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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
3章

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白紙のノートーー失われた名前

 



 陽も暮れたというのに、寒くない。

 5月(ヘライア)も半ばに差し掛かったのだ。当然だった。


 きちんと洗濯された真っ白なリネン。安宿とは違うふかふかなベッド。


 まだ早いけれど、このまま気持ちよく眠ってしまえれば……


 頬をすべる肌触りのいい枕に顔を埋める。真っ暗になった瞼の裏に、ここ数日にあったことが駆け巡る錯覚に陥って、それを振り切るために勢いよく首を振った。



「ああ!」



 心地よいベッドもこれじゃ、なんの意味もない。

 せっかくの個室だというのに、心が休まらない。

 ふと、黄金色のお茶が頭に過った。そのあとに思い出されたのは、湾港都市(レネウス)でそれを持ってきてくれたシュトルツの姿。


 自然と大きなため息が漏れ出る。

 僕の生活にすでに彼らが染みついている。それは良いことだし、嬉しいことだ。

 けれど……



「指名手配、かぁ」



 相も変わらず、状況に流されるようにレギオン本部にやってきて、レギオンマスターのバルトに会い、結局父上のことは聞けず終い。

 あとでバルトを探したけれど、すでに彼は外出してしまっていた。


 本部のレントランスホールをうろうろしていると、レオンとフィアに呼び止められて、かなり長い時間、話に付き合うことになった。

 レオンは相変わらず、つっけんどんな態度であるが、フィアが僕に懐いてくれたことで、徐々に仲良くなれている気はした。


 僕が2人に捕まっている隣で、シュトルツは大量のお酒と料理を掻き込んでいたし、リーベはそんなシュトルツの前で、優雅に食事を楽しんでいた。

 エーレは? と聞くと、どうやら充電するように部屋で眠っているらしい。


 3人の状況にそぐわない呑気な振る舞いを思い出して、また大きなため息がこぼれ出た。

 いや、もしかして。



「僕がおかしいのかな?」



 指名手配されたと聞いて、声を荒げたのはミレイユだけだった。

 そんな彼女も心配の一言もなく僕たちを見送っていたし。ゼレンは一応心配らしきの言葉をエーレにかけてはいたけれど。

 ブラッドバウンズの3人も何も聞いてこなかったし。


 僕の中の常識がどんどん崩れ落ちていく感覚に、いてもたってもいられず、ベッドから飛び起きた。

 とりあえず、これからどうするのか聞かなければいけない。

 僕に出来ることは少ないだろうけれど、それでも何かあるはずだ。


 ――カロンの一員になるなら、仲間を守らにゃならん場面も出てくる――


 一度聞いただけのバルトの言葉は、頭に刻まれていた。

 今までは、僕が彼らに守ってもらいっぱなしだった。

 今はもう僕にとって、彼らは失いたくない‘’大切‘’になっていることをしっかり実感できる。


 僕は、僕の大切なものを守りたい。

 剣も魔法も霊奏も、何もかもがまだ中途半端で、それでも……それでも僕に出来ることはあるはずだ。

 それに、まだ僕の中であらゆることが整理しきれていない。

 彼らの過去のことも、父上のことも、僕自身が向き合うべきことも。








「たしか……」


 あてがわれた部屋を出て、綺麗に掃除が行き届いた廊下に並ぶ扉を、一つずつ数えていく。

 隣がリーベで、更に隣がシュトルツで、1つ扉を挟んで……


 その扉はほんの少しだけ、開けっ放しになっていた。

 人差し指が1本入るか入らない程度の扉の隙間を見つめて、僕は思わず首を傾げてしまう。


 あれからエーレの姿は、一度も見ていない。

 ずっと眠っているのだろうか?

 彼の印象から、扉を閉め忘れるなんて想像しにくい。


 そんなに眠かったのかな? なんてくだらない想像をしながら、僕はそっとその隙間から中を覗いてみた。

 物音はしない。まだ寝てるのかもしれない。

 勿論、そんな数センチの隙間から中が見えることもなく、意を決してそっと扉を開けてみた。

 ほんの小さな音を立てて、開かれた扉の先には灯りがついていた。

 けれど正面には誰もおらず、そっと足音を殺して中に入ってみる。



 これじゃまるで、泥棒のようだ。

 人の気配に敏感なエーレの怒号がいつやってくるかと、ひやひやしながら先に進むと、僕の部屋と同じように、すぐ右に真っ白なベッドがあって、左側には机と椅子――机に隠されるように垣間見えた脚、上になぞっていくと、緩やかにうねる黒髪があった。


