狂気と優しさの輪郭
「トラヴィスへ繋がる合言葉を、お前にも共有しとく」
レギオン支部へ戻ったエーレが、唐突に言ったことを思い出した。
帝国と王国の首都、そして各地に点在するバーに、トラヴィスの傘下である情報員が、居を構えているらしい。
バーの目印は看板の上部端に、逆鍵穴のマークがあるとか。
バーでは「ヴェラウイスキー」を、人数分注文する。
注文通りにウイスキーが出てきた時は、今すぐに会える。
ワインが出てきた時は、しばらく待ってくれれば会える。
水が出てきた時は、今日は会えない。そういう意味らしい。
そして帝国と王国の首都には【ヴェールノワール】が、情報屋の拠点になっているそうだ。
そこでのカロン専用の合言葉が「影紡ぎ」。
しかし、大体において、トラヴィスは拠点を転々としていて、本人が捕まることはほとんどないらしい。
エーレたちは過去の回帰で、トラヴィスの所在地をある程度、把握していたそうだった。
「もし、どうしてもトラヴィスさん本人に急用がある場合は、どうすればいいんですか?」
そんな僕の問いかけに、エーレは僅かに眉を寄せた。
「あいつは中立中庸を崩さない男だ。見合う対価がなければ動かない。
基本的にどこにいるかわからないし、アテにしないことだな」
そんなエーレを見て、トラヴィスの言葉が頭に過った。
初めて彼と対面し、別れる前に耳元で言われた言葉だった。
――僕ちゃん、もしどうしても私の力が必要なとき、いざという時はこう言ってね――
彼はどうして、あんなことを言ったんだろう。
僕は、彼に支払える対価なんて持っていない。
エーレたちは、トラヴィスとどんな経緯で知り合ったのか。
そんな記憶を反芻しながら、僕は幌の中を見渡した。
僕の隣にリーベが、正面にエーレと隣にシュトルツ。奥にはミレイユ。いつもの定位置だ。
首都を出てから、さほど時間は経っていない。まだ空気は朝露に濡れていて、清々しい。
今日から聖国の国境まで、ミレイユの護衛を再開した。
首都から聖国の国境までは、荷馬車で6日~8日かかる。
リクサからの直接の依頼だった。
カロンに依頼をする時は、常に僕たちにも利があることだ、と彼女もエーレたちも口をそろえて言う。
つまり僕たちがそちら方面へ向かう必要があるか、この道中に何かしらあるということを示唆しているようで、すでに僕は緊張と警戒をしていた。
けれど、幌の中は平和なものだった。
その理由としては……
シュトルツと少し離れて、幌の奥にいる白水の髪の男、そして彼をマスターとするアヴィリオンのメンバー2人の女性、その女性たちと和やかに会話をしているミレイユ。
どうしてゼレン率いるアヴィリオンの3人が、荷馬車を共にしているのかというと……
時間は少し遡る。
明日、首都を出る。その夕刻。
レギオンに居座っているミレイユとカロンが、今から夕食をしようとしているところに、ゼレンたちがやってきた。
相変わらず、ぼんやりとした微笑みを口元に浮かべて、彼が提案したのだった。
「明日から僕たちも聖国に向かうんだけど、よかったら一緒にどう?」
「は? 俺が快諾するとでも思ってのんのか?」
席についたばかりだったエーレは、やってきたゼレンに対し、信じられないものでも見たような表情で睨みつけた。
話しかけるたびに嫌な顔をされているのに、この男も懲りないな、と僕は口の中で呟きながら、状況を見守ることにした。
エーレが拒否するなら、シュトルツもリーベも、そして僕だってそれに従う。
カロンでは、エーレがルールなのだ。
しかし、その場にはそのルールを打ち破るイレギュラーが一人存在した。
「え、いいじゃない。アヴィリオンって女の子もいたわよね?」
ミレイユだ。
それを聞いたエーレが、心底嫌そうに顔を歪める。
「いるよ。聖国にも、彼女たちと僕の3人で向かうことになってるから」
そう言いながら、一歩近づいてきたゼレンはミレイユの隣へと立つ。
「よくねぇよ。体裁的にはお前の護衛だぞ。わかってんのか」
護衛。彼があえて「蜜護衛」という言葉を避けたことが伝わってきた。
彼女が聖女であることを、レギオンの面々は知らない。
レギオンに所属するクランは、協力の際にのみ情報開示を求めるが、それ以外はお互いの依頼に出来る限り干渉しない暗黙の了解だ。
だからゼレンも、何も聞いては来ない。
「だから言ってんのよ! 私の依頼、私がルール!
野郎どもに囲まれた旅なんて、息が詰まるって言ってんの!
