沈黙の背に刻まれた鎖
※この話には拷問の痕跡があります。多くはありませんが、苦手な方はご注意ください。
「物にも、生命力のような流れが存在しています。
鉱石一つにしても、拡張と収縮を繰り返す微弱な波動が存在するのでございます」
翌日、鉱石を手にとったコンラートはそう説明した。
その波動と共鳴し、微細な流れに沿って、自らの生命力を込める。
流れ自体が一本の糸よりも細い管のようで、その形はその石ごとに違ってくる。
生命力を込めながら、すこしずつそれを探っていくしかない。
そんな説明を聞いて、僕の中での魔鉱石生成の難易度がぐんと上がってしまった。
けれど、頭での理解が追い付くというのは案外大事なのかもしれない。
もうこれが出来なければ明日に持ち越して、昼食にしよう。
その段になって、ようやく昌石を割らずに生命力を込めることが出来たのだった。
昌石は他の石に比べて、圧倒的に生命力を込めやすい。
そして、今したものは効果を付与したわけではなく、ただ単純に僕の生命力を込めただけ。
それでもようやく割らずに済んだことが嬉しくて、はしゃぎたい気持ちでいっぱいだった。
昼食後はいつものように基礎トレーニングと剣と魔法。
4日目にして、段々とペースがつかめてきた。
ほんの少しではあるが、全体的に感覚は掴めてきてる気もしたし、コンラートも上達していると褒めてくれた。
訓練が終わって、少しの慣れと満足感からか空腹を覚えた僕は、先に夕食にしてもらった。
そして部屋で食後の休憩を挟んで、風呂に入ろう――と、ベッドに寝転がってしまったのが間違いだった。
ハッと目が覚めると屋敷は静まり返っていて、咄嗟に時計を見た。
日付が変わっている……やってしまった……
疲れ切った体に栄養を補給して、ベッドに寝転がるなんて、眠ってしまうに決まっている。
馬鹿な自分の行動を悔いながら、僕はコンラートが用意してくれていた寝間着とバスタオルを持って、風呂場にいくことにした。
食べてすぐ眠っているせいか、小さな胃もたれを抱えながら、脱衣所に入って、服を脱ぐ。
さて、風呂に入ろうという時になって、浴室から人の気配があることに気がついた。
3人が帰ってきていたのか。そう思い、擦りガラスの先から、こちらへやってくる黒い影を見ていた。
その影が、引き戸を開けた瞬間――
「はぁ、またお前か」
腰にタオルを巻き、濡れた髪を手で押さえながら、うんざりしたような目線をこちらへ送ってきたのはエーレだった。
そんな彼の顔を見たのも一瞬で、そのまま視線が彼の全身を彷徨った。
上へ、下へ――瞬きすることも忘れて、すぐそこに立つエーレの全身から、目を離せずにいた。
白い肌に浮いた水滴が引き立てるように浮かび上がらせていたのは、あまりにも惨い傷跡――どうみても拷問の跡だったからだ。
生々しく盛り上がった鞭跡は、腹部や胸部だけではなく、四肢全体にも渡っている。
ところどころには、体を焼かれたのだろう――大きな火傷の傷も残っていた。
そんな痛々しい傷跡を目にして、開いた口はそのままで動けずにいた。
しかしエーレはちらり、と僕を見ただけで何をいうでもなく、隣を通り過ぎていく。
――見たくないのに、見てしまう。
僕はその姿を追っていた。
そこで更に見てはいけないようなものが、目に飛び込んできた。
エーレの背。右肩の下に焼き付けられた印。
焦げた肉に押し当てられた鉄の証は、黒く禍々しい模様を描いていた。
中央には小さな錠前、その左右には太く絡まれた鎖が伸び、更にその上からは鋭い棘を宿した茨が巻き付いている。
環のようにめぐるその茨は、逃げ場のない輪を形作り、外周には焼け焦げたような痕跡が、不自然なほど整った炎の縁を描いていた。
帝国の奴隷印――