 彼は集中して、何かを見ているようだった。

 たった4~5mしか離れていないのに、全く気付く様子がない。



「エーレ?」



 そっと呼びかけた瞬間、驚いたようにエーレが顔をあげた。

 その瞳は見開かれている。

 そんな彼の驚きように、僕までびっくりして、言葉を失った。


 ほんのわずかな沈黙が僕たちの間に漂い、先にエーレがうんざりしたようなため息と共に、机の上の何かを閉じた。



 ――本?

 彼がそんなに集中して何かを読んでいるところを、今まで見たことがない。



「入ってくるなら入ってくるって言え」



 怒号を覚悟していたけれど、その心配はなさそうだ。



「すみません。扉が開いてたんで、どうしたのかなって」



 半分言い訳を並べてみると、エーレの眉が寄せられて、僕の後ろ――扉の方を見た、

 彼はそのままの視線で「で? 何しに来た?」とぶっきら棒に言う。



「あー、えっと」



 指名手配のこと、これからどうするのか、父上のこと、僕に出来ること。

 そんな選択肢が同時に頭に浮かんで、つい口ごもる。

 するとエーレが顎をしゃくった。


 彼の前には椅子がもう一脚ある。そこに座れと言いたいのだろう。

 今やそんな沈黙の言葉も、よくわかるようになった。

 僕は前に進み出て、そっと椅子を引くと、同時にエーレが席を立った。

 そのまま僕の後ろに回って、どこかへいく。

 その背を追うと、部屋に設けられた簡易キッチンのほうだった。



 レギオン本部の宿は、設備が充実していた。

 ベッドも清潔でふかふかだし、机は勿論、クローゼットや簡易キッチンまである。

 僕は改めて、同じ造りの部屋を見渡しながら、最終的に机の上に視線を戻した。


 そこには、真っ白な表紙の一冊の分厚いノート。

 一瞬、本なのではないかと思うほど分厚かった。

 僕はちらり、と後ろのエーレを見る。彼はお湯を沸かしていた。

 それを確認して、そっと目の前の本へと腕だけを伸ばして、めくってみる。


 駄目だと知っていたけれど、彼がそんなに集中して読んでいたものの内容を知りたかった。

 適当に開いてみる。中間あたりは白紙だった。

 両端側もめくってみるが……



 ――何も書かれてない。



 思わず眉を寄せて、首を傾げたくなるのをどうにか堪えると、ノートをそっとひっくり返してみた。

 ノートの裏表紙の真中央にあったのは、小さな黒い鉱石。それは革紐で無理やりノートに固定されてあった。


 ふと、首都でトラヴィスが持ち上げた白紙の紙が、脳裏をよぎる。

 僕には白紙に見えた紙から、トラヴィスは文字を読み取っていた。

 つまり……



「っ……」



 隠蔽。その言葉が口から漏れかけて、咄嗟に閉じる。


 魔法で文字を隠している?

 エーレは一体、何を見ていたのか? そこまでして何を隠しているのか?

 何か言い知れない不安が胸に湧き上がってきた時、「おい」と背後から声がかかって、思わず肩が跳ねあがった。

 すぐにノートから手を引っ込めて、振り返る。



「紅茶、飲めんのか?」


「え?」



 そういえば、彼はお湯を沸かしていたのだ。



「え? エーレが淹れてくれるんですか?」



 料理どころか、お茶すら淹れているところを見たことがない。

 元王族。隣にはシュトルツがいるし、意外な行動に首だけ振り返りながら、そんな言葉が口からついて出た。

 彼の目が細められて、僅かに眉を潜めた。そこ一瞬だけ不本意そうな表情が浮かぶ。



「あ、いや! いただきます」



 何も言わずに再び背を向けたエーレを見て、ほんのり胸に湧き上がったは何かの余韻。

 態勢と元に戻した先で、窓から見えた夜の闇。

 ほんの数秒止まった思考の中が、ふと首都に着く前――暗殺ギルドの襲撃があった宿での彼の言葉と繋がった。


 ――茶なんて出ないからな――


 もしかして彼は……


 エーレが不器用なことはよくわかっていたつもりであったけれど、なんだかおかしくて思わず口が緩んでしまった。





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