください。
ルシウス様が望むものを手にされますよう、心より願っております」
皆さなのことをよろしくお願いします、とコンラートは深く頭を下げた。
「ありがとうございます。コンラートさん。この屋敷で過ごしたことは忘れません。
必ずまたお会いしましょう」
コンラートはこの先も、この屋敷で一人で生きていく。
もう二度と会えないかもしれない彼らの帰りをどこかで待ち望みながら――
ほとんど白くなった髪と細い体を見て、湧き上がってきた感情をぐっと堪えて踵を返した。
必ずもう一度、この屋敷に戻ってくる。彼らを連れて。必ず。
そう決心して、強く拳を握った。
森を出る道は変わらず険しかったけれど、来た時のようにバテることはなかった。
けれどそれを純粋に喜ぶことは出来なかった。
僕は弱い。本格的に訓練をして、敵と剣を交えたからこそ思う。
強くなりたい。そう簡単に願っていた頃とは違った。
僕はまだまだ自分に甘い。強くなろうとすればするほど、もっと苦しいことが待っている。
いつの間にか腰元へ当てていた手。そこにある剣鍔を強く握った。
前ではエーレとシュトルツがいつものように軽やかな足取りで、他愛のない話をぽつりぽつりと交わしている。
そんな二人を見ていた時、「ルシウス」と呼ぶ声がすぐ後ろからした。
「何を考えてるのかはわからないが、落ち込む必要はない」
「わかってます」
振り返ることなく頷きだけ返した。
わかってる。落ち込んでる暇なんてない。
隣へと進み出てきたリーベの視線を感じて、そろりと見ると、彼は困ったように眉を下げていた。
「本当に理解しているか? 私はあの二人と自分を比べる必要はないと言ってるんだが」
「え? は、はい」
彼の視線を追って、もう一度前の二人を目に留める。
昨夜、屋敷の襲撃を退けた彼らの様子が脳裏に浮かんだ時だった。
「私も戦闘ではあの二人に遠く及ばない。けれど、それでいいと思っている。
何が大切かさえ見失わなければ、強くなれる。貴方は貴方の速度で進めばいい」
森に溶け込むような静かなリーベの声色が、ぼんやりと頭の中に響く。
――結局、自分にとって何が大切かじゃない?――
シュトルツもそんなことを言っていた。
「大切なもの……」
大切なもの? 僕の速度?
小さく差し込む陽を受けて、隣で輝く銀髪が目端を掠めた。
「リーベの大切なものって?」
零れるように口から出た問いに、隣の彼が歩を速めて僕より数歩前へ出た。
緩やかに左右に振られ首が、おもむろに前へ向けられる。
「私もあの馬鹿と同じように、今も昔も一つしかない」
その背が誰かを想っている空気が伝わってきた。顔も知らない、彼の大切な女性――
アイリス王女がどこかで微笑んでいるような気がした。
切なくて温かい。雪解けのような沈黙の余韻の中で、突然前からうるさいほどの声が聞こえてきた。
「ねぇ! ものすんごく脂っこいもの食べたくない!?」
見計らったようないつものタイミングで、くだらない提案をこちらへ向けて言ったシュトルツに思わず失笑が漏れ出た。
「悪くないですね!」 同じくらい大きな声で返す。
コンラートの食事はたしかに美味しかったけれど、彼の好むような揚げ物などは控えめだったのだ。
そう言われるとレギオンの食事が食べたくなってきた。
コンラートの屋敷で過ごした日々はとても温かかった。
でも僕たちの居場所はきっとそこではない。
何故か、喧騒とお酒と料理の匂いで充満したレギオンのエントランスホールが恋しくなった。
「僕は僕なりに頑張っていつか、追い付きますね」
仲間の背へと言葉を投げかける。
――僕にとって大切なものはなんだろう?
そんなの決まっている。
「期待している」
振り返りもせずに呟かれたリーベの言葉。たしかに受け取った小さな信頼の証に僕は大きく頷いた。
その時、先に森の出口が見えてきた。
ぽつり。手の甲に雫が落ちる感覚。
空を見上げると、いつの間にか禍々しいほどの曇天が空を覆っていた。
「雨かぁ」
僕の呟きは、舞い上がった風の揺らぎ、木々のどよめきにかき消されていく。
鬱蒼とした木々を抜けた先で、前の二人がピタリと足を止めたのが目にはいった。
同時に、更に湿った大きな風がこちらへと吹き込んできた。
僅かに遅れて僕とリーベが追い付き、足を止めたままの二人の背中越し。
そこには――彼女がいた。
ゼファが嵐を連れてやってきたことを、その時の僕はまだ知らなかった。




