主のない忠誠の向かう先
先に頭に浮かんだのは、昨日のエーレとの会話。
風の精霊。と丁寧に書こうとしたけれど、揺れる幌の中ではうまく書けなくて、結局走り書きにした。
風の精霊と会話をするな。その理由もわかった。けれど、何か引っかかっていて……
記憶をたどると浮かんだのは、白昼夢。
更に辿ると、ルミナスでの泉で起きた、僕ではない‘’僕‘’と重なって存在しているような、あの感覚。
その両方が今では、かなり遠のいている感覚だった。
ルミナスの泉では確かに僕は彼を感じた。共鳴した。
昨日の夢もあまりにも現実味を帯びていた。
もし……もしあれが前回までの僕であったなら?
前回の僕が、もう過ぎ去った僕であるのか、それとも今同時にどこか違うところに存在しているのか。何もわからない。
けれど、僕ともう一人の僕が記憶を共有するなんてことが……可能なのだろうか?
どんなに思考を巡らせてみても、今ではもう輪郭がぼやけてよく掴めない。
ふと、視線を上げてエーレを見る。
彼らなら何かわかるだろうか? けれど、何一つ確信の持てない空想のような話だった。
それに今、それが重要であるとは思えなかった。
だから一旦、横に置いておくことにした。
そうして他に書き進めて、最終的に分かったことと言えば、やはり今の僕に出来るのは、剣と魔法と霊祖の訓練が第一ということだった。
特に魔法については、親和率をあげないといけない。
中和の完全習得もあるし、風の精霊に引っ張られることが今後ないように。
ペンを置いて、もう一度メモ帳を眺める。さらに頭がすっきりした気分だった。
こうしてみると、昨日までの自分があまりにも不安定だったことがわかる。
肩の力を抜いて、小さな安堵を感じながら、細く息を吐きだした。
「リーベ。このメモ帳もらってもいいですか?」
するとリーベは僕の方を見て、「勿論。もともと貴方に霊奏を教えるために用意したものだからな」と快諾してくれた。
「そうだ、忘れるところだった」そこに本から顔をあげたエーレの声が挟まった。
彼は僕を見ると、「隠蔽の魔鉱石、込め直しておくから渡せ」と手を差し出してくる。
そういえば、彼に渡されてから一度も生命力を込め直してもらっていない。よくこんな長期間効果が持ったものだ。
僕が手首からブレスレットを外すと、さっとシュトルツが取り上げて、エーレへと渡した。
途端、闇の波動が、針に糸を通すような繊細さでこちらに伝わってきた。
ふと頭に嫌な記憶が蘇る。彼らの持っていた鉱石を全て粉々にしてしまったあの記憶が。
魔鉱石への付与も課題に入れておかないといけない。そう思って、メモ帳に書き足した。
付与更新はすぐに終わったらしく、またシュトルツを介して、ブレスレットが手元に戻ってきた。
「その迷子札も、またリーベに調節してもらっておけよ」エーレが付け足す。
首から下がっている翡翠のペンダント。これをつけていたおかげで、彼らが連れ戻しに来てくれた。
あれからも肌身離さずつけていた。けれど。
「迷子札って言い方、やめてくださいよ。もう子供通り越して、ペットですよそれじゃあ」
最初は子供扱いされて嫌だと思っていたが、ここまでくるともうペットだ。
彼らの庇護なしでは旅を出来ないのが現状なのだから、ペットと言われても強く否定はできない。そんな自分の情けなさも相まって出た言葉だった。
自分で言っておきながら、思わずため息がこぼれ出そうになったとき――
「いや、ペットは俺の立ち位置だから」と、足元から意味不明は言葉が聞こえてきた。
「は……?」思わず、そんな声が漏れ出る。
カロンの中で一番大きな男は一体、何を言っているのだろうか?
