呪いの森に棲む旧き守人
目の前には、太く高くそびえる木、木、木。
「あの、これ……どこから入るんですか?」
荷馬車はもう、レギオン本部へと引き返していった。
そして前に立ちはだかるのは、樹木林。
人の通る道なんてものは、なにように見える。
「え? そのまま突っ切るけど?」
先頭に立つシュトルツが首だけ振り返って、呆気からんとして言う。
頭の中にものすごい鮮明に、彼らと会った当初の記憶が蘇った。
草木を切り払い、森を突き抜けていった、あの日々が――
そのままシュトルツは当たり前のように、木と木の間の生い茂った草を跨いで進んでいく。
「いや、ちょ……こんなところに、本当に人が住んでるんですか!?」
さっさと進んでいく仲間を追って、その背に問いかけた。
一歩入ると、もうすでに歩きにくい。
あらゆる草と小さな枝、そして地面にまで張り巡らされた木々の根たち。
「住んでなきゃ、こんなところ来ないって」
その中をシュトルツとエーレは軽々進んでいく。
これは……無駄口を叩いていたら、息が続かず、たどり着く前に体力が干上がってしまうやつだ。
僕はそう悟って、口を閉じることにした。
最初こそ進む地面は平坦であったものの、しばらくしてから緩やかな傾斜に入った。
前でシュトルツが余計な草木を切り払ってくれているから、正面の視界はどうにか確保されている。
陽は木々に遮られて、ほとんど差し込んでおらず、薄暗い。
どこかで潜んでいる獣の気配が、四方八方からした。
傾斜の中、道なき道を歩き、どの方向へ向かっているのかわからない。
はずなのに、シュトルツはまるで道が見えているように、迷わず足を進めている。
「ちょ……ま、まって、もう……」
どんどん距離が開いてきた。後ろにはリーベがいるから、逸れることはないけれど、息が上がってついていけない。
その時になって、ようやくシュトルツが立ち止まって振り返った。
「あともうちょいなんだけど~」
激しく吐き出される自分の息、早く脈打つ鼓動が耳の奥で鳴る。頬を一筋の汗が伝っていく。
その中で彼の声が、随分遠くから聞こえたような気がした。
「もう、ちょいって……本当、に、この道、であっ……てるんですか……!」
どうにか足を動かしながら、尋ねる。しかし前の彼には届いていないようだ。
足を止めない僕を見て、前の2人はまた歩き出した。
「あと少しらしいから、踏ん張れルシウス」
後ろから余裕綽々の声が聞こえた。
自分の体力のなさにうんざりして、首だけ振り返る。
「こんな……森、の中にいる、人って……」
「私たちが話していたのを聞いていなかったのか? この先には私たちの剣の師がいる」
「剣の師匠……?」
思わず足を止めてしまった。
前からは「おーい」とシュトルツの声が聞こえてきた。
そういえば……僕がイライラしていた時に知らない名前が出てきていたけど……
息を整えながら、そんなことを考えていると、さっとリーベが隣に立った。
「ほら、行こう」
背中をそっと押される。
踏ん張りながら、先へ進むと森の出口と二人の姿が見えてきた。
あともう少し。悲鳴をあげる脚をどうにか前に進める。あと、もう少し……
二人の姿がはっきりしてきた時、右肩に小さな衝撃が走った。
首だけ振り返ると、再び隣へと進み出てきたリーベがほんの少しだけ、こちらへ顔を寄せてきた。
「先ほどのことだが――」隣を見ると、その視線は前に向けられていた。
「エーレは人に触れられることを極端に嫌う。頭に入れておいてほしい」
それだけ言うと、彼は僕を追い越して、軽い足取りで出口に向かっていった。
森を抜けるとそこには――
広い平地が広がっていた。
荒い息のままで、自然と感嘆が漏れた。
森の中に、こんな広い敷地があるなんて……
木々に囲まれた広く長細い楕円の敷地。青々とした芝生は綺麗に整備されていて、シュトルツが向かった右側には屋敷が聳え立っていた。
外観は随分と古びてはいたが、それでも綺麗に補修されていることが、一目見てわかる。
綺麗に選定された木々が庭を囲んでいて、中ははっきり見えないが、ところどころ赤やピンクの花が顔を覗かせていた。
高くはない――白色の柵でぐるりと囲まれた屋敷は、まるで神秘のベールに囲まれているようだった。
ここだけ森から切り離された別空間のような佇まいに、ここまでくる苦労なんて忘れて魅入ってしまっていた。
「んじゃ、お邪魔しようか」
呆気に取られている僕の前でシュトルツが、屋敷の一つしかない入り口を見る。
シュトルツを先頭にそれぞれが続いた先には、彼の腰ほどの位置にある、これも白い鉄柵。
その周りには植木鉢に入れられた愛らしい花がかけられていた。
「相変わらず、変わってるよねぇ爺や」
そんなことを漏らしながら、彼はそっと柵を押した。
きぃ、という音が、風にざわめく木々たちの声の中で、ヤケに大きく響いた。
間を置かず、広くない入り口を通るシュトルツとエーレの前側から「どちら様ですかな?」と味わい深い、なんとも穏やかな声が聞こえてきた。
2人に続いて、僕も門扉を通る――と、同時に何かが地面に落ちる音、水が跳ねる音。
僕はびっくりして、シュトルツの大きな背から前を覗き込む。
そこには、ゆったりした服装に身を包んだ、細身で長身の好々爺がいた。
好々爺の皺の多い瞼は大きく見開かれ、手から落ちたじょうろが靴を濡らしたことにも気づかない様子のまま、その目はただ一点、シュトルツを見つめている。
それはまるで、ここにいるはずのないものを見たような――幽霊にでもあったような反応のように見えた。
3人の剣の師匠? つまりそれは……
好々爺は見開いた目をスッと戻すと、ゆっくり僕たちを順に見渡した。
そして何か納得したように一度頷くと、深く瞑目して、そっと歩み寄ってきた。
彼は、僕たちの正面に立つと、その恰好とは不釣り合いなまでの綺麗な動作で一礼をする。
「よくお戻りになられました。ヴィンセント様」
好々爺の態度、そしてその口から出てきたシュトルツの本来の名前。
僕は思わず、シュトルツを覗き込む。
彼は、こちらに一瞥だけくれると「ただいま戻りました、爺や」と心底安堵したような声色で応えた。
「ご健在で何よりです。殿下、公子様も」
好々爺はシュトルツに続き、エーレと僕の後ろにいたリーベを見て、破顔した。
やっぱり、この人は彼らが幼い頃からの顔なじみなのだ。
「アルデン卿。突然の訪問を許していただきたい」先に言ったのはリーベだった。
「何を仰いますか。このようなところまでよくご足労くださいました。お疲れでしょう、ご案内いたします」
好々爺はさっと半身を逸らして、屋敷の入り口を示した。
そして僕の方を見ると、皺の多い顔に微笑みを称えた。
「お若いご友人様もどうぞ、こちらへ。ようこそおいでくださいました」
その一連の身のこなしは、剣の達人ではなく、一流の執事を見ているようであった。
「お邪魔します」
僕が会釈をして答えたのを合図に、3人は何を言うでもなく、屋敷へと案内され始めた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
「忘却の森、屋敷編」突入です。
3章は残り2編。
屋敷編はルシウス特訓や模擬試合などもあります!
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