獣の愛情表現は襲撃だった
少し離れたところで野営をしているとシュトルツが告げ、そちらへ合流しようとした時には陽は暮れていた。
その頃には、僕の混乱も少しだけ落ち着いていた。
「お前、昨日俺が言ったこと覚えてんのか?」
シュトルツが先頭を歩き、珍しく隣に並んでいたエーレの不機嫌そうな声が宵闇の中に漂った。
「昨日……」
「考えの整理を手伝ってやるっつっただろ。どうせ一人で抱えようとして、わけわかんねぇ思考をぐるぐるさせてるんだろーが」
そういえば、氷魔法で意識を絶たれる前に、そんなことを言っていた気がする。
昨日はあまりにも衝撃的な記憶を見せられて、エーレの言葉は耳を通り過ぎていっていた。
前で突然、シュトルツがくつくつと笑い始める。
「それ、エーレさんが言う?」
「あ?」エーレが凄んだ声で、前のシュトルツを睨んだ気配があった。
「いーえ、なんでもごさいませーん」シュトルツは小さく首を振って、両手を頭の後ろで組みながら、歩を速めていく。
僕は、そんなやりとりをぼんやり聞き流しながら「僕ってそんなに皇帝に似てるんですかね」ぼそりと呟いた。
一瞬だけ、ほんの小さな沈黙が挟まって、「まぁ、正直似てはいる」と素っ気ない声が隣からした。
「初めてお前と会った時に、皇帝を思い出すくらいにはな」
「え、父上と会ったことが……」
言いかけて咄嗟に口を継ぐんだ。
そういえば……
――皇帝に連れ去られた――
彼は過去を語った時にそう言っていた。
父上とエーレの間に何があったのか。いや、何をされたのか――
「今はそんなこと、どうでもいいんだよ」
僕の思考を遮るように、強めの声がした。
こちらへと一度も視線を投げてこないエーレの視線を追って前を見ると、かなり離れたところにぼんやりと焚き火の明かりが見えだしてきた。
橙色の温かさが、沸々と何かを呼び起こす感覚がした。
最初に反芻されたのは、ゼファが少女の頬を撫でていた光景。それに引っ張られるように、夢の中で父上が僕の頭に手をそっと置いた感覚まで蘇ってきた。
あまりにも現実味を帯びた、あの感触――
「僕は……父上のことを、もっと知ろうとした方がいいんですよね?」
エーレから渡された事実としてしか皇帝のことを知らない。記憶もほとんど曖昧で輪郭を成さない。
夢の感覚は僕にとっては、幻のようなもので――
ただただ恐ろしい支配者という顔しか、実感としては残っていない。
そこから湧き上がって未だに燻る、恐怖心と怒り、憎しみに悲しみに、そして未練。
ぽつん、と何かまた嫌な靄が表面に浮き出てくるような。
心の底に落ちていた暗い色が、心の海に滲んで広がっていくような、そんな感覚。
目だけでエーレが、ちらりとこちらを見たような気がした。
「知りたいと思うなら、知る努力をすればいい。どこまで知ることが出来るかなんて、わからねぇしな。
ただ一つ言えるのは――」
その言葉に耳を傾けていた――刹那。
勢いよく空を切った腕が、僕の視界を掠めた。
同時に、胸に衝撃と頭の痛くなるような金属音。
「っ……!」
気付いた時には、先ほどいたところから数メートル離れたところに投げ出されていた。
何が起きたのかわからず、咄嗟に体を起こすと、前にはエーレが誰かと武器を交えているのが見えた。
その時になってようやく、エーレが僕を危険から遠ざけたことを理解した。
そこにはエーレの1.5倍はあるのではないか――という、大きな体格の男がいた。
暗闇の中で目を凝らすと、その輪郭がはっきりしてくる。
毛皮で出来たベストやズボン、革のブーツ。そして、丸みを帯びた耳が頭の上から生えている。
亜人――いや、獣人だ。
獣人の男が振り下ろしたクローを、エーレが反射的に剣で受け止めたのだ。
「リーベ、シュトルツ!」
僕は咄嗟に辺りを見渡して、2人の名前を呼ぶが、何故か2人は近くにいない。
正面ですでに繰り広げられている戦いの音に混ざって、どこか遠くから、剣戟の音が聞こえてきた。
僕は立ちあがって、腰の手半剣に手を当てる。
その間にも、エーレは獣人の両手から繰り出されるクローを受け止めて流していたが、幾度目かでクローの溝にしっかり長剣を捕らわれてしまった。
同時に下から這い上がってきた、もう片方のクローがエーレの腹部へと襲い来る。
しかし、咄嗟にエーレが魔法で氷を地面から突き出したことで、それを避けるために獣人がサッと1ステップだけ後退した。
「ルシウス、動くな。ジッとしとけ」
エーレの冷静な声を聞いて、僕は剣柄に手を当てたままで、一歩だけ下がった。
獣人がちらり、と僕を見た気配がした。しかし、獣人は僕に興味を持つ様子はなく、前のエーレを見ると、高く口笛を吹く。
「ひゅ~、いい剣筋だぜぇ。惚れ惚れするなぁ!」
言い終えるが早いか、獣人が疾走。再びエーレの氷魔法が突進を防ぐように地面から突き出てくる、が――
激しい身の毛のよだつ衝撃音、そして暗闇に氷の破片が大きく舞いながら、辺り一帯に飛び散った。
エーレの魔法をクローで……!?
