【番外編】切先が笑う距離
神視点です。
弓の弦が軋む音と、生命力の波動が空気中に漂う。
距離にして十メートル、敵は八人。
エーレはその中心に、あえて姿を晒していた。
剣鍔に手は当てられているが、抜く様子はない。
その姿は敵の前にいるとは思えないほど、泰然としたものだった。
敵の意識が、一点に集まる。
エーレが瞬きした一瞬――
その隣をすり抜けるように、シュトルツが走った。
両手の短剣を構え、獣のように疾駆する。その突進に、敵の視線が分散する。
照準を定め直そうとした弓兵と魔法師が動いた瞬間――矢と魔法が飛ぶ。
その間隙を縫い、シュトルツは最前列に肉薄。短剣が火花を散らす。
甲高い剣戟が、空に舞い上がった。
敵の前衛2人と対峙した彼の口元は楽しそうに弧を描き、軽やかに敵の刃を受け止め、弾く。
その中で、槍兵の鋭い突きが、彼の死角から迫っていた。
──突きが届く、その瞬間。
気配も足音もなく、エーレが滑り込んだ。
地を這うような低い姿勢から、鋭く剣が閃く。
斬られたのは敵の槍──だけではない。
刃が風を裂き、シュトルツの首元を紙一重で掠めて通る。
数本、赤い髪が宙に舞い、髪を束ねていた紐が切れて、はらりと落ちた。
「……」
シュトルツは驚かない。ただ、僅かに眉を寄せる。
その不満げな横顔をよそに、すぐ隣を通り過ぎたエーレが、わずかに口角を吊り上げた。
刹那、エーレは姿を翻し、後衛へと駆ける。
だが、その時。
茂みに潜んでいたもう一人の弓兵が、シュトルツに矢を放った。
──それに、彼は気づいていた。
なのに避けない。ただ、静かに短剣を握り直し、前の敵を切り伏せる。
空中で弾ける矢と矢。
シュトルツに届く直前に、リーベの一射が、敵の矢を正確に撃ち落とした。
同時に、エーレが一直線にその弓兵に肉薄する。死角から現れた黒の剣が、一閃。
刃が止まることはない。敵は叫ぶ間もなく沈んだ。
全ての敵を薙ぎ払い、切り捨て、シュトルツは短剣を手にしたまま、腕を回した。
風が彼の髪を攫い、その視界を覆った。
「ちょっと、エーレさん。
完全にわざとでしょ?」
剣を鞘に収め、彼の元へやってきたエーレに、シュトルツは顔を顰めながら振り返った。
「ついでに、その鬱陶しい髪を切ってやろうとしただけだろ」
そこにキラリと森の奥から、鈍い鉄が光る。
それはエーレの背を貫こうと、風を切った。
しかしそれは、別の方向から放たれた矢により、再び撃ち落とされ、その影に潜んでいた2本目の矢が森へと駆け抜ける。
遠くから小さな衝撃音が彼らの耳に届き、同時にリーベが姿を見せた。
「まったく」
「ちょっとリーベ聞いてよ。エーレさん、俺に嫌がらせしてきたんだけど!」
シュトルツが髪を指さしながら訴える。
「切ってしまえばよかったのに」
「酷くない!?
これ、俺のチャームポイントだから!
結んで、ひらひらさせてたら、尻尾みたいでしょ!?」
ぼそりと呟いたリーベに、シュトルツが食ってかかる。
その隣で、エーレは踵を返す。
「さっさと帰るぞ」
その時、彼は何かをシュトルツに投げた。
それと手に取ったシュトルツは、目をパチクリさせて、前を行くエーレの背を見る。
「え、なになに。これくれるためだったの?」
「首輪の代わりだ」
シュトルツの手の中のものを、リーベは覗き込んだ。
そこには、細く滑らかな黒い革紐があった。
隣でシュトルツはご機嫌に髪を結びなおして、エーレに駆けていく。
その二人の背を見て、リーベは僅かに目を細めた。