たまには女の子と、ワイワイしながら過ごしたい、この気持ちがわからない?」
身を乗り出しながら、エーレを指さしたミレイユ。新しいルールが作られた瞬間だった。
隣でゼレンは「決まりだね」と微笑んでエーレを見る。
大きなため息と共に、額に手を当てたエーレは、やけくそになったかのように首を振った。
「好きにしろ。もう段取りもそっちで決めとけ。俺らは知らん」
そういう経緯があって、ゼレンが用意した荷馬車とその御者により、今こうして和やかな雰囲気で移動中だ。
僕はこっそりと隣のリーベに古代言語を教えてもらっている最中だった。
いつものように、大っぴらには教えてもらえない。
アヴィリオンのメンバーには古代言語の存在は秘匿しなければいけない。
僕たちの正面より少し幌の奥側――ゼレンはミレイユとアヴィリオンの女性2人の会話に加わって見たり。かと思えば、シュトルツ越しにエーレに話を振って見たり、忙しそうに首を回していた。
「リーベ、トラヴィスさんのところでの話なんですけど」
古代言語はかなり上達してきて、語彙も増えた。しかし、実際発音してみないとこれ以上はなかなか進歩に繋がらない。
「何を依頼したんですか?」
リーベが渡した白紙の紙。おそらく何かしらの仕掛けがしてあったのだろうけど、それを見たトラヴィスの表情を思い出した。
カロンにも利があり、その依頼が完了すれば、トラヴィスの対価にもなり得る依頼。
「ああ、情報収集のようなものだ」
暗殺ギルドのな、と彼は僕に耳打ちする。
暗殺ギルド。やはり……
「トラヴィスさんはその……そこと何かあるんですか?」
僕はちらりとゼレンを見た。彼はエーレを捕まえようとしている。
「あの男はそちらと因縁がある。私たちも潰しておきたい。利害の一致というやつだ」
因縁……彼らは3回目までの回帰で、何を見てきたのだろう。
「あの、またよければ――」
言いかけた時、シュトルツが逃げるように、そそくさとこちら側へ寄ってきた。
その顔は嫌そうに眉を寄せている。
「どうかしたのか?」
「どうもしてないけど。俺、あの人苦手だから」
すぐに問いかけたリーベに、シュトルツは僕の隣に座って、首を振る。
あの人――ゼレンのことだろう。
「シュトルツにも苦手な人っているんですね」
誰にでも、飄々と馴れ馴れしく接する彼なのだ。意外にも思えた。
「あの人の思考も感情も、俺の発想の外にあるからねぇ……」
僕は思わず首を傾げた。
「つまり、読めないってことですか?」
「読めないくらいなら、全然いいんだけど。なんかこう、俺の直感が関わるなって言うタイプの人間」
脊髄で生きている彼がそう感じるなら、ゼレンには何かしらあるのかもしれない。
それとも、ただの相性の問題か。
「私もあの男は嫌いだ」
隣でリーベは吐き出すように言った。
彼がここまで、はっきり言うのは珍しい。
「リーベの場合は、同族嫌悪でしょ?」
「同族嫌悪?」
当然のように言ったシュトルツに、僕は隣のリーベと前のゼレンを見比べる。
確かに、見場も雰囲気も似ている部類かもしれない。
色素の薄い綺麗な髪も、どちらかというと女性を彷彿させるような整った顔立ち。
一見、線が細いようにも見える体格。隠しきれない品性が、垣間見える立ち振る舞い。
しかし、僕には何かが決定的に違うように見えた。その何かはわからないけれど。
「あの男と同族と言うのは、やめてくれ」
苦々しく、拒否するリーベの声色。
「ごめんごめん、そんなつもりはなかったんだけど」
「そんなに嫌いなんですか?」
すぐに謝ったシュトルツに続いて、尋ねた。
「嫌いというよりかは……いや、嫌いなんだが」
リーベは珍しく言葉を詰まらせる。何か言いたくないことがあるのかもしれない。そう思って、僕はそれ以上食い下がることをやめようとした。
しかし「まー、あれだよ」とシュトルツがゼレンを見る。
「まぁ、リーベとあの人は、内に抱えてるものが似てるって話」
あまりにも漠然とした説明に、僕は眉を寄せた。
シュトルツはそれ以上言うつもりはないのか、大きなため息をついて、正面のエーレを見ている。
数秒の沈黙を置いて、答えたのはリーベだった。
「私は、内に抱える狂気を十分に理解している。だが、あの男にはそれがない。
それを見ていると、少し胸がざわつくだけだ」
「狂気」
先ほどよりも明確になった言葉ではあったが、僕にはやっぱり、その不透明さ加減はさほど変わらないように聞こえた。
狂気というのなら……
隣でだらしなく、縁にもたれかかっている男の方が、危険そうなイメージである。
漂った沈黙の中、僕は彼らの視線を追って、前を見る。
そこには、ゼレンと嫌々ながらも話しているエーレがいた。
「エーレも嫌ってますよね? ゼレンさんのこと」
「んー? エーレさんはそこまでじゃない?」
「すんごい眉間に皺よってますけど」
幌の縁に大きく体を預けたシュトルツが、短い笑いを上げた。
「通常運転じゃん。ほら、エーレさんって本当に嫌いな人は、視界にも入れないタイプだから」
僕はふと、レギオン支部でのカイとのやりとりを思い出す。
それ以外にも、たしかにエーレは最後の最後まで、人を見ようとしない時が多い。
「ああ見えて、人のことをよく見ている。エーレを慕う人がそれなりにいるのも、そういうわけだ」
先ほどとは一変、優しげなリーベの声色だった。
「変な人にばっかり気に入られている気はしますけどね」
「そりゃ、類友なんでしょ」再び笑ったシュトルツ。「ま、エーレさんは優しいからねぇ」
「やさ……しい……?」
深淵から這い出してきたような、悪魔が優しい?
咄嗟にそう思ったけれど、何か引っかかりを覚えて、僕は幌の天幕を見上げた。
僕の知っている優しさとは、違っているけれど。でもたしかに……
「優しいってなんでしょうね」
「さぁ?」
思わず、哲学めいたことを口走った僕の言葉に、シュトルツの飄々とした、そして意味のない返答が返ってきただけであった。




