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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
1章

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15/204

初めての海

 



 大通りに出るとリーベは露店で、いくつかのパンを調達だけして外門へと進んだ。

 そのまま門を出ると、リーベは「しばらく歩く」と一言告げる。

 彼の先導で街の防壁に沿って西に進み、防壁が途切れても更に真っすぐ西に進んだ。



 辺りは豊かな草原で、春先の今――色とりどりの花が芽吹き、蝶や鳥たちが楽しそうに戯れている。


 そんな長閑な風景を見て、ユリウスは先ほどの葛藤を忘れ、心が洗われるような感覚になった。


 柔らかな風が頬を撫でる。風に運ばれる草花の香りに、鳥の囀り。

 空は晴れ渡っていて、気温も丁度いい。



 その中を、一刻は歩いただろうか。

 ユリウスの周りで奏でられていたハーモニーに、新たな音と匂いが加わった。

 初めて目にする光景を求めて、彼は勢いよく被っていたフードを取った。





 一面に広がる水と潮の香り。


 海水が白い泡を立てて、押しては引いていく。

 陽を反射して海は眩いばかりに光り、目が眩みそうだ。

 二人がたどり着いたのは、海を見渡せるなだらかな丘だった。




 南側――ユリウスの左側の丘は、緩やかに盛り上がり、その先で小さく突き出していた。

 しかしその突端は途中で途切れ、そこから先は切り立った崖になって、海へと落ち込んでいる。

 あそこまで行けば、更に間近で海を見下ろせそうだった。


 逆側――右側の丘は穏やかに傾斜を下ろし、やがて小さな砂浜へと続いていた。



 切り立った崖の下にはアーチのような天然の洞窟が出来ている。ユリウスはその風景に心打たれた。

 砂浜が途中で途切れ、天然の洞窟が海の中であることは残念であったが、この風景を頭に留めておいていつか絵にしたい。


 強くそう思った。



 この国に、こんな綺麗な景色があるなんて思ってもみなかった。


 城内でよく見かけた金銀であしらわれた煌びやかな飾り、宝石を散りばめたドレスやアクセサリー。

 職人の作った精巧な彫像。豪華なタペストリー。



 過去に目にしてきたどんなものよりも今、目の前に広がる風景が圧倒的に美しかった。


 魅入られて足を止めたユリウスに気づいたらしいリーベが振り返る。

 しかし急かすでもなく、彼も同じように海を見渡した。



「まだ冷たいが、行ってみるか?」彼が砂浜の方へ視線を投げた。


「行きます!」



 城を出て初めてだ、こんなワクワクした気分は――

 弾けた声に急かされるようにユリウスの足は自然と駆け出し、リーベを追い越して、砂浜へと向かっていった。



 丘から砂浜までは思ったより距離があった。

 着いたころには息が切れていた。

 でもそんなのものは、目の前に広がった未知への期待感の前では、気にもならなかった。



 砂浜に足を踏み入れると、不思議な感触に気づいた。そっと、それを手で掬ってみる。



 サラサラと落ちていく砂、散らばる貝殻。

 ここに座り込んで何度もそれを試したい、貝を集めたい――

 そんな衝動に駆られたが、ぐっと我慢して顔をあげた。


 眼前に迫った海に、息を呑む。



「綺麗だ」



 自然と口から零れた言葉が、遅れて耳に届く。

 ユリウスはそれに言い表せない違和感を覚えた。


 綺麗では足りない。この美しさはそんな言葉じゃ表現しきれない。


 光の宝石を散りばめた青い絨毯。それが足元まで押し寄せては、掴みどころなく離れていく。



 足元にやってきた海水に手を伸ばした。

 思った以上に冷たい。それが更にユリウスに喜びを与えた。



 このまま海へと駆け出して、あの先、地平線まで行ってみたい。

 どこまでなら足が付くのだろう。どれくらい深いのだろう。

 僕は泳いだことがない。泳げるだろうか?




 色んな妄想にも似た想像が、頭の中を駆け巡る。



 足元を行き来する海水を今度は両手で掬った。

 見渡したら青いのに、手で救ってしまえば普通の水となんら変わりない。

 知識では知っていたけれど試さずにはいられなかった。


 掬った海水を口に含んでみる――

 想像の上をいく辛さに、反射的に海水を吐き出した。けれど、それすら嬉しくて、気づけば声を出して笑っていた。




 不思議だと思った。

 海は水が一面に広がっていて、その水は塩分を多く含んでいる。

 その通りのはずなのに、実際は見て感じると思っていたのと全然違う。



 ユリウスは広がる海を見つめて、そのまま憑りつかれたように立ち尽くしていた。



 ――波の音と陽の反射、鳥の絶え間ない鳴き声、風のそよぎ、潮の香り。


 そういったものが次第にユリウスの中に溢れてきて、一度に押し寄せてくる。

 周りの自然と一体になって、体の感覚が消えていく。



 ユリウスは風になり、鳥になり、やがて海に沈み、海水の一滴となって溶けていった。


 このまま自我を捨て、この中に溶けて、一部になってしまいたい。

 自分が誰で、何をしていて、何を考えていたのか。わからなくなっていく。


 それがユリウスに、更なる多幸感を与えた。



 その時、肩への衝撃でユリウスの意識が自身の体に引き戻された。



「同調しすぎだ」



 いつの間にか後ろまで来ていたリーベの声に、ユリウスはハッと我に返った。



「すみません」


「責めてるわけじゃない。短時間でそこまで同調できるのは才でもある。

 けれど行き過ぎるとそれは同化だ。飲み込まれるぞ。

 自分を手放しかけていただろう?」



 ユリウスは先ほどの感覚を思い出して、頷いた。



「たしかに魔法は、精霊との同調率高ければ、行使できる幅が広がる。

 しかし、そこには明確な線引きが必要だ。

 私たちは個としての自分を明確に持ちながらも、精霊たちと同調する。

 彼らに引っ張られる同調の仕方は、いつか身を滅ぼすことになる」



 淡々とそう言ったリーベは、来た道を少し戻る。

 そこには大きな岩が一つ鎮座していた。

 ユリウスは波の音を背に、岩のそばへと歩み寄った。



「どこから教えるべきか……人に教えるのは、得意ではないんだが」



 リーベは口調も抑揚も、いつもと変わりない。

 淡々としすぎていて、冷たくすら感じる。

 表情も乏しく感情もほとんど出ない。


 けれど、珍しく眉を寄せているところも見ると悩んでいるようだ。



「あまりにも初歩的だが、貴方の場合、瞑想からやり直した方がいいかもしれない」


「瞑想?」



 瞑想が何かを聞いたわけではないし、力の鍛錬として瞑想をするという話も聞いたことがある。

 ただユリウスは、調和の力の訓練で、瞑想なんて方法を取ったことがなかった。



「まず同調しながら、自分と周りの境界線を作るんだ」


「境界線って言われても……」


「壁を作れと言ってるわけじゃない」



 リーベは岩から少し離れた砂浜に円を描いた。人一人分の円だ。



「この場に、同調しながらも個を保つ。

 多幸感を感じただろう?

 境界線をきちんと引けていれば、その多幸感の種類が変わる。

 自分が今ここにいることを意識するんだ」



 そう説明を聞いても、ピンとこない。


 ユリウスは促されるままに円の中に胡坐をかいて座った。




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