獣人は両手に装備したクローで、正面にやってきた氷の壁を打ち破り、砕いたのだ。
彼は大きな氷の破片を器用によけながら、エーレの間合いに突っ込んだ。
そのままの勢いで、高いところから繰り出されるクローを、エーレは紙一重で交わしながらも、剣よりも格段に速い攻撃に、苦戦しているように見えた。
剣戟が闇を引き裂くように、響く。
ステップを踏みながら、流れるようにして避けていたエーレが高く跳躍した。
それを追って、獣人も跳躍。大きく黒い影たエーレを一瞬で追い越していくのを、僕はただじっと見ているしかなかった。
そのままエーレ以上に高く跳躍した獣人は、降下の勢いをつけてエーレへと襲い掛かる。
しかし2人の武器が交わるよりも早く、エーレが素早く炎を顕現させて、巨大な火球を放った。
夜空に浮き出た赤い炎の轟音。それに混じって、轟音にも劣らないほどの言葉にならないような奇怪な悲鳴が上空だけに留まらず、足元まで響いてきた。
影が前方に同時に落ちてくる。
しかし、着地した2人はお互いに無傷に見えた。
獣人は獣のように顔を強く小刻みに振ると、右手を頭上に一度振り上げ、クローでエーレを指し示した。
一瞬の静寂――ごくり、と自分の唾を飲み込む音がヤケに鼓膜に張り付いた。
その時。
「獣人相手に、炎はナンセンスだろぉ~!」
「顔見るたびに飛びかかってくる、てめぇが悪いんだろうが!」
「お前の剣技に惚れてんのよぉ~、愛してるぜぇ!」
言うが早いか、獣人が疾走。
その間、僕は開いた口が塞がらなかった。
「え」
どう考えても、今のやりとりは知り合いのそれだ。
エーレに獣人の知り合い? まさか……
前で、2人が再びぶつかり合おうとした時――
まるで示し合わせたように、同じタイミングで二人がそれぞれ後方に跳躍した。
途端、二人の間に大きな氷の壁が現れる。
「はいはい、そこまでだよ。二人とも」
後方から手を叩く乾いた音とハスキーな声。振り返ると、すぐ後ろにゼレンがいた。
そんな制止の声を聞いても、まだ氷の壁を迂回して疾走しようとする獣人の四方に、氷の檻が顕現する。
獣人は反射的に氷を砕こうとするが、全く砕ける様子はなかった。
「おいおい~、邪魔してくれんなよぉ~ゼレン」
諦めたのか、両腕をだらりと下し項垂れた様子の獣人が、残念そうな声をあげる。
それを見て、剣を収めたエーレが大きくため息を吐きながら、こちらへと歩み寄ってきた。
「怪我はないな?」彼は真っ先にそう尋ねてきた。
「はい、でもこれ……」
わけを尋ねようと口を開いたのと同時に、左右からそれぞれ別の声が聞こえてきた。
「放せよ!」と左側から、まだ変声期を終えてないような少し高めの男の子の声が。
「お父さぁん、虐められたぁ……」右から弱弱しく、今にも泣きだしてしまいような女の子の声が。
僕は左右を何度も交互に見てしまう。
左には、僕と同じくらいの背丈の少年が、シュトルツの脇に担がれて暴れていた。
右にはリーベに横抱きにされて、震えているような少女がいた。
「あの……」僕はエーレに説明を求めて刺すように視線を送る。
再び、深い溜息を吐き捨てた彼は言った。
「レギオンランク3位、ブラッドバウンズの連中だ」




