呪われた祝福
ぼんやり視界が曇る。
けれど、温かい。前には深い黒が見えて、上に視線をあげると、鮮やかな紺碧の束が頬を撫でた。
「ユリウス」
心地よい声が、僕の名前を呼ぶ。
良く知っているはずなのに、初めて聞いたような声だった。
「我が王妃は子を産むことは出来ない。だから将来はお前が王になりなさい、
その本質にふさわしい、この大陸を平和に導く王に――」
大きな手がふわり、とあまりにも優しく頭に置かれる。
「お前は……」
視界が突如、暗転した。
お前は――
暗闇の中で、その言葉がどこからともなく、何度も繰り返され反響し始める。
それは徐々に元の色を失い、暗く低く、獣が唸るような響きに変わっていく。
そこに、一筋の光が落ちた。雷が視界を裂く。
「お前は……」
狭い視界の中で、濁った水のような髪が揺れ、男がこちらへと顔を向けた。
突然、狂気に満ちた高笑いが場に轟いた。
「そうか……! そうだったのか。お前は私のために生まれたのか。
覇誓神アレスから賜った‘’贈物‘’だったのか」
その間も体の底を震わせるような、高笑いは止まらない。
男の隣には、横たわった白い何かが見える。目を凝らしてそれが女性であると気付いた時――
「――っ……!」
今のは……?
赤橙が視界をぼんやりと埋める。それが大きく揺らめいたのと、いつしか見開いたままだった目に砂が入り込み涙が出て、ようやく自分が飛び起きたことに気が付いた。
目を瞑って、異物を取り出すために指で擦っている間も、奇妙な余韻が抜けきることはなかった。
漏れ出す息の荒さが遠くから聞こえる。
そんなことよりも……
輪郭が薄れていく夢を引きとめるために、すぐにその内容を思い返す。
温かい声と手、目に入った黒の服と僕と同じ色の髪。あれは……父上だった。
場面が変わって、聞こえてきた身の毛もよだつ笑い声と、正気を失ったような獣のような声。
それに、あの言葉……
今のはただの夢? それとも……
僕は過去のことを思い出しても、どこか客観的事実のようにしか覚えていない。
父上にあんなに優しい声で呼ばれたことも、あんなに大切そうに頭を撫でられたこともない。
けれど、最後の場面は……
思い返そうとした時、酷い頭痛に襲われた。
「……い、おい」
その時になってようやく、数メートル先でエーレが呼んでいたことに気が付いて、顔を上げた。
彼は僕の顔を見ると、眉を寄せながら目を細めて、何か言いたげに口を少し開いた。
しかし、何かを言葉にすることなく、しばらく沈黙が漂う。
それを気にする余裕はなく、気づけば消え入りそうな前の火へと視線を落としていた、
あれがもし、幼いころの記憶だとすると……いや、そんなわけがない。
僕は父上に抱き上げられたことすらないはずだ。
そして、あんな狂ったような父上を見たこともない。
’’愛されたかった’’
そんな自分の本音を自覚した。
だからあれは、ただの幻想――僕の願望が作り出した夢に違いない。
ぐるぐる回る思考を持て余して、気が付けば何度も首を振っていた。
「起きて早々、元気なのはいいが、明後日には境界都市につく。もう一度寝とけ」
少し高い位置から聞こえてきたそれ。エーレはいつものように、何かを聞く様子はなさそうだった。
――少しは聞いてくれてもいいのに。
小さな不満を抱えて顔を上げると、エーレと目があった。
その表情は、少し困った風に眉が下げられていた。
予想外だった彼のそれを見た瞬間、僕は根拠のない確信を覚えた。彼は話を聞いてくれようとしている。
そう思って、口を開いた。聞いてもらいたい。
「夢を見たんです」
「そこから入らなくていい。見りゃわかる」
言葉を重ねるようして、返答があった。
もしかして、彼は僕の言葉を待っていてくれた?