死の自由すら奪われた隷属の証。
ぞわり、と体に震えが走った。
背中にもおびただしいほどの傷と火傷の跡。
長期間の拷問の中で、魔法で治癒もされずに放置され、歪な傷跡として自然と傷が塞がってしまったことが、考えなくてもわかる痕跡。
そして、そうさせたのが――皇帝であるということも。
短く吸い込んだ息は、言葉にはならなかった。
髪を拭いていたバスタオルが、その傷をさっと隠していく。
けれど僕に焼き付いたそれらはいつまで経っても消えることはなかった。
僕が、僕が何を言えるのだろう。僕が言えることなんてない。言ってはいけない。
けれど……
「おい、いつまでもジロジロとこっち見てねぇで、風呂入れ」
普段と全く変わらないエーレの声が、僕の意識を引き上げた。
「いや、でも――」
「でもじゃねぇよ。いいからさっさといけ」
エーレはそう言って、柔らかそうなシャツを羽織ると、こちらをちらりと見た。
僕は思わず、その視線から逃げるように目を逸らして、固まった足を動かす。
床に張り付いてしまおうとする足を引きずりながら、どうにか引き戸へとたどり着いた時――
「あと一度だけだ」そんな声が、背から聞こえた。
「お前はルシウスで、俺はエーレだ。もう二度と言わねぇからよく覚えとけ」
その言葉の意味を頭ではわかっていたけれど、心まで落ちてくることはなく、僕はそのまま浴室へと入った。
吐き出した息が、浴槽から立ち上がる湯気を揺らした。
思考が止めどなくめぐって形にならない。
彼はエーレで僕はルシウス。だから、気にする必要はない。
「そんなの、そんなの……」
あれを見てしまったからには、そんな風に割り切れるはずがない。
目に焼き付いて離れない。彼が地獄を生きた証。
そうしたのは皇帝で、僕ではない。だから僕が気にする必要はない?
僕はルシウスであって、ユリウスではないのだから、関係ない?
出口のない思考の先で、今まで彼が見せてきた不可解な言動が、走馬灯のように頭に流れてきた。
鉱山都市で、終身奴隷の命の鎖を断ち切ったときの彼の表情と言葉。
彼はどんなに暑くても、襟シャツを首元まで締め、雨や汗でシャツが濡れても、袖すら捲ろうとしなかった。
彼がどうして黒の服しか着ないのか。
もしかしたら傷跡が見えないようになのかもしれない。
――エーレは、人に触れられることを極端に嫌う――
リーベの言葉が反芻された。
あれはそう、湾港都市の時からだった。
あの時は僕が……そして、誰かが触れようとすると、彼は強く制止を求めた。
ミレイユに腕を掴まれそうになった時も、動揺していたような気がするし、それにリクサの時だって……
空白の3年間。一体、彼に何があったというのか。
酷い拷問の末、人間不信に陥った?
傲慢に振舞い、人に厳しくはあるけれど、彼はそんな素振りを見せていない。
人に触れられるのすら恐怖になるという、原因がふと頭を掠めた。
僕は湯舟に深く浸かって、頭を振る。
これは彼を侮辱する想像だ。そう思って、すぐにそれを打ち消した。
僕とエーレでは見てきた地獄が違いすぎる。
鞭で体を裂かれる痛みなんて僕は知らない。体を焼かれる恐怖や絶望なんて、僕は知らない。
その中で死ぬ自由すら奪われて、心を保っておける自信なんて……僕にはない。
エーレは本当のところはどう思っているのだろう。
何を思って、ここまで来たのだろう。
シュトルツは、リーベは。全てを知ってるのだろうか?
ふと、浴室から出てきた時のエーレの言葉が蘇った。
もしかしたら、前回までの僕も……
水が大きな音が浴室に反響し、ひざ元に跳ねあがる。
気付けば勢いよく立ち上がっていた。
怖い。それでもエーレと話がしたい。
僕は急いで頭と体を洗って、風呂から出ることにした。