足元に目を落とすと、シュトルツは勢いよく体を起こして、こちらへ背を向けてきた。
「ほら」
彼はそう言いながら、うなじ辺りで髪を一つに結んでいる――黒の革紐を見せてくる。
「これ、俺の首輪」
当たり前のことを当たり前に、そして誇らしそうな口調で言いのけた。
意味がわからなくて、咄嗟に前のエーレを見る。
シュトルツがその革紐を首輪というのだから、それを贈ったのは一人しかいない。
しかしエーレは嫌そうな顔をして、小さく瞑目しながら視線を逸らした。
「ほらーエーレさんの瞳と髪と同じ色じゃん? もう愛だよねぇ~」
「気持ちわりぃ解釈してんじゃねぇよ、それが一番安かったんだよ」
やはり、エーレがシュトルツに贈ったので間違っていなかったらしい。
「エーレが誰かに何かを贈ることなんて、あるんですね」
ミレイユには弁償としてティーカップは買ってあげていたが、それとこれとはまた別の話だろう。
素直は感想を口にしてしまって、咄嗟に後悔した。
つい先日、もう少し考えて言葉にしろと言われたばかりだったのだ。
それを思い出して、ちらりとエーレを見ると、不本意そうな顔で僕を見て、そしてシュトルツへと視線を投げた。
「お前の中の俺は、どうなってんだよ」
「いやぁ……」そう言葉を渋らせては、前の嬉しそうなシュトルツを見て、ふと思いだした。
そういえばこの二人は――
「ああ、でも二人の関係なら、シュトルツがペットで喜んでも不思議じゃない気もしますね」
僕は絶対に従者をペット呼ばわりなんてしないけれど、相手はシュトルツなのだ。おかしくない、はず。しかし……
「関係?」
僕の言葉を聞いて、きょとんと首を傾げたシュトルツに「……え?」と間の抜けた声を漏らした。
そんな僕を見て「ん?」と再び逆方向へもたげたあと「あー」と彼が手を打つ。
「そういえば、言ってなかったっけ? 俺とエーレさん、随分前に主従解消してるよ」
あまりに当然のように言うものだから、僕はその言葉を飲み込むのに時間がかかった。
「え? だってでも……」
僕から見るに、どう考えてもシュトルツの忠誠はエーレだけに向けられている。
「だって今は、エーレとシュトルツだし?」
前で「ねー?」とエーレに賛同を求めているシュトルツを見て、僕は理解が追い付かなくて、気づけば手の中のメモ帳へと視線を落としていた。
じゃあ、彼の忠誠はどうなるのか? 受け皿のない、宙ぶらりんということなのか?
主従という立ち位置ではなくなった、彼らの今の関係は?
先ほど、首輪といって嬉しそうに見せてきた黒の革紐が、目の前に掠めた気がした。
ぼんやりと手帳を見ていると、「おい、もうそろそろ着くから用意しとけよ」と何の変りもないエーレの声が頭からして、ハッとする。
とりあえず先に、手の中のメモ帳を鞄に仕舞おうと幌の奥へと立ち上がった。
その間、いつものようにシュトルツがエーレにじゃれついていたのを見て、二人のことなのだから僕が口を挟むことではないのだろう。そう納得した。
鞄を持って、元の場所へ戻ろうとした時――
じゃれついてくるシュトルツを、鬱陶しそうに手で払ったエーレの膝元から、本が足元へと落ちていくのが見え、咄嗟に拾おうと手を伸ばす。
同時に前から手が伸びてきて、気づいた時にはその手に重ねようとしていた。
引くにはもう遅くて、僅かに触れたその瞬間――
「っ……!」
手に走った衝撃とともに、両者の手が目の前を飛んで掠めた。
彼に、強く手を払われたことに一拍遅れて気づき、衝撃を受けて手の先を見る。
するとそこには、同じように目を見開いたエーレがいた。
その瞳は酷く揺れていて、怯えているようにも見えた。
しかしそれも一瞬で「悪い」と目を逸らさせ、謝罪される。
僕は払われた手を自然と胸に抱えて、困惑するしかなかった。
「いえ、僕の方こそ……エーレが本を大切にしているのを失念していました」
その時、緩やかに荷馬車が速度を落としていくのがわかった。それは気まずい沈黙の中で完全に停止した。
読んでいただきありがとうございます!
次回から「コンラート屋敷編」突入です。
これからもお付き合いいただけたら嬉しいです!