「で?」彼は側に置いてあった小枝を拾って、火の中にくべると、魔法で焚き火の火を安定させる。
その手先を見つめた時、彼の手の甲に小さな傷跡が多いことを初めて知った。
「父上が、僕の頭を撫でて優しく話しかけてくる夢で……」
記憶している夢の一部始終を、ゆっくり思い返しながら話した。
その間、エーレは一度も口を挟むことなく、黙って聞いていてくれた。
「ただの願望なんでしょうね、幼いころの記憶なんて覚えてませんし……」
言い訳をするように付け足した僕の言葉を最後に、小さな沈黙の幕が下りた。
その中で、火の粉が弾ける音だけが、小さな心地よさと大きな寂寞感をつれてきた。
エーレが小さく息を吐く音、間を置かず僕を漆黒の瞳が捉える。
その口から紡がれたのは、またしても予想外の言葉だった。
「お前が皇帝のことを知りたいというなら、教えてやる」
「え」
「今の話を聞く限り、あながち願望だけとは言い切れないからな。
‘’あいつ‘’も、そんなようなこと言っていた気がする」
「どうして、エーレが……」
言いかけて口を噤んだ。
回帰している彼らが、皇帝の背景や野望を知らないわけがない。
回帰前の世界と今いるこの世界がどういう関係で、どういう原理かはわからない。
それでも彼らはこの先の未来を生きてきた過去があるのだ。
それなのに、皇帝を父に持つ僕が、何も知らない。
どうして今更そんな――昔の忘れていた記憶を夢に見たのかなんてわからない。
ルシウスとして父上と決別したことによって、記憶の蓋が空いたのかもしれない。
けれど、そんなこと今はどうでもよかった。
「お願いします」
僕は真っすぐエーレの瞳を見つめ返した。
この先に進むためには、知っておかなければいけないことだ。
僕自身が決着をつけなきゃいけないこともたくさんある。
おもむろに立ち上がったエーレは火の側を通って、僕の前で片膝をついた。
右手がそっと僕の顔へと伸びてくる。掌には火傷の跡が見えた。
「風魔法……じゃ、無理か。霊奏で俺の記憶の一部を送る。
多少、辛くても我慢しろよ」
その手が僕の両目を覆った時、呟くような小さな旋律が聞こえてきた。
ふわり、と地面を風が這うような感覚があった途端――
「っ……!!」
言葉にはできない、大量の何かが、目まぐるしい速度で頭の中に流れ込んきた。
それが膨大な記録であるということを知り、駆け巡る感覚に、息が詰まった。
エーレの記憶というよりかは、ただただ、客観的事実――まるで歴史のようなものだったけれど、それでもその記録が、感情を押しのけて波のようにやってきては、無理やり刻み込まれるような感覚。
視界に光が戻っても、しばらく何も見えなかった。
一瞬で大量の情報。けれど、不思議と全ては認識できている。
僕は……
僕は父上のことを何も知らなかった。知ろうともしなかったし、そんな余裕もなかった。
父上の立場でものを考えたことすらなかった。
皇帝であっても、父であっても――あれだけ大きく映っていた存在は、1人の人間であるということを理解していなかった。
「はっ……」
どうにか呼吸を思い出して、視界の焦点を絞ると、目の前には眉を寄せたエーレがいた。
乱れた息を整えている間に、彼はスッと立ち上がって、元の位置に戻っていく。
彼が座るのを自然と目で追っている間も、頭の中はパンクしそうで、何も言えなかった。
「送ったのは夢みたいにすぐには消えない。一旦寝て、明日考えろ
整理したいなら、付き合ってやる」
遠くから聞こえてきたような声の後、もう聞きなれてしまった氷の砕けるような音がした。
途端、僕の意識は闇に落ちた。
その直前、ふわりと風が頬を撫でる感覚と、小さな霊奏が聞こえたような気がした。
境界都市ラースティアまで、あと1日の道のり、というところだった。
そこを通ってしまえば国境までは、すぐらしい。
陽か傾いてきて、夕日が幌の中に差し込んでくる。
眩しい光を受けながら、僕は重い頭を抱えて、前のエーレを見てはため息をついた。
「てめぇ、こっち見るたびにため息ついてんじゃねぇよ」
幾度目かのため息の途中で、不機嫌そうな声が飛んでくる。
「なに? ルシウス、エーレさんに恋でもしたわけ?」
エーレの隣にいるシュトルツが楽しそうに口元を釣り上げて、そんなことを言うものだから、また深い溜息がこぼれ出た。
「そうですね、そういうことでいいです」
「何かあったのか?」
隣のリーベが心配そうな声で、僕とエーレを交互に見る。
「そいつに記憶を渡しただけだ。皇帝のことは、ルシウス自身で決着をつけるべきだろ」
エーレの声が割と大きく聞こえてきて、咄嗟に僕は幌の奥を見た。
しかし、4人はこちらのことなど気にした様子もなく、今日も飽きずに話に華を咲かせている。
「あ~……なるほど」
シュトルツの歯切れの悪い反応など耳を通おりすぎていって、手元に視線を落とした。
皇帝に、王妃がいたことは知っていた。
王妃が健在だった頃は、側妃は僕の母上一人だけだったらしい。
しかし王妃は体が弱く、子供を授かることは出来なかった。彼女が亡くなったのは、まだ僕が幼いころだ。
だからもし、面識があったとしても僕の記憶には残っていない。
あの夢は、願望なんかじゃなかった。
エーレから渡された記録で、そのことが確信に変わった。
「ねぇ、少し早いけど、ここらでよくない?
この先は風通しがよすぎて、夜寒いで――」
「……!」
ミレイユの声が飛んできたのと、馬車が急停止したのが当時だった。
複数の小さな悲鳴が幌の中に響き、すぐさまシュトルツとリーベが幌の外に飛び出した。
反動で体を幌の外に投げ出されそうになってしまった僕も、どうにか立ち上がって外を見た。
後方から見える範囲には何かあるようには思えない。
敵襲ではなさそうだった。
ホッと息を吐きだしたのも束の間、いつの間にか隣に来ていたミレイユが「この気配……」と呟くと、跳ぶように外へと駆けていった。
遅れて、外に出た僕とエーレの前には、荷馬車の前で酷く狼狽する御者。
そしてその前方には――地面にしゃがみこみ、何かを抱えているミレイユがいた。
古びたローブ。ミレイユの腕に収まる体躯。
子供……?
「エーレさん」
隣にやってきたシュトルツが、小さく呼びかける。
エーレはちらりと幌の方を見て、「離れたところで先に野営させておけ」と短く告げる。
「了解、伝えてくる」それだけ言うとシュトルツは幌の中へと戻っていった。
リーベもその声を聞いて、御者へと向かっていく。
「ミレイユ。場所を変えろ」
エーレの指示に、ミレイユは何かいうわけでもなく、腕の中の子供を抱えたまま立ち上がる。
フードを深く被っているその子の顔は見えない。ただあまりにも幼い体つきであることは、見て取れた。
「エーレ、あの子……」
「問題ない、生きてはいる。場所を帰るぞ」
言葉もなくミレイユが向かっていく方角へ、エーレが続く。
僕はわけがわからないまま、それでもそのあとについていくことにした。
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「回帰者たちと神々の椅子取りゲーム」(2話前)のミゲルに関しての説明を少し加筆させていただきました。
リクサと対話回想シーンの後です!お時間があれば確認していただければありがたいです。
内容としては、ミゲルに加護枷はつけられないのか、という説明を忘れていました!
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
読んでいただける方のおかげで励みになって続けられています。
これからも欠かさず毎日更新していきます。よろしくお願いします。
「回帰者たちと神々の椅子取りゲーム」(2話前)のミゲルに関しての説明を少し加筆させていただきました。
リクサと対話回想シーンの後です!お時間があれば確認していただければありがたいです。
内容としては、ミゲルに加護枷はつけられないのか、という説明を忘れていました!
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